第3章 オリエントのスフィンクスとグリフィンに見る
     エジプト文化の影響  


エジプトでは古王国のBC2550年頃に大スフィンクスが建造され、続く第五王朝に
は、立ったスフィンクス像も制作されていた。周辺諸国は、どうであったのだろうか。


Cylinder seal and modern impression: king beforea god on a throne
with bulls'legs,above human-headed bulls
, Old Syrian; 1820〜1730 B.C.Syria
http://www.metmuseum.org/home.asp


私の知る限り、エジプト以外で確認できる最も古いスフィンクスは、この円筒に於いて
である。だが、アテフ冠を戴き前足で動物を押さえつけるテーマは、エジプトに倣った
と推定できる。それは、モント神を彼等の神話に組み込んだ表現であるに違いない。
また、背を向け合った人頭牡牛の背に王らしき人物が座すというテーマも、同じく背
を向け合ったアケル神がアケトを背負う姿に由来しているだろう。




 左の王妃メレレトの胸飾りには、センウセレト3世の即位名カカウラーがある。王の在
位はBC1878〜1843年とされているG。シリアの円筒印章はBC1820〜1730年と
されており、
その年代からしても印章のスフィンクスがエジプトの影響を受けて制作され
たと見なすべきだろう。ただし、エジプトのスフィンクスは翼を閉じているのに対し、シリア
の場合は、翼を広げている。その点は、シリアのアイデアのようで、エジプトでは、新王
国に至って初めて女性スフィンクスが翼を広げた。





円筒印章と殆ど同時期なのだが、アナトリアでは女性スフィンクスが出土している。


Furniture support: female sphinx with Hathor-style curls,Old Assyrian Colony;
1820〜1740 B.C.Anatolia,
 http://www.metmuseum.org/home.asp

家具の脚であったようだが、斬新な表現である。なぜなら、エジプト史上、座る女性
スフィンクスは存在しないからだ。だが、コブラらしきものを額に付けており、ハトホル
の特性である巻き毛(menat hair)を持っている。前章においてスフィンクスは、男性
ならモント神であり、女性ならハトホル女神と推測していたが、その信仰は、中王国
時代、既にオリエントに波及していたのかもしれない。

続いて新王国の黎明期、クノッソッス宮殿等において特徴的なグリフィンやスフィンク
スの表現を見る。


クレタ島クノッソス宮殿「玉座の間」のグリフィン像。BC1400年頃?Eより。



 これらのグリフィンは、BC800年頃のフェニキアや北シリアで、かなりの象牙作品に
登場する。


黄金製印章指輪 イソパタ王墓出土 BC1450〜1400年頃

この金印の人物表現は、いかにもメソポタミア的である。以下の右端の人物の着衣と
比較すれば明らかになる。両者共、何段かのレイヤード風になったロングスカートを着
ているからだ。


円筒印章 アッカド時代 前3千年紀後半 ロンドン 大英博物館 Hより。

同様の類似を、同時代のアテネの黄金製印章指輪にも指摘できる。


Gold ring representing a cult scene,1500 - 1400 BC Athens National Museum.
http://www.sikyon.com/Mykinai/Art/art_eg03.html


また、上のアテネの金印の右端の女性の頭髪、あるいは帽子もメソポタミア的である。
スカートは言うに及ばないだろう。


Ivory pyxis (jewel box) from a tomb at Thebes,Mycenaean period, 13th century BC.
http://lexicorient.com/e.o/sphinx.htm
http://www.sikyon.com/Thebes/Art/vase03.jpg


この象牙の宝石箱はテーベの墓から出土したようであるが、前肢の付け根から真っ
直ぐに伸びる翼の表現や尖った頭髪の表現などから、メソポタミア的というよりは、
メソポタミアで制作されと考えるほうが妥当かもしれない作品である。


Gold ring representing a cult scene,1500 - 1400 BC Athens National Museum.
http://www.sikyon.com/Mykinai/Art/art_eg03.html


クノッソス宮殿のグリフィンは翼が描かれていなかったが、テラ島では彩色されて描か
れている。ほぼ同一のグリフィンがミュケーネで発見されている。地中海東方の島々と
沿岸諸国は、メソポタミアの影響下にあったに違いなく、少なくともグリフィンやスフィン
クスにおいて、共通した信仰やイメージを共有していたと理解できる。

