第六章 エジプトの女神ハトホル・テフヌト
    とギリシャスの女性フィンクスの謎


   
 ハトホル女神の化身と「窓辺の婦人」

 王朝時代、ハトホル女神は次第にヌト女神の性格を帯びていき、星をちりばめた牝
牛としても表現されていた。ヌト女神と習合したため、死せる太陽神ラーを迎えて再生
させ、乳や食物を与えて育み、終には産みだす偉大な母神として、絶大な支持を得た
ようだ。その人気と信仰は、周辺諸国まで及んだようである。それらを踏まえてバッジ
は、端的に解説している。

南方のいちじくの木』の淑女としてはを、トルコの女神としては、即ちシナイ
半島では又は、そして牛の角。また、他の姿ではウラエウスに囲まれた
禿鷹の頭飾りをつけたが、そのうえには蓮の花と蕾のある塔があった。
『聖なる地』即ち冥界であるイミンテットの淑女として、彼女は埋葬の
山から歩み出る牝牛として表わされる。ハトホルはトトーの配偶者と見なされていたに
違いない。最後に彼女はウラエウスに囲まれた禿鷹の頭飾りをつけたスフィンクスとし
て描写された。彼女の身の両側はメナトに似せて作られており、塔の上で休んでいる。
この最後の姿につけられた表題によると、彼女は「平安の淑女」「ラーの眼」「太陽円
盤の住人」「天のすべての神々の女主人」である。(1) Vol 430p」


注目すべきは、既にバッジは百年も前に、
『ハトホルが塔の上で休むスフィンクス』
と、ギリシャのスフィンクスの素性を明らかにしている点である。しかも、「ラーの眼」と、
その描写がテフヌト女神のエピセットで記されているのだから、スフィンクスがハトホル・
テフヌト女神であると立証しているようなものである。BC1820〜1740年頃、アナトリ
アにハトホル型女性スフィンクスの彫刻が存在していた。
 新王国時代、ティイ王妃のカメオはレキト型奉献スフィンクスで表され、アスタルテ女
神と見なされた。だがエジプトのアスタルテは肉体美を晒す女神ではなく、戦車を操る
テフヌト女神であった。だからレキト型奉献スフィンクスの、ティイの顔・レキトの翼・ライ
オンの四肢という構成要素内のライオンの性質は、テフヌトのものである!
 ティイ王妃の像はいち早く波及し、BC1300年頃のメギッドにおいてレキト型有翼ス
フィンクスをみた。それがフェニキュア・北シリアにまで及んだ後、ギリシャに至った。で
は、その思想・神話は、どれほど伝えられ認識されていたのだろうか?それを知るに
は、先ずエジプトにおけるハトホル女神、テフヌト女神について知らねばならない。

壁画などに表現されるハトホルは以下である。


彫刻にされたハトホルは以下である。




 『南方のいちじくの木』の淑女の壁画を、ハトホルが足元から次第にいちじくの木に
変貌していく様子が分かるように順に並べてみた。最後に聖牛との比較もしてみた。


(1)

(2)

(3)
Sycamore=イチジクの木に 
ヌト女神と書かれて
あるが、ハトホルでもある。
Pintura de la tumba de
Sennedjem (TT96).
Deir el-Medina, XIX dinastia.
http://www.egiptologia.
com/sociedad/arb_flo/
arb_flo.htm

http://www.kinfonet.org/
community/centres/
sycamore/Tree.html




(5)

(4)
<(3)の解説の翻訳>
イチジクの木は『イチジクの
木の淑女』であるヌト女神、
及びイシス、ハトホルの顕現
と見なされていた。ハトホル
かヌトが、イチジクの木から
手を差し延べている描写の
多くは、死者に水や食べ物
など彼等に必要な物を盆に
載せて与えている。不滅の
魂である死者のバーは、人
頭の鳥として描かれ木の樹
液(?)を飲んでいる。イチジ
クの木はハトホルの棲家で、
『南方のイチジクの木の淑
女』と呼ばれていた。

http://www.thekeep.org/
~kunoichi/kunoichi/
themestream/hatshepsut.html
Thutmose III Suckled
by the Sycamore
Goddess

Egypt: New Kingdom,
Eighteenth Dynasty
Reign of Thutmose III
(1504-1450 BCE)

それでは次に、ハトホルの様々な姿を、相互に関連付けて示してみよう。


説明図A

 ハトホル→聖牛→いちじくの木についてのイメージの変遷を図式化してみたのが上
の説明図Aである。人の姿を持つハトホルは、次に顔を牝牛に変える。続いて体も牛
となり完全に変身する。牝牛は、空の牝牛ヌトと結びついて聖牛となる。聖牛としての
ヌト女神は、日々太陽神ラーを生み育む母なる神でもある。ラーの息子としての王子
は当然、ヌト・ハトホルから授乳されてしかるべきである。他方、イチジクの木は生者
や死者に拘り無く、水や供物を授ける慈愛に富んだ女神だった。その象徴性が結び
つき、イチジクの木は王子を授乳させる。ハトホルは牛に変身したが、イチジクの木
に変身する事も可能であり、上のような循環するイメージとなる。
 説明図Aの上部の四作品は、しばしば彫刻にされたが、下部の二作品のような、
葉をつけた木をリアルに表現すると破損し易く、安定も悪いのでシンボル化が試み
られたと考えられる。それがハトホル柱では、ないだろうか。

Assuan-Phile-Isis-Tempel                               Dより
ハトホル柱は、パピルス柱・ロータス柱などの要素を合成した混合柱の上で顔だけを
出している。
それは、イチジクの木の表現が困難であるための打開策とみられる。な
ぜなら、単にハトホル女神像の柱を表現したければ、下のオシリス柱のような、全身
像にすれば良いのだから。


アブシンベルのラー・ハラクティ神の神殿内のオシリス柱。Cより。

このような全身像を採用したオシリス柱を作る一方で、複合柱の上に女神の顔のみの
ハトホル柱を作ったのは、前述した神話を反映しているからである。ハトホルはイチジ
クの木と融合し顔だけを覗かせている。さらに、「ラーの眼」とは、そもそもパピルスを
生んだコブラの女神ワジェトのエピセットであったものをテフヌトが吸収してしまった事
を思い出さねばならない。ハトホルはイチジクの木と、テフヌトはワジェトの性格を引き
継いでパピルス柱と融合する結果、ハトホル・テフヌトは混合柱をベースに持つハトホ
ル柱となるのである。

その一方で、ハトホルはその顔だけで家具などの一部を装飾していたようだ。


http://www.geocities.com/Athens/Academy/7357/mesoart4.htm
Palestine: Megiddo, Stratum VIIA
Late Bronze Age II, 13th century B.C. Ivory

These delicate heads belong to a group of ivories discovered at the
site of Megiddo, in Palestine. (中略)
The heads show traces of Egyptian influence in their heavily curling
locks of hair, which are characteristic of the Egyptian goddess Hathor.


