ジェト柱とアンクの象徴について

 
 第1章 アニのパピルス:ラー賛歌のビネット(挿入画)と文書



Aniのパピルス
アニのパピルス:第十五章 ラー賛歌の挿入画
 エジプトの文芸文化の中には、とても印象的でありながらも、一体何を表現している
のか、皆目検討もつかない作品が多く存在するようである。その代表的な作品が上の
ビネットであろう。
 石上玄一郎氏は「エジプトの死者の書」の中で言及されておられるものの、何を意味
しているかについては語っておられない。何故なら、誰一人として、その意味を明確に
することに成功していないからである。楕円の太陽と、それを持ち上げる腕。生命の象
徴であるアンク。その下には、オシリスの背骨と言われているジェド柱。それらの象徴
群に対峙する姉妹、イシスとネフティス女神。彼女たちはオシリス神の復活を祈願し、
それに貢献した女神である。恰もイエスの死と復活に立ち会ったマグダナのマリアの
ような存在である。彼女たちが座っているものは、黄金を象徴する「ヌブ」である。
 石上氏は「周囲には六頭の猿が太陽を賛美している。これはもと黎明に騒ぐ習性か
らして、猿が聖獣とされているからだ。」と解説されておらる。但し、猿というよりは狒々
と言うべきである。エジプト人は、世の誰よりも生物を愛して鋭い観察眼を向けていた。
それ故、尾長猿と狒々とは全くもって違った存在だったのであり、現代人の認識を基
準にしていると、歪んだ評価を下しかねない。
 太陽が接している弓上の描写は天を表しており、それがヌト女神である事は、言うに
及ばないだろう。狒々のいる所は、日の出ずる「バアアカ」山であるに違いない。日の
没する山「マヌ」に対比される。

 このように、上のビネットの各々のモチーフはヒエログリフでもあり、その意味が知ら
れているにも拘らず、その意味は全くの謎である。この謎は解明できるのだろうか?
detail navigation planche 2
http://www.egyptologica.be/papyrus_ani/pa_planche2_hiero.htm

 このビネットは、アニのパピルスの、どのような内容、或いは文章と結びついている
のだろうか?それを明確にする必要に迫られる。上記のサイトは、と区分され
た箇所のエログリフ文を掲載しているが、ラー賛歌ではない。その直前に「ラー賛歌」
が謳われているのだが、該当するヒエログリフ文は下記の資料に頼らざるを得ない。
 「 The book of the dead   E・A・ Wallis Budge   University books  1960」より
「 A hymn to Ra the sun-god  [ chapter XV ] PLATE I  339p〜346p 」を引用さ
せて頂く。ただ、西村先生によると、バッジの翻訳は正確さを欠いているそうだから、
その点を留意して日本語訳を示すが、現代のエジプト語文法を理解した上での解釈
ではないと断っておく。また、ビネットの象徴性と関連していそうな箇所は朱色で示し
た。

念のために、「The Witchy Crypt」で紹介されている英訳文も平行して載せておく。
http://crypt.eldritchs.com/texts/botd/ebod13.html

Text: [Chapter XV.] (1) [1] A HYMN OF PRAISE TO RA WHEN HE RISETH IN THE EASTERN
PART OF HEAVEN.
Behold Osiris Ani the scribe who recordeth the holy offerings of all the gods, (2) who saith:
"Homage to thee,O thou who hast come as Khepera,[2] Khepera, the creator of the gods.
Thou risest, thou shinest,

<「ラー神が東天より出ずる時の賛歌:」
見よ!オシリス・アニ、すべての神々の聖なる供物。彼曰く「万歳、陛下!神々の創造
主へプリ神、御身はヘプリ神として来臨し給う。御身はその玉座に着き、天に昇り給い、>

(3) making bright thy mother [Nut], crowned king of the gods. [Thy] mother Nut doeth homage
unto thee with both her hands. (4) The land of Manu[4] receiveth thee with content, and the
goddess Maat[5] embraceth thee at the two seasons.