Eより

かような状況下で、女性スフィンクスも登場していた。
Eより

 この壁画の制作年代が正しいとすれば、オリエントで最初の、翼を広げた女性立脚
スフィンクス像と考えられる。ハトシェプストの人面立脚スフィンクスはBC1400年前後
であるから、それに先行しているようだ。しかしながら、これまで指摘したように、エジプ
トの女性スフィンクスは、折れ曲がった翼を持つがゆえにレキトとの同一化を第一の目
論見としていた。それゆえ伏して翼をひろげている。クノッソスのスフィンクスの影響を受
けたとは、とても考えられない。


 古代オリエントのスフィンクスは、知る限りにおいてBC1820〜1730年頃のシリア
の円筒印章と同時に、アナトリアで家具の脚として表現された。クノッソス宮殿のグリ
フィンは、当初はシリアに倣ったものだろうが、独自のスタイルを完成したように思われ
る。そんな最中で、エジプトは未曾有の繁栄を誇り女性ファラオを誕生させた。このハト
シェプストの繊細で大胆な信仰と美意識は、文化全般に影響を与えたであろう。続いて、
彼女と同様の才知と創造性に富む王妃ティイは、独自のスフィンクス像を完成させた。
超大国エジプトのファーストレディの胸元を飾ったカメオが、周辺諸国の貴婦人達を虜
にした証拠が存在する。

MEGIDDO, IVORY PANEL FOUND IN THE PALACE,DEPICTING A WINGED CREATURE,
DATING FROM CA. 1300 B.C.
http://biblelandpictures.com/gallery/gallery.asp?action=viewimage&categoryid=57
&text=&imageid=7129&box=&shownew=
http://biblelandpictures.com/gallery/gallery.asp?action=browse&categoryid=57&
whichpage=5

ティイ王妃の半世紀後、メッギドで出土した象牙のスフィンクスは、途中で曲がった翼
を持ち、伏せながら両手でカルトーシュを持っている。明らかにティイ王妃のカメオの
模倣である。

OPAL PHOENICIAN SEAL CARVED WITH SEVERAL SYMBOLS AND INSCRIBED 'YZBL',
THE PHOENICIAN FORM OF THE NAME JEZEBEL, THE WIFE OF KING ACHAB,
9TH - 8TH C. B.C.
http://biblelandpictures.com/gallery/gallery.asp?action=viewimage&categoryid=72&text=
&imageid=9028&box=&shownew=

このフェニキアの印章の場合、 'YZBL'の銘がある事からも王妃イザベルの女性スフィン
クスであると推測できる。少し曲がった翼で伏しており、手にはカルトーシュの代わりに
アンクを持っている。この表現も元は、ティイのスタイルに辿る事ができよう。
ほぼ同時代のニムルドでも、類似した表現を見る事が出来る。


Pair of winged, human-headed sphinxes lying back to back with forelegs that are raised
human arms raised towards stylized trees; wear double crowns over headcloths and collars;
http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/objects/1466.htm

翼を広げて伏し、同じく崇めるポーズを取っている。真っ直ぐな翼はメソポタミア的であ
るが、複合冠等を被ってエジプト起源を主張しているから、やはりティイ型スフィンクス
に分類できる。この種の像が横を向いて微笑んでいる作品が2点、出土している。


「Arslan.Tash.ivories.8thCBC」
http://rubens.anu.edu.au/htdocs/bycountry/france/paris/museums/
louvre/antiquities/mesopotamia/Arslan.Tash.ivories.8thCBC/



Openwork plaque with sphinxes, Neo-Assyrian; 9th・th century B.C.Syria, Arslan Tash
(ancient Hadatu) possibly 。象牙。http://www.metmuseum.org/home.asp