 このBC13Cにメギッドで出土した女子頭部像は、その髪型からハトホル女神と特
定されている。この事実からしても、以後のパレスチナやフェニキアで女性頭部像が
見出されるなら、ハトホルが表現されている可能性が高い。しかるに、この事実は蔑
ろにされている。
ハトホル柱はエジプト各地でみられるのだが、同女神の人気は、エジプト国内に留ま
らずアルシュラン・タッシュやニムルドにまで波及していた事は既に論及済みである。
これらの地域では、「窓辺の婦人」と呼ばれる象牙の胸飾りが、幾つか出土している。

ほぼ原寸大

Plaque with "woman at the window" motif,9th?8th century B.C.;
Neo-Assyrian period;Phoenician style
 Probably Arslan Tash, Syria Ivoryinlaid withglass;H. 2 1/2 in.
(6.4 cm)Fletcher Fund, 1957 (57.80.12)
http://www.metmuseum.org/toah/ho/04/wae/hob_57.80.12.htm

上のサイトの解説の翻訳

<古代の建具を飾った象牙細工の集団は、Arslan Tash(ancient Hadatu)に創建され
たと伝えられていた。新アッシリアの軍隊はユーフラテス川沿いを植民地とした。紀元
前8世紀の大建築が続いて発掘された。この象牙作品は、北メソポタミアのアッシリア
人の主要都市であるニムルドで発見されたもの、貢物か戦利品として持ち込まれたも
のと類似している。 この特殊な標本はフェニキュア様式で彫刻されている。エジプト
美術のモチーフを借用しておりこの窓にいる者の作品のように、しばしばガラスの象
嵌細工が施されている。「窓から見つめる女性の顔」というモチーフは平凡で、渦巻き
の柱頭をもつアイオリス様式の原型の
列柱の構成要素として、装飾的欄干や柵に用
いられる。それはレバントの記念建造物の様式として知られている。この様式の宝飾
的実例として、宝石を象嵌した金製品が王女の彫像と一緒にニムルドのアッシリアの
宮廷に埋められているのが発見された。>

 類似した作品を二点、紹介する。

Syro-Palestinian Minor Arts
plaque in Syrian style showing
"woman in the window," Nimrud
(ニムルド出土)
http://classics.unc.edu/courses/
clar047/NimIvWndw.jpg
Woman at the Window, Ivory plaque
from Nimrud, Phoenixianizing style,
early 7th century
(ニムルド出土)

http://employees.oneonta.edu/farberas/ARTH/
ARTH209/Orientalizing_sculpture.html

 上の二作品は透かし彫りになっているが、中央下部のものが列柱である事を表現
するための技法であろう。エジプトの列柱神殿は、Shaft(柱身)、Capital(柱頭)か
らなる柱群の上にArchitrave(台輪、軒縁)が置かれ、それが矩形に配置されている。
そのArchitraveの上に列柱数本分の幅を持つ窓や顔が作られた事など決して無かっ
た。列柱の間隔を2mとする婦人の顔の幅は約4〜5mで、窓枠の幅は10mほどあっ
た事になる。古代オリエントにはそんな窓枠や婦人の顔は存在しない。だから、これら
の作品群が「窓辺の婦人」と名づけられているのは、誤解から生じているに違いない。
それに反して、製作意図を明確にしてくれる作品が存在する。

http://alain.guilleux.free.fr/dendera/temple_dendera_interieurs.html
天体図。 プトレマイオス朝 BC1C、 砂岩 浮彫 デンデラ ハトホル神殿。




大地に両腕をついたヌト女神の股間より生じた太陽が、デンデラのハトホル神殿に
光線を浴びせている様子が表現されている。紀元前1世紀のレリーフではあるが、
「窓辺の婦人」がハトホルである事を予感させる描写である。列柱神殿の上にのっ
かる巨大な顔という表現が共通している。この浮彫をペンダントとして制作するなら、
顎とArchitraveの接点しか持たず、そこで簡単に折れるのは明らかだから、窓枠の
ような囲いをつけて強化する必要性が生じる。それが「窓辺の婦人」なのである。

 この時代、プトレマイオス朝の王はエジプト文化に敬意を持っていたが、新たな信
条を生み出す事に興味は無く、ただただ模倣するだけであった。だから類似した天
体図が新王国時代に存在していた可能性もありえる。


デンデラ ハトホル神殿の壁画。     右はそのイラスト、Bより。
http://alain.guilleux.free.fr/dendera/temple_dendera_interieurs.html

地平線にいるハトホルを表すのに、何故同女神の顔だけで済ましているのだろうか?
シストラムやアンク型手鏡、およびハトホル柱にみるように、エジプト人は大女神を顔
だけで表現する習慣をもっていた。その応用として壁画のハトホル神殿も、女神の顔
をクローズアップした作品で表現したのである。この特有の表現様式は、BC13Cの
メギッドにも波及していたのである。だから、「窓辺の婦人」とはハトホルに違いないで
あろう。
 仮に、最初に示した胸飾りの高さ6.4cmの大きさでハトホル柱の並ぶ神殿を彫刻
したとすれば、どのような作品になったかを例示する。(下図の中央)



同寸の胸飾りの大きさで、ハトホル列柱を表現しようとすれば、女神の顔が小さくなり
すぎて彫刻できない事が分かるだろう。しかも、偉大「アア」な神とは大きな
アア」な神であるから、小さく表現する事は許されない筈である。これらの問
題を解消する為に壁画のハトホル神殿のような表現の工夫がなされたのだろう。また、
他の二点からも、この作品は本来、右端のように柱の間と顔のバックは、透かし彫りに
すべきあるが、強度のための工夫が施されたのであろう。
「アイオリス様式の原型の列柱の構成要素」を持つと、説明されてあるように、誰が
見てもこれらはエジプト起源の列柱神殿を表している事は疑い得ない。すると透けた
柱の隙間には、女性の身体があるべきである。それが無いのは、そもそも「窓辺の婦
人」が、身体無しで表現される存在である事の証である。
 エジプト起源の列柱の神殿の上で、大きな・偉大な存在として顔だけで表現される
存在とは、ハトホル女神以外の何者でもない。つまり、それはハトホル神殿を表現し
た胸飾りなのである。ハトホル女神を崇拝する信者が、女神に帰依しご加護を願って
作ったハトホル神殿の胸飾りが、「窓辺の婦人」であり、お守りだったのである。
 

ハトホル神殿            ハトホル柱Dより      窓辺の婦人

上の3作品の何れもが、さらし首のように見えるのは、両サイドの作品がハトホル柱の
イメージに従った顔だけの表現だからである。新王国時代以降であろうか、ハトホルは
このような特有の性格を持つに至り、それがフェニキュアや北シリアの地に広まったよ
うである。
   
Category: lion-headdress 及びCategory: monkey に登録されている。I
http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/categories/c18_6_105_20_129.htm
http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/objects/548.htm