<御身が母(ヌト女神)を輝かせ給う。御身は神々の王として玉座に着かれる。(御身が)
母ヌトは、その両腕を伸ばし、挨拶をされる。マヌの山は御身を快く迎え入れる。
マアト女神は、朝と夕に御身を懐く。
ラー神が、栄光・力・真理の言葉を授けられます
ように。>

May he give splendour, and power, and triumph, and (5) a coming-forth [i.e., resurrection] as
a living soul to see Horus of the two horizons[6] to the ka[1] of Osiris,[2] the scribe Ani,
triumphant[3] before Osiris, (6) who saith: Hail

 <また、オシリスの面前で真実を述べたオシリス・アニのカーより命ある魂バーが出現
して、ハラクティ神と対面できますように。

そして彼は語った。万歳!バーの館のすべての神々よ、御身らは、天と地の重さを天
秤で量り、>


all ye gods of the Temple of the Soul,[4] who weigh heaven and earth in the balance, and who
provide food and abundance of meat. Hail Tatunen,[5] One, (7) creator of mankind and of the
substance of the gods of the south and of the north, of the west and of the east. Ascribe
[ye] praise unto Ra, the lord of heaven, the (8) Prince,Life, Health, and Strength, the Creator
of the gods, and adore ye him in his beautiful Presence as he riseth in the atet[6] boat. (9)
They who dwell in the heights and they who dwell in the depths worship thee.

 <天上の供物を死者に授け給う。万歳!タチュネンは唯一、人間と神々の創造主、
東西南北でラー神を天の主、神々の創造主なる王と崇めさせ給う。
命・力・健康あれ!
アンジェト船の中にまします、麗しきその御姿を崇め給え。御身への天上の賞賛あり。>


Thoth[7] and Maat both are thy recorders. Thine enemy[8] is given to the (10) fire, the evil
one hath fallen;his arms are bound, and his legs hath Ra taken from him.

<御身への地上の賞賛あり。トトー神とマアト女神は、日々毎日御身の進路を定め給う。
御身の敵なる蛇は炎に投じられる。悪蛇セビウは、ねじ伏せられ前肢は鎖に繋がれ
後肢はラー神によって引きちぎられる。>


The children of (11) impotent revolt shall never rise up again.
The House of the Prince[1] keepeth festival, and the sound of those who rejoice is in the (12)
mighty dwelling. The gods are glad [when] they see Ra in his rising; his beams flood the world
with light. (13) The majesty of the god, who is to be feared, setteth forth and cometh unto
the land of Manu; he maketh bright the earth at his birth each day; he cometh unto the place
where he was yesterday. (14) O mayest thou be at peace with me; may I behold thy beauties;
may I advance upon the earth; may I smite the Ass; may I crush (15) the evil one;

may I destroy Apep[2] in his hour[3]; may I see the abtu[4] fish at the time of his creation,
and the ant fish in his creation, and the (16) ant[4] boat in its lake. May I see Horus in charge
of the rudder, with Thoth

<反逆児は決して立ち上がれない。年長者の館は祭りが執り行われ、大いなる館では
歓喜の声が響き渡る。神々は、ラー神が玉座に着くのを見て喜び、神の光線によって
世界が光に満ち溢れる事を喜ぶ。この聖神たる陛下は、旅路に赴いてマヌの山に達
するまで進み給う。大地は、日々大神の誕生によって光り輝く。大神は、昨日いた所
に達するまで進み給う。

 鳴呼!御身はなんと平安であるのか。御身の麗しき御姿を眺めさせ給え。私にも、
地の上の旅をさせ給え。
私に(悪の化身たる)ロバを滅ぼさせ給え。私に悪蛇セビウを
切り刻みさせ給え。>


may I destroy Apep[2] in his hour[3]; may I see the abtu[4] fish at the time of his creation, and
the ant fish in his creation, and the (16) ant[4] boat in its lake. May I see Horus in charge of
the rudder, with Thoth and Maat beside him; may I grasp the bows of the (17) seket[1]boat,
and the stern of the atet boat. May he grant unto the ka of Osiris Ani to behold the disk of
the Sun and to see the Moon-god without ceasing, every day; and may my soul (18) come
forth and walk hither and thither

<力が絶頂に達したアアペピ蛇を、私に滅ぼさせ給え。季節におけるアブジュ魚や、イン
ト魚がその湖でイント舟の水先案内をすのを見させ給え。トトー神とマアト女神を両側に
伴いながら(ラーの舟の)梯子係りを務めているホルス神を、私に見させ給え。
私にセケト船の二重綱やマンジェト船の舳先の綱を握らせ給え。私が毎日、間違いな
く太陽を崇め月を眺められることを、ラー神がお許し下さいます様に。私のバーがあち
こち訪れ、しかもどちらでも迎えられて出現できますように。
>


and whithersoever it pleaseth. May my name be proclaimed when it is found upon the board
of the table of (22) offerings; may offerings be made unto me in my (24) presence, even as
they are made unto the followers of Horus; may there be prepared for me a seat in the boat
of the Sun on the day of the going forth of the (26) god; and may I be received into the
presence of Osiris in the land (28) of triumph!