上のサイ
トでは、その所見を述べている。
<この象牙のブローチは、シリアのArslan Tashの植民地にある新アッシリア人の建
物から出土したようである。横たわる有翼のスフィンクスは鬘(かつら)を被り、広い首
飾りを付け、前足の下には蓮の花があるが、それらはエジプト様式である。その一方、
顔立ちはシリア的で、丸い輪郭、小さな口に引っ込んだ顎を持つ。しばしば、シリア様
式において、単独の肖像は横顔であり、大きな建具の一部として左右対称の構成に
よって並置される。この作品の場合は二頭のスフィンクスが背中あわせであり、それ
ぞれ異なった情景の一部を構成している。多分、今は失われているが横に立つ木と
共にあったと思われる。(左側の)座っているスフィンクスは鋭い顔つきで帽子を被っ
ており、エジプト様式のタイプとは、かなり異なっている。おそらく男性であろう。鋭い
刻み目で段々になった翼は、両スフィンクスの特徴でもある。>


解説では左の座す男性スフィンクスが、エジプト様式ではないとあるが、トトメス3世
の浮彫には、座すスフィンクスが描かれてあるし、以下で示すBC1000年頃のアメ
ンエムオペトの棺の中には、同ポーズの人面坐像スフィンクスが表されている。だか
ら、その点に関しては不適切な解説と言わざるをえない。
 鬘と首飾り及び蓮の花に手を置くモチーフがエジプト様式と指摘されているのだが、
この女性スフィンクスのスタイルは、エジプトではティイ型でしかない。ただ、シリア人
の様式によって横顔のポーズを取らされたのだろう。さらに、上の二点に酷似した表
現を持つ、座したスフィンクス像も出土している。


plaque in Syrian style with sphinx, Hadatu in North Syria
http://classics.unc.edu/courses/clar047/Hadat Sph.jpg

制作場所と時代が一致することからも、これらの3点は、同一の工芸家集団の手によ
る作品であろうと推測しても、異論は生じないであろう。しかもBC1300年のメギッド
の作品から一貫して共通している点がる。それはクエスチョン型の尻尾である。そこに
共通の意識が感じられよう。
 初めて座る女性人面スフィンクスを紹介したが、実はエジプトにおいて、男神ではあ
るが座す表現は存在していた。

Dより

この対のスフィンクスがアニのパピルスに見られる対のライオン「シューとテフヌト」で
ある事は明らかである。しかも、この棺において初めて表現されたとは考えにくく、そ
れ以前に、参考にされた作品があるに違いない。


シューとテフヌト

ニムルドやアルシュラン・タッシュ及びフェニキアでは、同様の座すスフィンクスが何点か
出土している。

Horse blinker with sphinx, 8th?7th century B.C.;Neo-Assyrian Mesopotamia,
Nimrud (ancient Kalhu) Ivory; H. 4.13 in. (10.49 cm)Rogers Fund, 1954 (54.117.1)

http://www.metmuseum.org/toah/ho/04/wam/ho_54.117.1.htm



Engraving from Nimrud, Phoenicia, panel open worked in ivory, VIIIth century BC
http://www.paleolithicartmagazine.org/pagina65html.html



BC800年頃 ニムルド
http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/objects/497.htm
(ニムルドの作品群は、フェニキアから略奪されたものが大半のようであるそうだ。)



座すスフィンクスを比較すると、顔は左から女性・男性(?)・ライオン・ホルスと統一さ
れていない。ただ正面を見据える3作品はフェニキアのものであるようだ。ライオンで
あれば、それはテフヌトを意味するであろう。それでは、アルシュラン・タッシュの女性
スフィンクスは、誰を表現しているのだろうか?

top: lion head facing left above semi-circle ("aegis"); center: winged scarab beetle
with falcon headdress;bottom: winged, human-headed sphinx, facing left, sun disc over
headdress; scenes separated by floral elements. Iより。
http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/objects/519.htm


下段のスフィンクスは太陽円盤を戴いており、イシスかハトホルである事を示している。
だが、ケペルを挟んで上に位置するライオン女神がいる事から、ハトホルと断定できる
だろう。それは上段でテフヌト、下段でハトホルを示していると考えられる。エジプト人は
左右対象性を重んじて、夫々に同一的存在を描いた、シューとテフヌトのように。同じよ
うにイアフメスの斧の場合は表裏で同一的存在が描かれていた。この場合は、それが
上下において表現されているのである。
アナトリアのスフィンクスからも分かるように、これらの作品の千年も前からアッシリア人
にとってスフィンクスはハトホルだったのであり、ライオンの顔を持つ女神を表すときは、
テフヌトを表現していると推定できる。実際、エジプトのハトホルが、そのまま表現されて
いる作品すらある。
   