上の象牙作品はライオンとサルの両項目に登録されている。見ての通り、中央にライオ
ンで乳房をもつ存在と、両脇にはサルがいる。この作品が人類滅亡の神話に於けるテフ
ヌト女神であることは、明白である。しかも、同じカテゴリー内でライオンに属する象牙作
品は、角の有る太陽円盤を戴いている事から、これらのライオンがハトホルである事に
間違いは無い。

Lioness-headed goddess; wears a disc crown and wig Iより
http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/objects/478.htm

以上の事実から肥沃な三日月土では、ハトホル神殿を象徴的に表現した「窓辺の
婦人」や、獰猛なハトホル・テフヌト及びティイ型スフィンクスとしてのハトホルなど、
あらゆるハトホルが見受けられるのである。この地でもハトホル女神は、エジプトと
変わらぬ信仰の対象であり、その神話が正確に伝播していた事が伺える。その信
仰が、同様に想像以上の正確さでギリシャにも伝わったのである。そんな当時の、
ハトホル女神の性格が、以下において詳細に解説されている。

 
「墓地の守護神ハトホル   圧倒的人気のハトホル信仰

・・・・やがて、ハトホルの天空神としての側面が発展していき、葬祭女神となるに至っ
たと考えられる。すなわち、同女神は、来世の間際で死者を懐に迎え入れて育て、死
者の復活を準備し、その誕生をも司る。(中略)
ハトホルは、テーベ西岸やメンフィスの墓地では、
死者の山の女神として名高い。(中略)
すなわち、天空のハトホルは、輝く日の出として毎朝太陽の出現をうながすわけである。
一方、奇妙なカバの姿の女神もハトホルで、火のついた松明と生命の象徴を握り
悪霊
を打ち負かす
べく立っている。D

エジプト人の最たる願いは、来世でも現世と同じような至福の生活を送ることであった。
死者を迎え入れ復活させ育むハトホルは、故に再生の女神として絶大な支持を得た
のだろう。だが、一方で墓地の守護神としては、悪霊をも駆逐するほどの恐るべき存
在でなければならなかった。そのアンビバレンツな性格は、死者にも好都合であるが
故に、圧倒的に指示され信仰されたのだろう。それは西アジアにまで波及していた。
「窓辺の婦人」の胸飾りが動かぬ証拠である。だが、慈愛に富む再生の守護神として
は、麗しい美女ハトホルが相応しいが、悪霊を駆逐するには、当然テフヌトの容貌を持
つべきであった。この性格がギリシャのスフィンクスにも受け継がれたのは、申すまで
もない。









   人類滅亡神話のハトホル・テフヌト女神から
    ギリシャのスフィンクスの性質を特定する

        
ハトホル・テフヌトの変身ぶりを、絵画や浮彫から示すと、雌ライオン、ライオンの顔を
持つ女性及び麗しい女神と、多くの顔と姿を持つ事がわかる。下は、その例である。


左のレリーフのタイトル。Djehuty and Shu lure Het-Hert back from the desert
http://www.hethert.org/wandering.htm

上のライオンの浮彫を紹介しているのサイトは、それを中心にニュアンスの違った神話
を紹介しているので翻訳しておく。

 <ハトホル女神が父と共に、どれほど怒っているかについて語った神話がある。彼
女は野生の雌ライオンとなって砂漠を徘徊し、「砂漠の女主人」として、その地の支配
者となった。彼女の父ラー神は「彼の眼(=テフヌト)」がいなくなって寂しく思い、彼女
を帰国させるように計らった。ラー神は、結局老獪なトトー神の協力を仰がねばならな
かった。ハトホルは魔法の食べ物や、歌われ舞い踊られる宴の日々を約束され帰路
に着いた。その途中、最初にフィラエ島に着いた。彼女の到着により、寺院では神官
たちが竪琴やフリュートを演奏し女性神官たちはシストラムを振り、献花を贈った。この
ようにして、ハトホルは獰猛な雌ライオンから優しい「愛の女神(ネチュルト)」へと変貌
した。ハトホルは慈愛に満ちた容貌で、フィラエの産屋を統治した。ダッカの寺院にあ
る、上の浮彫のテキストでは、こう読まれる。

上のヒヒの表題:「ぺヌベスのトトー神、ヌビアから来た偉大で強力な神」
雌ライオンの表題:「テフヌト。アバトンのラー神の娘」

 上の浮彫では、ハトホルがヌビアのブゥゲム(Bugem)からの帰路の物語の一部に
ついて言及されている。彼女は、ハトホル・テフヌトであり、完全な野生の雌ライオンと
して表現されている。彼女は砂漠を隈なく徘徊している間、尾を揚げ、ウラエウスのあ
る太陽円盤を頭上に戴いている。トトー神はヒヒの姿で彼女に近づいたが、彼女はすっ
かり信じ込んで帰路に着いた。彼は、両腕をかかげ賞賛するポーズ(hnw『王や神を
賞賛する』)を示しながら、もしも彼女が帰国するなら、饗宴と娯楽を約束した。(後略)>


 太陽円盤をつけたテフヌトは、ヌビアでは多くの人々を殺戮した、血肉に飢えた猛獣
であった。シューとトトーは猿に姿を変え、彼女に甘い言葉を囁いた。二神が猿に変身
したのは、呪術的行為である。雨乞いの呪術の多くは、水を播いて雲も同様に水を撒
く事を促す。そのように、二神は、テフヌトも害の無い姿に身を変える(=再出生)ように
促しているのだ。歌や踊り、花冠に大量の酒、ついにテフヌトは極めてやさしいバステ
トとなるが、しかし一瞬にして恐るべきサクメトになることもできたのである。

バッジが紹介している神話では、この融和は大神ラーが執り行ったようである。テフヌト
が野に流された血色のビールを見つけるシーンである。


    見つける     そこで         洪水      喜んだ  〜だ   顔・彼女の それに
                                                        よって

   〜だ    彼女    (酒を)呑む        陽気な  彼女の心は〜である


 〜になる・彼女は    酔っ払う  〜でない    知る・彼女は     人類


 語る      陛下 〜の  ラー神


  ようこそ   〜の内に   平和      麗しきもの

Bより。
 顕れる〜として 若い美人    〜の  イマウ

「この女神がやって来て、血の海を見ると顔をほころばせた。彼女はそれを呑み始め、
心地よくなった。彼女は呑み続けて陽気になり、酔っ払ってすっかり人類のことを忘れ
てしまった。ラー神は語りかけた。『来たれ、ようこそ!麗しきものよ。』こうしてイマウの
美しい乙女が顕れた。」