<我が名が呼ばれますように。供物を授かる者の名が記録される台座に、我が名が記
されているのを見つけられますように。
ホルス神の従者として(オシリスの)面前で、葬送用供物の食事が私に授けられます
ように。神が航行され給う日に、太陽の船の席が私のために用意されてますように。
真理の声の地のオシリスの面前で、私がオシリス・アニの魂カーを授かりますように。>

 ビネットは、我々の常識に従えば賛歌の内容をイメージ化したものなのだが、そうで
はなさそうである。何故なら、ビネットの前後の文書を見ても、それを解説するような内
容が見当たらないからである。恐らくこのビネットは、その祈願をより実現するために
添えられたのだろう。
 賛歌の概要は、オシリス・アニがラー神への賛辞を述べてご加護を乞うものであり、
その魂までもが受け入れられる結果、ラー神の随行員として太陽の船に乗り、永遠
の命が保障される事を願うものであろう。


    第2章  ジェト柱の象徴について

 ジェド柱に関しては、優れた研究がネット上で報告されている。その功績に敬意を
表しながら、このサイトの研究成果を報告させて頂く。

「The Concept of the Djed Symbol」 http://www.pyramidofman.com/Djed/


「Two ivory Djed pillars found in a First Dynasty tomb at Helwan.

 「The ancient Egyptians divided the sky into two parts in very early times,
with the Eastern end resting on the 'Mountain of Sunrise' and the Western
end on the 'Mountain of Sunset'. Later a division into four parts was made
and the four corners of heaven were protected by four gods.
 Heaven is described in the Pyramid Texts as resting on the staffs of these
four gods indicating that the quartering of heaven occurred at a very early
time, before the Pyramid Texts were written.

 「かなり早い時代に、古代エジプト人は、天を『日の出の山』のある東の端と『日没
の山』にある西の端に二分していた。後に四分割されたので天は四隅が造られたが
四神によって守られた。
 ピラミッド・テキストによれば、天の四分の一を示すこれらの四神が天を陣取ったの
は、ピラミッド・テキストが表される以前の、かなり前の時代の出来事と記している。」

その根拠として、このサイトは、以下のピラミッド・テキストの三つのUtterranceを挙げ
ている。その一部を挙げて翻訳しておく。

 「Utterrance 264
 I have summoned them, and these four gods who stand at the 
 staffs  of the sky bring them to me that may tell my name to Re
 and announce my name to Harakhti :」
 「余は、彼ら(判事)を召喚したのだが、天の支えに立つこれらの四神は余がラー神
 に名前が告げられるように、ハラクティ神によっても呼ばれるよう、彼らに計らった。」

 「Utterrance 556
 [O you four gods who stand at the supports]of the sky,my father
 Osiris the King has not died the death,for my father Oairis the
 King possesses a spirit in the horizon.」
 「嗚呼、天の支柱に立つ四神よ!余の父オシリス王は決して死せること無し。何故
 なら、余の父オシリス王は地平線の精神を所持するがゆえに。」

 「Utterrance 573
 because I am one of these four gods,Imsety,Hapy,Duamutef,
 Kebhsenef,who live by right-doing,」
 「何故なら、余は正義によりて生きるイムセティ・ハピ・デュアムテフ・ケブセネフなる
 四神の一員なり。」

 この具体的な名を持つ四神は、死者の内臓を保管する四つのカノポス壷の神々で、
ホルス神の子供達であった。それを簡潔に解説されてるサイトを、画像を交えて紹介
しておく。

 http://www1.accsnet.ne.jp/~matsui/Brit-Muse/British-Museun.html の解説。
 「ネスコンスのカノポス壷(エジプト:BC1000年くらい)
古代エジプトではミイラを作るにあたり、心臓は体に残し、肝臓、肺、胃、腸をそれぞれ
『カノポス壷』に入れて保存したそうです。」

この四神が、杖を持って天の四隅を支えているのだが、その杖はM13である。このパピ
ルスの茎は、主に「若さ・新鮮さ」を意味するのだが、他方で「杖」や「パピルス柱の間」
をも意味する事は、以前にも指摘している。サイトはこれらの資料を先に挙げて、決定
的とも言うべき証拠を次に挙げている。
 ピラミッド・テキストの「utterance 217」のヒエログリフ文である。