左 plaque in Phoenician style with Egyptiangoddess Hathor, NimrudIより。
http://classics.unc.edu/courses/clar047/NimIvHath.jpg

 右手にエジプトの生命を象徴するアンクをも持ち、角の間に太陽円盤を戴く女神は、
ハトホル以外の何者でもない。エジプトの表現がそのまま再現されている。ところが
エジプトに於いては、このように異国の神々がそのまま採用されることは稀だったと
思える。ティイのカメオはアスタルテとされている。だが、その特性は全てエジプト国
内の表現を融合させた結果であった。逆に以下で認められるように、エジプトのスフィ
ンクスは周辺諸国に模倣され、波及した先の特有の表現によって姿を変えながらも
最後までエジプト的要素を保って継承されている。つまり、ティイのカメオが西アジア
的なのではなく、国内よりも周辺諸国で尊ばれて模倣され氾濫した結果、異国風に
思えるだけである。それは作品の制作年代を確認すれば火を見るよりも明らかだ。



この比較図におけるスフィンクスに共通しているのは尻尾で、何れもクエスチョンマーク型だ
という点であるが、それがティイやムートネジェメトの像に倣った事が見て取れる。

それでは、立脚スフィンクスはどうなのだろうか。

ツタンカーメンの遺品の部分。
http://www.molon.de/galleries/Egypt/NatMuseum/Jewels/img.php?pic=5

ツタンカーメンの遺品にみるエジプトの典型的スタイルがBC9C〜BC7Cの地中海や
中近東の各地で見受けられる。


Winged sphinx from Samaria (Israel), ca. 900-850 BCE.
http://ccat.sas.upenn.edu/cgi-bin/ames150?slide=28



PHOENICIAN IVORY PLATE, CARVING OF A WINGED SPHINX, C. 9TH C. BC.
http://bible land pictures.com/gallery/gallery.asp?action=
viewimage&categoryid=57&text=&imageid=7075&box=&shownew=



Syrian Sphinx inlay (800 BC)
http://www.sacred-destinations.com/israel/jerusalem-bible-lands-museum.htm


Openwork ivory plaque , depicting a winged Sphinx found in Salamis (750-600 B.C.)
http://www.kypros.org/Sxetikos/Photo-Collections/Cyprus/page-20b.htm

地中海東方地域の立脚スフィンクスの大半は、エジプトの複合冠を被り翼の開閉以
外の点ではツタンカーメンの作品を忠実に再現している。特に尻尾は高くあげられて
反り曲がっている点が共通している。そこに、クノッソスの女性スフィンクスの影響を
見出すのは不可能であろう。
 スフィンクスにおける伏す・座す・立つの三態のポーズは、何れもエジプト起源であり
オリエントに蔓延していたのである。ただ、以下に見るようにグリフィンだけは、彼らの
スタイルを保持し続けていた。


http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/objects/1437.htm

中王国時代、エジプトのスフィンクスは比較的正確に、シリアに伝わっていた。その頃、
メソポタミアの文化は地中海東部の島々や沿岸地域に波及して行ったようだ。その中
でクノッソス宮殿を中心とした文化は、独自のスタイルを表現しつつあった。新王国が
誕生すると、エジプトは全盛を極め、再び周辺諸国に影響力を強めたようだ。それは、
イスラエルのメギッド、フェニキア、アルシュラン・タッシュの象牙彫刻に繁栄されたよう
である。エジプトの国力が衰えたBC800年頃、それらの地域は、しかしながらエジプト
の文化を取り入れる事に力を注いでいた。ニムルドで多くの象牙作品が出土したが、
エジプトの特徴を備えるスフィンクス像だけでも140点を超えている(2006.10.1現在。
I参照。)それはフェニキアからの略奪品であったようだが、ギリシャ文明の黎明期に、
その東方の地で、エジプトの信仰やエジプト様式のスフィンクスが隆盛を極めていた事
実は見逃せないだろう。エジプトの神々、特にハトホルの信仰やスフィンクス像はメソポ
タミア様式の加工を受けつつも、その活路を切り開いていたのである。