人の血肉を貪る獣テフヌトが、一瞬にして若くて美しい乙女に変貌する様子が、なんの
抵抗もなく当然の帰結であるかのように描写されている。ここに見る女神の二律背反
した性質こそが、謎の本質であろう。
 老いたラー神は「夕日」であるから、真昼の「太陽」でもなければ「月」でもない存在
であった。一方、ハトホルは慈母神と鬼子母神のような二律背反した性格を持ち、前
者は「月光=穏やかな光」、後者は「太陽光=殺人光線」の権化である。
 ギリシャのスフィンクスとは「夕日」と同様に、そのどちらでもない両者の半々の性
格をもつ不安定な存在なのである。破壊的なテフヌトとして獰猛なライオンの四肢を
持つが、人々に限りない慈悲を示すハトホルの顔を持ち、それを保障するためにレキ
トの翼と姿を有している。このギリシャの怪物は、神話に従って麗しい美神に変身す
る事が決定づけられているのである。では、誰に変身するのだろうか?
 古代ギリシャ人は、疫病とはこの女神がテフヌトの性格を強めて人々を惨殺し始め
たと考えたのだろう。人々はエジプト神話に倣い、憤る女神の融和を試みていた。女
神は、丁度、テフヌトとハトホルの半々の性格を持つまでに至った。この半人半獣の
スフィンクスが人類を滅亡させるテフヌトに戻らないように、優しくて美しい顔立ちに変
貌し、か弱い乙女の姿に変身して欲しかった。かような願いがこめられて、ヌビア砂
漠での歓待と同様のもてなしを受け、スフィンクスは大酒を呑み干して上機嫌なので
孤立柱の上で微笑んでいるのである。
 エジプトのティイ型スフィンクスとその信仰は、比較的忠実に伝播していたのだが、
ギリシャでは、「人類滅亡」の惨殺行為が「疫病の流行」によって実現されるのだと
信じられたのだろう。この若干のニュアンスの違いを反映して疫病を流行らせ、また
人々を絞殺する復讐の女神となったのが、我々の知るギリシャのスフィンクスなの
である。

 さてギリシャの絵皿のスフィンクスの尻尾は、それぞれ独自の姿で描かれてある。



 まず、ヌビア砂漠で咆哮する雌ライオンのテフヌトは雄々しくも、尻尾を高々と上げて
威嚇している。それは敵対するものを、悉く破滅させる獰猛さの表現である。それとは、
対照的なのがデル・エル・メディーナのアスタルテ型スフィンクスと、ギリシャ初期の絵
皿のスフィンクスである。彼女らは、負け犬の尻尾のポーズをとっている。その真意は、
ヒヒに化けたトトー神への服従を示しているに違いない。それでは、他のギリシャのス
フィンクスの上げるでもなく下げてもいない尻尾は、何を意味するのだろうか。それは
獰猛になるか服従するか、決めかねている不明瞭な態度『?』の表現だったのであ
る。実際、彼女が謎を仕掛ける者が、それを解けるか否かは答えを聞いてみないと分
からない。解ける者には服従して尻尾を下げて愛を授けるが、解けない者には尻尾を
上げて容赦なく殺すのである。その待機状態『?』を尻尾により表明しているのであ
る。<ライオンから優しい「愛の女神(ネチュルト)」へと変貌>するか否か、スフィンク
スに向かう者が、トトー神であるか否かによって、彼女は獰猛なライオンにもなれば、
愛の女神にも変身するのである。故に、ギリシャのスフィンクスとは不安定なハトホル・
テフヌト女神であると推定するに、もはや吝かではなかろう。
 獰猛なライオン=尻尾を雄々しく掲げる=Xに相反した、慈愛に満ちた聖母=尻尾
を下げ服従を示す=Z
の、どちらにもなりうる存在が不確定さを示す尻尾=『?』
よって象徴的に表現されているのである。それがギリシャのスフィンクスなのである。



さて、上は実際のライオンが、伏せている姿、坐っている姿、立っている姿であるが、
その意味はチーターの方が、より分かり易い。


ライオンは、満腹時には当然狩をしない。そんな場合は伏せて寛ぎ、場合によっては
授乳する。それに対して四足で立っている場合は、テリトリーに侵入しそうな雄や宿敵
のハイエナを威嚇する場合が多い。徘徊しているチーターは、空腹のため獲物を求め
ている。見つければ、一気に襲い掛かる。坐っているチーターは、より視線を高くして
動かず目で獲物を探している場合もあれば、あくびをして寝込むこともあろう。つまり、
ライオンやチーターの坐るポーズは、伏せる(寝る)=Xでもなく、立つ(攻撃する)=
でもない、どちらつかずの中間のポーズ『?』なのである。さらに、エジプト神話の
謎とも一致する。
は寝る時=Xで、は立って働く=Zであり、そのどちらでもない
太陽が「
夕日」=『?』なのである。同様に女性スフィンクスとは、ハトホル=Xでも
なければ
テフヌト=Zでもない半人半獣=『?』の存在である。しかし謎が解かれる
という事は、スフィンクスが獣か人のどちらかの姿を取って決着をつける事を意味する。

上図で、エジプト美術に於けるライオンとスフィンクスの三つのポーズ表わした。一目
瞭然だが、座す女性スフィンクスは、エジプトに存在しないといえる。
 エジプト以外の有翼の人面女性スフィンクスは、BC800年頃のニムルド・Arslan.
Tash
において僅か二点を知るのみである。それでは何故、ギリシャ人は、そんな例
外的な坐るスフィンクスをメインのポーズとしたのだろうか?それは尻尾の表現の象
徴性と同じ意味を付与するためだった。つまり、坐って安らぎ慈悲深くなるか、それと
も立って容赦なく惨殺するのか、どちらともつかないポーズを、意識的に採用したので
ある。ギリシャ人にとって女性スフィンクスは、単なる半人半獣の存在ではなかった。
ライオンに戻る事もできれば、美神に変貌する事も可能な存在と認識されていたので
ある。その不確定性を示すために、尻尾を上げないが下げてもいない『?』で表現し、
姿勢すらも、伏せないが立ってもいない、その中間の坐るポーズをとらせたのである。
この不確定性がスフィンクスの謎とされ、芸術のテーマとなっていたのである。

ギリシャの彫刻家や陶器の絵付師は、尻尾やポーズの表現に於いて、このように]
にもなればにもなりうる『?』としてスフィンクスを位置付けた。だから詩人たちも、
スフィンクスの謎に<]にもなればにもなりうる>『?』が答えとなるように問題設
定をしている筈である!それこそが、真のスフィンクスの謎であり、『?』として正解
が導かれるべきであろう。或いは、不確定性は、どのような条件を満たす事により解
消され、獣か人のどちらに至ったかを決定しないと、謎を解いた事にはならないので
ある。


     ギリシャの「スフィンクスの謎」を解く


 本論に入る前に、心理学でよく引用される騙し絵を御覧戴く。


若い女性にも見えれば、老婆にも見える絵である。

サルバトール・ダリは、フロイトの影響もあってこの種の騙し絵の作品を幾つか遺して
いる。それはダリヴィジョンと呼ばれている。



中央の胸像は、二人の女性によって表現されている。同じく、シュール・リアリズム派
のマグリットも、巧妙な騙し絵を残しており、女性のトルソが顔となっている作品がある。