O Re-Atum, this King comes to you, an Imperishable Spirit, Lord of the affairs(?)
of the place of the Four Pillars
 「Krwt=affairs(?)」と訳されているが、フォークナーの辞書によれば「Kr=墓、死
者の国」や「Krw
=低地」と関連していそうにも思える。そこで、やむなく次のように訳
しておく。

 「嗚呼、レー・アトゥム神よ!この王は、天の四支柱のある所の冥界の君主として、
不滅の精神アクとなって、御身の下に来られる。」

このサイトはテキストの "Four Pillars" の表記は、それを並べた
表記、 と同じであるとしている。エジプト人にとって、それは抽象的
概念ではなく、見慣れたパピルスの列柱として具体的にイメージされていた事は明白
である。

サイトは、この列柱を真横の斜め上から見ると、ジェド柱となる事を示した。
Another way of depicting 'Four Pillars' would be to put one behind the other
with each sticking up a bit above the one in front so that it can be seen


Four pillars combined and topped with capitol
サイトは、さらに死せるオシリスの、恐らくはミイラ安置室の柱が、ジェド柱として表現された
イラストを紹介している。

「Horus presenting Osiris with a flower. Under the bier are the four crowns of Osiris.
Note also the four hawks perched on top of the lotus's. 」Mariette, Denderah, IV, 65.


「A similar scene only with Isis at the head instead of Horus. Osiris-Djed in Djedu stands to the right.
Note that the four papyrus stems on either side of the bier in the previous picture
have been exchanged with Djed pillars in this picture. Mariette, Denderah, IV, 71.

ほぼ、両者は同じテーマを扱っており類似しているが、前者は四本のパピルス柱で
あったものが、後者ではジェド柱になっている事を指摘している。それは、ジェド柱が
四本のパピルスを象徴している事を裏付ける資料である。
 これと類似しているのが、ラムセス2世の愛妃ネフェルトイリ王妃の墓壁画である。

http://bymn.pro.tok2.com/karakusa/ptah.html 
「(紀元前1250年ごろ 第19王朝)(ルクソール王家の谷)」
 
 オシリスのセレクの柱はジェドであるが、王妃の捧げ物が興味深い。それは衣類を
表すヒエログリフである。

しかしながら、その布を逆さまにすると天の支柱のヒエログリフとなる。

バッジは、この支柱の解説で、天の四本の支柱のヒエログリフを挙げている。
それを逆さま
にすると王妃の捧げ物となる。これは下記の、パピルスの
上に乗る、ホルスの息子四神と同じ意味を持つと考えられる。


 このように、天の四支柱の表現には創意工夫が施され、シュー神→パピルス柱→
ホルスの息子四神→この四神のカノピス壷→オシリス神、へと移行して行ったようだ。

 パピルス上の四神は、天の四支柱であるが、そのパワーは同時に死者の臓器を
保護して復活させる役割をも担った。サイトは、この信仰が下の「Utterrance 512」
に、認められると指摘している。「jars」とは四神であり、「御身のロータスの上で清め
られるように」と、願われているからである。
「Raise yourself, my father, receive these your Four pleasant provisions-jars,
bathe in the Jackal Lake, be cleansed in the Lake of the Netherworld,
be purified on top of your lotus-flower in the Field of Rushes.」

 ここで再認識しておかねばならない点がある。それは「天を持ち上げて支える神は
ヘリオポリス系神話の「シュー神」という事である。彼らの神話における永遠の聖所は
天翔るラーの舟にあった。それに反して穀物神オシリスの聖所は地下であった。この
相反する神話は、かなり早い時代から結び付けられ、しかもオシリス信仰の方へと傾
倒して行ったため、本来の意味が見えにくくなっている。


ヌト女神を持ち上げ、地の神ゲブから引き離すシュー神。

元来、天ヌトはシュー神が支えていたのだが、それはパピルス柱と見なされ、後にそ
の数が四本と決定され始めると、オシリス信仰の埋葬儀礼に不可欠なホルスの息子
四神が代理するようになってしまった。シュー神は、獅子寝台やミイラ製作台として死
者を支えるものの、ジェド柱はオシリス神化されてしまった。ダブルイメージを受け入れ
る事の苦手な現代人は、そこにオシリス神しか見出さない。だから、理解が困難とな
るのである。エジプト人は二神を一つのイメージ(=ジェド柱)に見ていた事を銘記して
おくべきであろう。
かくしてホルスの息子四神が、シュー神の役割を奪ってしまった様子を、サイトは次の
ように教えている。

In utterances 544, 545, 670 and 688 of the Pyramid Texts, the Four Sons of
Horus lift the king into the sky to be reborn. The same four youths are also
responsible for binding together the reed boats on which the Sun god Re goes
to the horizon in utterance 519, and in 522 they bring the boat built by the
Ram-god Khnum.