このように、一つの作品の中に二通りのヴィジョンを描くことは芸術の重要なテーマと
される場合がある。エジプトでは、ヒエログリフ暗号表記法によって、作品の中に王名
が隠されていた。だが、そればかりではなく現代の画家よりも、もっと巧妙な隠し絵と
もいうべき作風を実現しているようである。


前章で、既に紹介した作品である。まず、焦げ茶色の腕に着目すべきである。それは
抱く、包むなどの言葉の決定詞である。この両腕の上
には、頭が来てしかるべきである。画中からして中央下の牛の頭が来るべきである。
さて、「昨日、明日」の名をもつ二頭のライオンはアケル神であり、しばしば玉座の脚
となっていた。つまり、両ライオンは両脚を象徴しうるのである。すると、五体が完成
するのだが、牛の顔を持ち胎児の太陽を身ごもっている事から天空の女神ヌトを表現
していると認識できるであろう。二頭のライオンは、時を繋ぐアケル神の役割と同時に
ヌト女神の脚の役目も担っていたのである。古代人は、このような象徴表現に非常に
巧みであった。だから、一つの答えが明確であるからといって、それで完結していない
事を、十分覚悟しなくてはならない。この認識に欠けていたから、ギリシャの怪物の謎
は解けなかったのである。また、「南方のイチジクの木」の(1)に見たようにヌト女神
は、しばしばハトホル女神でもあった事を念頭において作品を見るべきかもしれない。

ギリシャにおけるスフィンクスの謎とは、オイディプスを抜きにしては語れない。ホメロ
スがオイディプスについて語ったとされているが、スフィンクスについての言及はない。
それでは確認しうる最古の謎解きは何時、現われたのだろうか。以下が確認できる
最古の描写である。

Chalkidische Bauchamphora, um 530 v. Chr.
http://www.kzu.ch/fach/as/material/Texte_lat/musik/descr/
descr_oedip/oedip_00.htm

 上の紀元前530年の壷に、既にスフィンクスの謎を解くオイディプスが描かれてある。
スフィンクスの彫刻や壷絵を見て来たが、実際のところ、古代ギリシャ人にとって、そ
れらは如何なる存在だったのだろうか?その点についての詳細なレポートがある。
( http://www.ancientworlds.net/aw/Article/678363 )

上のサイト
ギリシャ美術におけるスフィンクス」からの引用

 <ギリシャの美術と文学のなかで女性スフィンクスはBC8世紀頃に現われ、続く2
世紀では、全くポピュラーになった。大理石に彫られたスフィンクスは、墓石の上や神
殿の中庭の孤立した柱の上に置かれていた。墓石の上に座しながら、スフィンクスは
死者を侵入者や墓荒しから守った。スフィンクスは、石の上端で独り佇みながら、顔を
横に向け、敢えて墓に近づこうものならどんな者をも驚かした。守護天使、または番犬
のようなスフィンクスは親しみやすく、飼い馴らされていた。ところが、ライオンや墓地を
うろつき死者の骨肉を掘り返す犬の様子から、ある者はスフィンクスに野蛮性を見出し
たであろう。もしも暗闇で彼女に遭遇すれば、恐ろしい怪物や幽霊にとどまらず、死者
や生き物を常食とする吸血鬼を想像せずにいられただろうか。他のスフィンクス(あまり
徘徊せず威圧しない)で、正面を向いている者は、いろんな寄贈者によって、境内の
孤立柱の上に置かれた。夫々の柱の寄贈者は、神がなんらかの偉業や幸運をもたら
してくれるなら、神殿の外にも柱を建立すると誓いをたてるか、誓約していた。そのよ
うな柱は奉納柱(votive columns)、スフィンクスは奉納スフィンクス(votive sphinx
es)と呼ばれていた。
 デルフォイのアポロの聖地は奉納スフィンクスで飾られていた。アポロのスフィンクス
は、デルフォイの神託を告げる女祭司のように、謎を詠唱する賢明な処女だったのだ
ろうか。 (後略)>


また、ギリシャのスフィンクスの謎解きに欠かせないのは、ある「サテュロス劇」であるが、
その前に壺絵と注釈を添えておく。

下のサイトで言及されてる取手付瓶(左)と、その拡大(右)

 翻訳の前に、サテュロス劇とは、『茶番狂言』と訳されており、日本の狂言と類似し
ている事を伝えておく。だから、ここで言うサテュロスとは神話上のものではなく狂言
師と見なしたほうが良いだろう。また本文の「thrysus」は、蔦で編み込まれた松かさ
の輪で、サテュロスが手にしているものかと思われる。「Papposilenus」は「silens」
の「old papa」とあるが、silenus=シレーヌスと思われる。シレーヌスとは、バッカスの
養父でサテュロスの指導者であるそうだ。アイスキュロスはBC525〜BC456の劇
作家である。

「スフィンクス自身の謎解き:アイスキュロスによるサテュロス劇」
 http://www.ancientworlds.net/aw/Article/678363 )より。

 
<紀元前467年、アイスキュロスは短編戯曲を著し、スフィンクスがどのようにして
テバイに疫病を流行らせたかを語った。彼は、ごく自然に『スフィンクス』と題した。この
狂言は三部作の悲劇を伴っていた。即ち、テバイの王たち(ラブダゴス、ライオス、クレ
オンとオイディプス?)が、悪しき予言に苛まれる物語である。それは一等賞を獲得し
た。アイスキュロスの四部作は全て消失したが、同時期の壷や洋盃に描かれた場面
から、サテュロス劇を垣間見ることが出来る。
(上の二つの図を参照)

 
取手付瓶では、老いたサテュロス(シレーヌス)がスフィンクスを前にして腰掛けてお
り、彼女の謎を熱心に聞いている。スフィンクスは岩の上で身をかがめており、サテュ
ロスは裁判のような厳粛さの中で、背付椅子に座っている。サテュロスたちは、賢人
議会、もしくは州議会に出席しているかのようだ。杓を手にし王冠を被り公用衣を着て
いる。それは高ぶったサテュロスが、テーベ王の議会の後任に付いたところだった。
王は、丁度今しがた出会ったところだった、謎解きにしくじった者と。王は、息子ハイモ
ンが血まみれになって死んだので弔うために退席した。空席をその印として残しながら。
 全貌出来る、ディオニソスの野外劇場で、こうして劇は始まった。しかし、サテュロス
は呆気に取られて、ざわめいていた。スフィンクスの謎を目の当たりにして、驚きのあ
まり口をあんぐり開けていた。我々の自称救済者は、前任者といえる市の長老たちよ
りも、怪物退治を首尾よく成し遂げるだろう。幸運にも、市の救済者オイディプスは、ま
さに舞台に登場するところだ。或いは舞台の袖で控えるオイディプスは、パッポーシレ
ーヌスによって、役目を奪い去られはしないだろうか?実際に、当惑するサテュロスが、
彼らの父、パッポーシレーヌスによってハイモンの血塗られた宿命から救われることも
ありえた(パッポーシレーヌスは後のソフォクレスやエゥピリデスのサテュロス劇におい
てサテュロスの父として登場する)。
 1世紀後の、ある預言者によって描かれた壷では、パッポーシレーヌスは羊毛のタイ
ツをはき、ヘッドバンドとツリサスを被り、ディオニソスの豹皮を着けて、スフィンクスが
乗るテーブルを回して対峙し、なんと彼女に謎掛けをしている。
 右手に小鳥を握り締めながら、彼は「小鳥は死んでいるか、それとも生きているか、
どちらだ?」と尋ねている。もしも、彼女が「死んでいる」と答えると、小鳥は放たれる。
そして、もしも『絞殺者/窒息させる者』が、「生きている」といえば、彼は小鳥を握り締
めて殺すのである。ギリシャ人は、この種の謎々を好み特有の名をつけた、即ち『両刀
論法=dilemma』と。(後略)>