 ホルス四神は、亡きファラオが再生するようにと、天に持ち上げるのだが、それは
シュー神が天を持ち上げ支えている事であり、四本のパピルス柱が垂直に立てらる
事でもある。それ故、ジェド柱も垂直に立てられねばならなかったのである。


http://www.enterprisemission.com/tombsweb5.html


 さて、オシリス神は古い時代から、デルタのブシリス、上エジプトのアビュドスで信仰
されていた。対のジェド柱によって記されるジェジュ(=ブシリス)は、つまりはシュー神
の特性をオシリス神に付与した地であろう。サイトによれば、彼らはオシリスを次のよう
に表現した。

「Osiris the Ram, Lord of Djedu 」
また、次のようなイラストも紹介されている。

「The Soul of Osiris incarnate as a Ram 」

 シュー神であったジェド柱はオシリス化し、さらにはオシリスの魂バーともみなされ
た雄羊と融合したので、ジェド柱は奇妙な姿を持つに至った。


 サイトは、異なるオシリス・ジェドを紹介しているが、以下の壁画は、その意味につい
て示唆をもたらす。


http://www.touregypt.net/featurestories/neferrenpet.htm
「The Tomb of Neferrenpet (TT 178) on the West Bank at Luxor」
このオシリス・ジェドは、女性用のドレスを着用していると思われ、左端のネフェルレン
ペトの妻を象徴していると思われる。その表現が多様なのは、個人のオシリス・ジェド
を描いているからに他ならない。


 この壁画のイラストには、ラムセス3世の名がある。中央下には五つのジェド柱が描
かれている。その左右には物を載せた細長い台が描かれてある。注目すべきことは、
両者の色付け・バランスを同一にして、ジェド柱の性格を暗示している事である。つま
りジェド柱は、上に物を載せながらも確りと安定しており支えるものなのだ。しかもここ
では、アンクを載せている。ジェド柱への理解が深まったからには、次はアンクへの理
解が求められよう。


    第3章 アンクとラー賛歌のビネット


 「図説  ヒエログリフ事典 マリア・カルメラ・ベトロ著 吉村作治監修 創元社 
2001.77.10」によるアンクの解説は以下である。
 「このヒエログリフが何をあらわしているかについて、研究者の意見はさまざまに分
かれている。ガーディナーによれば、これはサンダルの緒だという。今日、多くの解説
書がこの説を支持しているが、確かな根拠があるようには思えない。
 魅力的なのはウェステンドルフの解釈で、それによればこれは『イシスの結び目』と
同じような、複雑な結び方をしたリボンの一種をあらわしているのだという。また、やはり
結びをあらわすカルトーシュのように、名前をかこむ魔法の輪とみる解釈もある。」

 対立する三者ではあるが、アンクが紐や縄で作られた物を表しているという認識は
共通している。横長の楕円を好んだエジプト人が、いわば風船形の円を描いたのには
それなりの根拠があるに違いない。そこで、アンクに類似した風船形の円を持つ文字
を、バッジの辞書から拾ってみる。

 マリア・カルメラは、この「similar」を表すヒエログリフを「持ち手のついたミルク壺」
と説明している。その持ち手はアンクの上部と同形であるし、しばしばアンクは手に持
たれている事からも、役割が判明するだろう。ミルク壺の持ち手が風船形をしているの
は、壺の重さによっって変形したからである。つまり、アンクもミルク壺も、下にある物
の重さによって撓(たわ)んだ紐綱だと分かるのである。では、アンクの下には、何が
ぶら下がっているのだろうか?
 私の「論考1 ロゼッタ文とセマタウイ」の第四章で、ネクベト女神の画像を多数紹介
している。女神は、大抵は「シェン」を掴んでいるがジェセル王の壁画ではアンクを掴ん
でいる。
http://www23.tok2.com/home/youda/semataui/semataui.htm

Djoser<His tomb is in Saqqara (Step Pyramid II)> (c2620-2600 BCE)