 後のソフォクレスと同様に、アイスキュロスも、スフィンクスが疫病を流行させる存在
であると位置付けている。多くの人々を死に至らせる疫病とは、人類を滅亡させようと
する神の怒りに違いなかった。それはエジプトではラー神に派遣されたライオン神テフ
ヌトである事は言うに及ばない。しかもこの女神は、ティイ王妃によって有翼人面女性
スフィンクス像として表現され、オリエント全般に波及していた。実際、ギリシャ人が、
エジプト神話を手本とし、主だった神々を自らの神話に組み込んだ証拠が以下で認め
られる。

 上記のサイトの「オイディプスとテーベのスフィンクス」では、二つの伝説が報告され
ている。

<The Sphinx was sent by Hera to plague and punish the city of Thebes for the
crimes of King Laius ? for kidnapping and raping the boy Chrysippus.Others say the
Sphinx was sent by Dionysos to punish the Thebans for neglecting his worship.>
 上の翻訳

<へーラーはスフィンクスをテーベに派遣し、疫病を広めさせるように仕向けた。それは
ライオスが、少年クリューシッポスを誘拐して犯した事を罰するためだった。他の伝説
では、ディオニソスが、自分への崇拝を怠ったテバイ市民を罰するために、スフィンクス
を派遣したと語っている>

後者は、「人類破滅の伝説」さながらではないか!ラー神は、人類が自分への崇拝を
怠ったためハトホルをライオンのテフヌトとしてヌビア砂漠へ派遣した。また、テフヌトと
同一視されるサクメトは疫病をも司る戦の女神である。テフヌトが徘徊したヌビアに近い
エチオピアから、スフィンクスは神を冒涜した人々を殺害するために、態々テバイに派
遣されて疫病を広め人々を絞殺した。ギリシャのスフィンクスは、間違いなくハトホル・
テフヌトであり、テバイ市民という人類の破滅のため使わされたのだ。

  先ず、多くのエジプト学者はスフィンクスとは、エジプト語の「シェスパンク」がギリシャ
的に訛った言葉と解説されている。だからオリエント学は、古代ギリシャ人のエジプト文
化への深い理解を承認すべきであろう。トトメス4世の大スフィンクス碑文には、次の言
葉がある。

フォークナーやバッジのエジプト語辞典にすら載っていない「シェスパンク」を、ギリシャ人
はそれと知って使っていたのであり、エジプト文化への造詣が深いことを示している。しか
も、ギリシャの女性スフィンクスの各々のスタイルの全てをエジプトに辿ることも出来た。
また、バッジもギリシャのスフィンクスをハトホルと断定している事からも、ギリシャの女性
スフィンクスはエジプト神話のハトホル・テフヌト女神であると断定できるであろう。

 さてアスクレピアデスの謎について、キリスト教学に精通された新免貢先生に解説
をお願いした。
 
  
< 地上に声は一つなのに、二本足でも、四歩足でも、三本足でもあるのもがいて、
    地上と空中と海中のすべての生物の中でただ一つだけ性質(ピュシス)を変える。
    しかももっとも多くの足で歩くときに、足の速さがもっとも劣る。(K167p


 
 
 変える  そして 姿・形   唯一

<『変える』」という動詞(アラッソー)がここでは、「何に」変えるかが記されていません。


the 一つの 声・言語


「フォーネー」または「プフォーネー」は、人間の発する声であれ動物の発する声であれ、幅
広く使われます。「言語」という意味もあります。
 ヘロドトスの『歴史』では、そのような意味で使われています。ただし、今回のギリシア語文
では、どういう意味で使われているかは、私にはわかりません。スフィンクスは、半人半獣です
から、「声」の意味の可能性もあります。


 新免先生によると、「アラッセイ」は、新たな霊的存在に変わるとか、人格が変わるとか、
勿論、姿・形を変えるとか多義の変化全般に用いられる動詞であるそうだ。「モノ」は副詞
で「唯一」の意味である。すると、獣の中で唯一、劇的変身を遂げる存在だと解釈できる。
『アラッセイ(変える) デ(そして) ピュシン(姿・性質) モノン(独り・唯一・ひとつ)』の解
釈が最大の論点となる。何故ならこの一文がエジプト神話と、ほぼ一致しているからである。

エジプト神話では、「唯一の姿」をもつ存在は、双頭一身のアケル神であったが、同じくアケル
神であった大スフィンクスは、トトメス4世の碑文では、ホルエムアケトであり(へペル・ラー・ア
トゥム)の三つの名を持っており、当然、名の変化に従い姿も変える神であった。この大スフィ
ンクスは、新王国のティイ王妃によってレキト型女性人面スフィンクス(ハトホル・テフヌト女神)
として表現を変えた。それがギリシャの女性スフィンクスの起源であるが、この怪物も三つの名
を持ち、その名に従って姿を変えると謳われているのである。
 謎の通り、姿形もしくは性質を変えるのはホルエムアケト、即ちスフィンクスであるから、ギリ
シャの謎の答えは、スフィンクス自身の三態の変化を謳っている事になり「スフィンクス自身」と
解答されるべきと結論できる。
 しかも幾歳月の年の両端を繋ぐアケル神は「昨日」であるハラクテイ(鷹面人身)から「明日」
であるへペル(玉転がし)という昆虫に、劇的変貌を遂げているではないか。それと同じく、ギリ
シャの女性スフィンクスもアケル神として、当然ピュシン(姿・性質)を変えるのである。ギリシャ
の謎が「スフィンクス自身」の名による変化を示している事は、もやは異論を挟む余地もない。
では何故、そっくり翻訳しなかったのだろうか。西アジアから進入してギリシャに定住した神は、
不敵な笑みを浮かべる乙女の怪物と化していた。文人達がエジプト神話に取材しても、その
ギャップを埋めるには、かなりの創作が必至であったに違いない。この改変こそが両者の因果
関係の立証を困難にしていたのである。

これまでの比較検証から、ギリシャのスフィンクスは、二つのエジプト神話から取材されたよう
で、それがギリシャ的脚色を帯びて独自性を展開したと推測されて然るべきだろう。

物語では、スフィンクスは異邦人だが、劇中ではギリシャの女性が母国語で謎を告げたのは
間違いない。即ち「ホ ミア フォーメ」とは、スフィンクスが一つの声を持つというよりは、一つ
の同じ言葉を話したと見なすべきだろう
。彼女は声も言葉も人間と変わらないのであり
観劇
する人々は「スフィンクス」が「人間」だったことは、十分に承知していたのである。また、別の
スフィンクスの謎の答えが一つではなく「昼」と「夜」であったことからも、謎の答えも二通りある
と見るのが自然である。
 即ちダミーとしての簡単な答え「人間」と、両刀論法のために準備されて隠された他の答え
「スフィンクス」の二通りがあったのである。ただ、現代人は、唯一の答えに導く事を徹底教育
されているため、「人間」以外の答えはないと思い込み、信じ込んでいる。
ところが、ギリシャ
人は、ジレンマという二つの答えを持つ謎々を好んでいたのである。ヘル・ウベンの二通りの
姿を持ったアケル神や、ワジェトのようにコブラでもありパピルスでもあるという解答は、現代の
聡明な頭脳からは導けないのである。

アスクレピアデスの謎
に対し、吉田先生は、獣のような穢れを犯した者=四足、成人男子
としてのオイディプス=二足、それにも関らず、盲目となって杖が必要=三足である事から、
オイディプス自身の謎と解説されておられる。ソフォクレスの戯曲に従えば、それは誠に的を射
ており、現代の主流の解釈であろう。だが、吉田先生は、「人間ははたして本当に、四本足
の嬰児が二本足の成人になり三本足の老人になる変化につれて、ピュシスまで変えるただ
ひとつの生物であると言えるのだろうか。K168p」と、疑問を投げかけておられる。

擬態に近い変貌を遂げる存在に対する解答が難解であるのは、アケル神の変貌が男神と
女神によって異なる事に起因している。男神のアケル神の変貌からでは、ギリシャの女性版
アケル神の変貌は解説できない。それに反し、エジプトの女性のアケル神は、レキトのように
人々を慈しみ育むハトホル女神でありながら、レキト=人々を襲う者にはライオンとなって駆
逐するテフヌト女神にも変貌する女神であり、ギリシャの半人半獣の女性スフィンクスと性質
を共有している。以下で、性別による変貌の違いを示してみよう。

男神 朝(へペル=コガネムシ) 昼(ラー神=太陽) 夕(ハラクティ=鷹) 夜(アトウム)

それに対する、エジプトとギリシャの女神の変貌は以下である。(南方のイチジクの木の淑女
は、ヌトでもありハトホルでもあった)

エジプト 雌ライオンのテフヌト女神(4足)-美神ハトホル(二足)−天空の乳母ヌト(三足)
ギリシャ  スフィンクス(ライオンとして4足、乙女としては二足) ーイオカステ(三足)

スフィンクスがハトホル・テフヌトであり、謎の答え自身であった事は既に論及したが、さらには
スフィンクスがイオカステに変身した事を立証しなければならない。

 第一に、雌ライオンであったテフヌトは、ヒヒが夫トトーであったとは知らずに巧みな弁舌によっ
て説き伏せられた事と、スフィンクスがオィディプスがテバイの王子とはつゆ知らず、巧みな弁舌
によって、謎を解かれてしまった経緯は、類似しているように思われる。
 第二に、「目には目を、歯には歯を」とい古代法の対等的処罰である。スフィンクスは、ギリ
シャ語で「絞殺者」を意味するそうで、謎が解けないテバイの民を絞殺したと伝えられている。
すると、絞殺者スフィンクスは、謎を解いた英雄によって「絞殺」もしくは「斬首」されなけばなら
ない。ソフォクレスによれば、全ての謎が判明したオイディプスは、母イオカステの首を刎ねようと
して探していた。ところが母は既に縊首していた。劇中、謎が解かれて縊首したイオカステこそは
敗れたスフィンクスの取るべき結末を実現しているではないか。
 第三に、スフィンクスは投身自殺をしたとされるが、翼をもつ彼女にとっては、魚が水死すると
いうに等しく、別の象徴的意味合いがあると思える。それはフロイトの症例報告によって明らか
となる。唐突ではあるが、まず、心因性の同性愛願望のメカニズムについて知る必要が生じる。
性に対するアイデンティティに関して言及すれば、普通なら男子は父親を尊敬して愛し、ライバ
ルとして超えようと欲する。だが、たとえば非常に暴力的な父親の場合、子供は父親の男性性
とのアイデンティティが出来ず、母親と同一化してしまうため、母のように男性を愛そうと振舞うの
である。(三島由紀夫氏やカルセール麻紀さんが該当する。)
 フロイトによれば、ある同性愛の少女が恋人と連れ立って歩いているとき、偶然に父親と出
会ってしまい、投身自殺を図ったと報告している。投身自殺とは、同性愛の自己処罰という
意味以外に、彼女の無意識の願望、彼女を同性愛に追い込んだ原因、つまりは愛する父
親との子を得たいという願望の顕れとして、落ちた(子を産み落とした)と分析した。この象徴
解釈を適用すれば、スフィンクスは身を投げたのではなく、オイディプス王の子を産み落とした
とも指摘できよう。王の子を産んだのは母イオカステであるが、この王妃こそ母であり、次の三
足の所有者なのである。ギリシャ人が望んだように、スフィンクスは疫病のライオン女神テフヌト
が説き伏せられて、美神ハトホルに変貌した後、子を産み育てるヌト女神なるイオカステに変
貌したのある。
 第四に、近親婚により生まれた怪物スフィンクスは、オイディプスにも増して近親婚を遂げる
宿命を担っていた筈である。人類滅亡の神話において、ハトホルは父なるラー神の娘にして
妻のように語られている場合もあるようだ。オィディプスはスフィンクスの謎解きによって近親婚
の宿命を実現してしまった。しかも次の出生の謎解きによって、それが発覚する。王は、スフィ
ンクスと出会わなければ、悲劇を実現しなくて済んでいた。だから、王はスフィンクスと出会って
怪物の宿命を担わされたにすぎないのである。つまり、スフィンクスはオイディプスと出会って恋
を成就し、症例の少女と同じように谷底へ[ fall in (love)」したのである。それは「昨日のライ
オン」が「明日の美神」イオカステへと華麗な変貌を遂げる事の象徴的表現なのである。
 第五に、他のスフィンクスの謎の答えで「昼と夜」に従えば、昼=真昼の太陽光線を象徴
する獣のテフヌトは、双子の姉妹である月下美人を産まねばならない。この似ても似つかぬ
想像だにできない貴婦人とは、やはりイオカステをおいて他にいない。
 第六に、スフィンクスはハトホル=Xでもなければテフヌト=Zでもない半人半獣=『?』
の存在であったが、謎が解かれたからには、その姿に決着をつけねばならない。神話上、解け
ない者は殺したのだから、解けた者を愛するのがギリシャ神話の典型的結末である。その為
にスフィンクスはハトホル=Xとなり、劇中ではイオカステに変貌してオィディプスを愛したので
ある。
 第七に、「声は一つなのに、二本足でも、四本足でも、三本足でもある」者とは、同時的に
三本足でも二本足でありえる存在である。劇中では、妻(二本足)であり母(三本足)でもあ
る者は、イオカステしかいない。しかも劇中で4本足の存在はスフィンクスしかいない。ギリシャ
神話では多くの人やニンフェが動植物に変身している事からも、スフィンクスがイオカステに変身
したと考えるのが極めて常識的な解答であろう。それは昨日と明日の顔を持ちながら現時点で
は身はひとつのアケル神の姿(=状態)、「エム ケル ウア」のギリシャ的解釈だったのだろう。