 この事から、シェンとアンクの共通性を唱える事が出来るならば、ぶら下がっている
物の形が特定される。
「ツアーエジプト」は、見事なアンクのアミュレットを紹介している。
http://www.touregypt.net/featurestories/ankh.htm より。
ラピスラズリで作られている早いAnkhお守り
このアンクは、風船形円と横バーが同質の素材で出来ており、恰もアンクの下げてい
る物が、縦長の棒のように見える。

 こちらのアンクの場合は、風船形円と下の棒の稜線が共通であり、同じ素材である
かのような表現である。ただ、横棒は細かな刻み目がある。以上の二つのアンクから
予想されることは、風船形円と横棒は、カルトーシュの元となった「シェン」ではないか
という事である。それがぶら下げられた縦棒の物の重みによって、風船形に歪んでい
るのであろう。

 これはツタンカーメンの遺品で、アンク型鏡の容器である。「シェン」の下には、エジ
プトのファラオとしてのツタンカーメンの名が刻まれている。「シェン」が「王名」を保護
するものであるから、それがアンクが果たすべき役割であるに違いない。では、縦棒
でありながら王名が刻まれていて、その身分を保証する物とは、何であろうか?
それは、円筒印章である!!

http://manuampim.com/hatshepsut_exhibit06.html

 古代オリエントの円筒印章は、必ずといって良いほど、紐を通すための穴が空けら
れている。国内、国外においてすらもファラオや王侯貴族の身分を立証して保障する
円筒印章が、簡単に紐で結び付けられる筈もなく、「シェン」型結びによって円筒印章
ばかりでなく、所有者の命まで保障する護符となったのである。
 アンクが紐縄で円筒印章をぶら下げたものであるという歴然とした証拠が実在する。

ガーディナーは、「seal-cylinder」について以下のように説明している。

 E31のヤギについて、ガーディナーは「S20の円筒印章を首輪にしたヤギ」として、
「爵位、高位」の意味をもち、及びその関連語の決定詞と解説している。次は、それを
フォークナーの辞書で確認してみる。

E31のヤギはS20の円筒印章を首輪としており、「サーフ」の音価を持っている。だが、
S20の印章は円筒印章というよりは、スタンプ型印章である。何故なら、縦長の円筒
印章の穴も縦長であり、風船形円の下の横棒を印章とすると、前例の無い位置に穴
が空けられている事になってしまう。だから、S20は、「シェン」にスタンプ型印章が取
り付けられたと見るべきである。恐らく放牧されていたヤギの所有者を示すため、烙印
するためのスタンプを首から下げたヤギなのである。この烙印用印章がS20であり、
従来の縦長の円筒印章で持ち手のついたものがアンクなのではなかろうか。E31を
みると、ヤギが下げているのはS20というよりは、アンクに近いではないか!
 アンクは、「シェン」で印章を結びつけたものであると推測したが、末期王朝時代には、
アンク自体が、ペンダント・トップにされた例がある。以下のサイトを紹介しよう。

「Africa's Ancient Kingdoms and Empires
http://www.forumcityusa.com/viewtopic.php?t=81&mforum=africa


「The Ancient Egyptian priest, Horemakhet, wears the Ankh, the symbol of life, once exclusive
to Ancient Egyptian priests. Compare it with the Christian Cross, a symbol of death (of Jesus)
that came thousands of years later


a close up of the priest Horemakhet (25th Dynasty) also wearing the Ankh.

この王子について解説したサイトがある。
http://www.homestead.com/wysinger/horemakhet.html
Statue of Prince Horemakhet (701-690 BC)

「Son of King Shabaka and High Priest of Amun in Thebes during the reign of his
father and his two successors.

He is shown wearing the Egyptian garment but his face is typically Kushite.
Nubia Museum,Aswan, Egypt 」

 クシュはヌビア砂漠とバユタ砂漠の間にあり、ナイルの第三急湍から第四急湍に位
置している。ホルエムアケト王子は、シャバカ王(BC716〜702)の息子であるが、
この末期王朝とされる第25王朝は、ヌビアの王が活躍した時代のようである。ヌビア
とは、日本でいうならば丁度沖縄のような存在であろう。エジプトと交易を持ったり、
征服されたりといった長い歴史を経てエジプト化しながらも、独自のエジプト文化を有
していた。沖縄は日本でありながら、返還されるまではパスポートが必要であった。
第25王朝時代は、オリエントの覇権をアッシリアが掌握していた時代でありエジプト
は国力が衰え、主要都市が存続してはいたが、その全てを統一するに至らぬ状況で
あったようだ。エジプト史上初めて、ホルエムアケト王子がアンクの首飾りをしたのは、
主要都市を訪れる際に、身分を知らしめる必要があり、それを実証する円筒印章を
肌身離さず携帯する必要性があったからに違いない。