 かくしてスフィンクスの謎の答えは、ダミーの答え
「人間」であると同時に秘められた答え
「スフィンクス(自身)」でもあり、その謎の通りスフィンクスは美神イオカステに変貌したので
ある。それがギリシャ人の謎掛けだった。真の答えに従い、謎解きの模範解答を示してみよう。

スフィンクス:「朝に4足、昼に2足、夕に3足のものは何か?」
オィディプス:「答えは人間である。だが、その謎が告げている通り、4足の汝は、次に2足の
        人間として再生して子をもうけ、3足の母となる宿命にある。つまり、太陽なる
        獣テフヌトが、月なる美神ハトホルに生まれ変わるように。すると謎は汝自身
        の変貌を示しているから、答えは、汝自身、即ちスフィンクス(シェスプ・アンク
        と呼ばれた双頭のアケル神の王妃のとる姿=ハトホル・テフヌト)でもある。」

だが、この謎解きには、危険な罠が仕組まれていた。絞殺者は、いずれ絞殺される者となる
ように、謎を解き明かすものは、謎を受け継いで、いずれ解き明かされる宿命を負うのである。
近親婚の申し子スフィンクスの謎とは、4足の娘、2足の妻、3足の母となる近親婚的変貌で
あったのだから、オィディプスは、その忌まわしい宿命を受け継いで、やがて預言者によって近親
婚の事実を解き明かされてしまい、へペル・ラー・アトゥムの名を持つ太陽神と同じように両目
を譲渡するのである。これがスフィンクスの謎と解明の全貌である。

 フロイトは、ソフォクレスの戯曲から学んでエディプス・コンプレックスを指摘した。だが、一側
面を解明したにすぎなかった。本質は、スフィンクスの何たるかにあったのだから。ゆえにエディ
プス・コンプレックスとはスフィンクス・コンプレックスとして、さらなるダイナミックな深層心理として
説くべきだったと考えている。
 人間学という視点に立てば、古代ギリシャ人の方が現代人を凌駕しているのかもしれない。
スフィンクスこそが、娘でもあり妻でもあり母でもあり、エディプス・コンプレックスの権化だったと、
ギリシャの文人は承知していたであろう。その英知を結集させたスフィンクスの謎は、解けない
謎であり続け、
不滅の金字塔を打ち立てているに違いない。





















                     あ と が き

 エジプトとギリシャのスフィンクスの謎について、なんとか所見をまとめる事ができま
した。振り返ってみますと、私が論及した「謎」とは、ダブルイメージだったのではない
かと思うようになりました。ワジェト(コブラとパピルス)に始まり、ホルエムアケト(カフ
ラー王坐像と大スフィンクス)、レキト(献身愛と崇拝)、二頭立て戦車(モント神と馬)、
ティイのカメオ(アケル型奉献スフィンクスとレキト)、ヘル・ウベンのアケル神(両端を
繋ぐ神と玉座の脚)、ギリシャスフィンクスの誤解(女性スフィンクスとティートーエス)、
ギリシャ女性スフィンクスの姿(ハトホルとテフヌト)、ギリシャスフィンクスの謎(人間
とスフィンクス)。
 エジプト人は、主たる神々を習合させてラー・ハラクテイ、アメン・ラー、ハトホル・テフ
ヌトを信仰の対象としました。また多くの神々は獣面人身でありました。王冠はプシェ
ントとなり、鏡の取っ手はハトホルで、コブラやスカラベまでもが鳥の翼をつけていまし
た。だから必然的に多くのダブルイメージが創作されたに違いありません。気がつけ
ば、私は集中して、それらを解明の対象としていたようです。
 この一年半、寝ても覚めてもエジプト!スフィンクスでした。これほど楽しく充実した
日々は、我が生涯で初めての体験でした。
 私にとりましては、ライフワークのひとつでありましたが、当初は惨憺たる内容でご
ざいました。しかし、鍵となる重要な資料・視点の多くは、文中でも述べておりますよ
うに、西村洋子先生から賜りました。その御厚情に深く感謝する次第でございます。
 最後で、誠に恐縮でございますが、西村先生に感謝の意を表わしたく、お礼申し上
げます。行き届いたご指導を賜り、誠に有難うございました。友人である新免先生か
らも、ご教示を賜り、お礼申し上げます。有難うございました。
  
        平成十九年五月一日                 小橋 隆宗



        第2章以降 引用文献及びサイト 一覧

@ 「スフィンクスの秘密」 S・ハッサン 酒井傳六訳 社会思想社 1982.8.30
A 「古代エジプト史料館」 西村洋子 http://www.geocities.jp/kmt_yoko/
B 「THE GODS OF THE EGYPTIANS」 E.A.W.BUDGE 
  DOVER PUBLICATIONS,INC 1904 republication 1969
C 「体系世界の美術3 エジプト美術」 責任編集 杉勇 学習研究社 1972.7.31
D 「世界美術大全集 エジプト美術」 責任編集 友部 直 小学館 1994.4.10
E 「NHK日曜美術館名画の旅 美の誕生 先史・古代T」 監修 木村重信他
   講談社 1994.5.20
F 「NYTスペシャル エジプト5000年をゆく 1 ファラオの眠る谷」 監修 吉村作治
  日本テレビ放送網株式会社 1982.4.14
G 「大エジプト展 ドイツ民主共和国 ベルリン国立博物館(ボーデン博物館)蔵」
  翻訳 上松美和子 日本テレビ放送網株式会社 1988
H新潮古代美術館 1 オリエントの曙光」 江上波夫 他著 新潮社 1980.8.30
I「Lost Treasures from Iraq」
   http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/categories/c18_6_44_36.htm

J「古代エジプト文字手帳」 松本弥 株式会社弥呂久 1994.7.20
K「ギリシャ神話入門」 吉田敦彦著 角川選書 2006.5.31