 さて、古書ではあるが、エジプト人から見た異邦人を描いた図をイラストで解説した
著書がある。
Manners and Customs of the Ancient Egyptians 
by Sir John Gardner Wilkinson    1836.9.1


http://books.google.com/books?id=ylQEAAAAQAAJ&pg=PA376&dq=Rot-n-no#PPA365,M1

 恐らく、エジプトの壁画や浮き彫りに表現された、武装した異邦人の姿である。それ
は、エジプト独自の表現様式(顔は横向き、肩は正面向き、足は横からの描写)に従っ
て描かれているからである。だが、敵の姿とみなすのは早計である。エジプト人は、敵
を表現する場合にも一定の表現様式に従っていたからである。だから、傭兵であると
みるのが、最も真実に近いだろう。

図下段、左端は「プント」と記されている。次の三人は「ハアルウ」で他は「レチェニュ」
と記されている。この部族について、西村洋子先生の「古代エジプト語基本単語集」に
は、次のような御解説がある。

十字架のようなペンダント・トップを付けた部族はそもそもは「レチェニュ」であったのだ
が、第18王朝以降の彼らの出で立ちであると分かる。John Gardner Wilkinson 
によれば、やはり第18王朝時代の描写のイラストであると分かる。

その一部をクローズアップしてみよう。


 西村洋子先生に、右の部族は弁髪がある事から、リビア人であると教えて頂いた。
異なる部族の着物の生地端の処理を比較してみよう。リビア人の場合、フリンジが襟
にも施されているのが分かる。それに対してハアルウ人にはフリンジ処理がないと判
断出来る。つまり、ペンダント・トップを持つ首飾りである事が確認される。それをスタ
ンプ型印章の「ヘテム」のように、首から外した様子を図案化すれば、まさしくギリシャ
的アンクになると分かる。

硬貨 MINOR  BC.400-380年頃

 レチェニューとは、死海と地中海に挟まれた中央の地域であり、現代のイスラエルの
中央部に属する。キリスト教をユダヤ教の後継者と見なした場合、ハアルウ人こそは
モーゼが民を引率していた時代のユダヤ人、もしくは血縁的に深い関わりを持つ部族
であると推定できるだろう。この流浪の民は、偶像崇拝を禁じていた。だから、彼らが
宗教上・神学上の教義に従った護符を首にする筈はない。流浪の民が、肌身離さず
身に着けていなければならい物とは何か!それは、異国の地を訪れるのに欠く事の
出来ない身分証明であり通行許可書であるに違いない。古代オリエントでその役割に
使用された物は、円筒印章、もしくはそれに起源を持つ彼ら独自のスタンプ以外にあり
えない。
 エジプトは、ナカダ期にメソポタミアから円筒印章について学んだ。それを互いに示し
合ったのは、夫々の国の政府の要人である事は明白である。それゆえ円筒印章を首
にするヤギは、「高貴、貴人」を表すに至ったのであろう。また、このヒエログリフが考案
された先王朝時代から古王国時代、円筒印章がぺンダント・トップとして肌身離さず付
けらていた事を、「サーフ」のヒエログリフは証明しているのである。


 

円筒印章の発明者達が、ネックレスのように携帯する様は、このように表現されたが、
その役割について、エジプト人は神話学的に止揚させたのである。異邦人達は、そ
の身元を保証する印章によって、通行・入国を許されたのだが、それを紛失したり持
たない者は、不法進入者として撃退され殺されたのである。まさしく「アンク」は命綱
によって括られ命を保証するものであった。だから冥界への旅路では、執拗なほどに
アンクを手にして異国の地に通用するパスポートを明示しているのである。また、そ
の用途と効力のため、携帯用円筒印章アンクは、命そのものを象徴するに至ったの
である。

 ところで、ファラオ的な異教の影が薄くなったキリスト教のコプト教会に見られると解説
された、ユニークな「 crux ansata」が紹介されている。

ankh of the death
http://www.tempusmori.dk/ankh.htm

「As the Christian era eclipsed Egypt's pharaonic pagan religion, the sign was adapted by
the
Coptic church as their unique form of a cross, known as the crux ansata.」

 キリスト教的と解説されているものの、この「crux ansata」こそは、アンクの本質
を見事に示している。まず、アンクの下部は、円筒印章のスタイルで、尚且つ中央に穴
がる。風船形円を造る縄が円筒の穴に通される事を実証している。しかも、「ウジャト・
アンク・ジェド・シェン」というエジプト神学を象徴するヒエログリフが刻まれており、円筒
印章の役割すら担っている。アンクの構成要素を「取っ手」と「横棒+円筒印章」と違っ
て把握すれば、それはタウ十字架となる。
 恐らく、初期のキリスト教時代の「crux ansata」は、古代オリエントのネックレス
付き円筒印章やエジプトのアンクに準じて、下部のモチーフに重点を置き換えて行った
と思われる。そのペンダント・トップがイエスの十字架の象徴性を帯び始めたのは、そ
れから幾世紀も経ってからのようである。次に見るクロスは8〜9世紀の作品のようで
あるが、最初に考案された十字架から、さほど時代を経ていないであろう。

「Slavic-Moravian cross pendant (large) 8th/9th century AD.
Exact replica of a Great-Moravian cross from the Mikul ice find.
http://www.antiquanova.com/J2.htm

 しかしながら、イエスの十字架とは、ラー賛歌のビネットにおけるアンクの象徴性と
同一であると思われる。
「Les tombes de Nefersekerou et Dhutmosi,
necropole de la Khokha

http://alain.guilleux.free.fr/khokha_dhutmosi_nefersekeru/khokha_dhutmosi_nefersekeru.html

上のサイトから、ネフェル・セケルウの壁画を紹介してゆく。


 腕のあるジェド柱が、太陽円盤を持ち上げて、東方の山から腕を差し伸ばす女神に
受け渡している。持ち上げる神がシューであり、受け取る女神がヌトであるのは自明
である。別の壁画では、天蓋から腕を差し伸べて太陽円盤を受け取る様子が描かれ
ている。

アニのビネットとほぼ同じ描写であることが分かるだろう。

さらに、同じように狒々が描かれている事も見て取れる。

 ネフェル・セケルウの壁画との比較によって、太陽円盤がヌト女神に手渡され、東天
に生まれ出る様子が描かれている事が分かる。黎明の太陽の再生を、狒々達は祝福
しているのである。このビネットは、下から上に解読してゆくべきである。
ジェド柱は、天の四支柱であるホルスの四神であり、具体的にはアニのカノポス壷を
表現してる。つまり、アニの復活すべき肉体を総称しているのである。この肉体こそが
来世で『サーフ』として蘇ねばならなかった。だからこそ、この肉体はオシリスと同一視
されてオシリス・アニと呼ばれた。その名を授けられた事により、イシス・ネフティスの
再生祈願の魔術を授かる権利を得るのである。この場所は、東天の山の谷底であり、
未だ死者の国に属している。だが、エジプト人のイメージでは、胎児がまさに産み落と
される母体内と認識されていた。生まれ出ようとするオシリス・アニの赴く先は、ラー神
が天がける神々の国であるが、その通過には潔白と身分を証明してくれるパスポート
であるアンクが必要であり、このように誇示されることにより、通過儀礼の成功が保証
されるのである。今や、天をも持ち上げるシューの両腕は、太陽神ラーと融合したアニ
の肉体を、神々の国へ押し出し安産を促進しているのである。天蓋であるヌト女神は、
「母ヌトは、その両腕を伸ばし、挨拶をされる」事を実現し、今すぐ産もうとされている。
この黎明の瞬間に立ち会う狒々達は、オシリス・アニが元気よく「産声」をあげるように
と、産声の真似をして誕生を祝福しているのである。このようなビネットの呪術的効果
により、オシリス・アニは来世に迎えられ、再生するのである!!
 十字架のキリストも、来世へのパスポートであるアンクに同化する事によって、復活
が保証されているのである。それが十字架のイエスをペンダント・トップとするロザリオ
の象徴性であり、それ以上でもそれ以下でもない。

<全体からみると、イエスはギリシャ的アンクに磔されている!>

 オシリス・アニは、数々の呪術効果を有するビネットと呪文に満ちた「死者の書」によっ
て、来世に赴き、願いが叶うのである。
<神が航行され給う日に、太陽の船の席が私のために用意されてますように。>

 そして祝福された死者であるジェド柱(オシリス・アニの肉体)=ミイラ「サーフ」は、
あの世で精霊を宿す肉体「サーフ」
として、来世で持つべき円筒印章を手にして、永遠に不滅で、
しかも平穏な暮らしが約束されるのである。


     2007.12.6             小橋 隆宗

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