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Vol.2 「嫌われちゃってたのね・・・。」 2001/02/08
さて、今回はハンガリーの首都、ブダペストにある建物のお話をしましょう。 (橋)と(銅像) この二つに共通するキーワードは 「昔はフランツ・ヨーゼフだった」 と言う事です。「え?何が?」と思われるでしょうが、そうなのです。(だから何が。) ハンガリーの首都ブダペストは(ブダ)と(ペスト)という2つの土地で成り立っています。 ブダとペストの間にはドナウ川(美しき蒼きドナウ〜♪)が流れていて、そこには橋が8つ架かっています。 その8つの中に "自由橋(ハンガリー語ではSzabadsa'g hi'd :
サバッチャーグ ヒー(ド) ” というのがあります。 この橋はオーストリア・ハンガリー二重帝国時代に建設されたものなのですが、当時は ”フランツ・ヨーゼフ橋(Ferencz Jo'zsef hi'd : フェレンツ・ヨージェフヒー(ド)” という名前だったのです。 オーストリアに支配されてたハンガリーの人々は二重帝国が消滅し、第二次世界大戦が終了した頃に、 とっとと橋の名前を変えてしまいました。 「私たちは誰にも支配されない、自由なマジャール(Magyar : ハンガリー人、ハンガリー国)だ!!」 と・・・。 しかしその後、社会主義国に支配されてしまうんですけどね・・・。 そんな思いで橋の名を変えたのですが、8つの橋の中に ”エリザベート橋(Erzse'bet hi'd :
エルジェーベ(ト) ヒー(ド)” というのがあります。 これはもちろんsissiの名前からとった橋なのですが・・・、今もあります。 しかも傷んでしまったからと、綺麗に改装されました。 真っ白でシンプルな橋ですが、ドナウ川の上に毅然と聳え立っています。 何という事! 何という待遇の違い! フランツ・ヨーゼフ橋のほうは無くなってしまったのに、エリザベート橋のほうは綺麗に改装されてるなんて・・・。 嫌われちゃってるのね、フランツくん・・・。
でもフランツくんの嫌われ度はまだこんなものじゃありません。 ブダペストに”英雄広場”というのがあります。 そこにはハンガリー歴代のヒーローたち(国王や政治家)の銅像が14台ずらりと並んでいます。 この広場が建設されたのもオーストリア・ハンガリー二重帝国。 さて、誰を並べようかと考えた。 次々に決まっていった。 最後の一人をどうしよう・・・。 ハンガリーの人々が望んだのはコシュート・ラヨシュ。 彼はハンガリー革命を指導した人です。ハンガリー独立を願い、ハプスブルグに徹底的に楯突きました。 ハプスブルグ側は要注意・危険人物とみなし、マークしていたので、彼はトリノに亡命してました。 そこでも屈せず、新たな革命のチャンスを窺っていたのです。 フランツくんにとってはそーんな危険人物をヒーローに許すわけがありません。 ハンガリーの人々の願いは聞き入れられませんでした。 (フランツくんここで”嫌われるポイント”getしました!) じゃあどうしよう、誰がいいのかなぁ・・・。 そこで名乗りあげた! ついに来た! 「はい、私が。」 と挙手したかしないか知りませんが、フランツくん、言っちゃったのです。 「フランツ・ヨーゼフの銅像を作ろう。」 と!! (フランツくん、もうどうしようもないほど"嫌われるポイント”getしました!!!) あーあぁぁぁ・・・・。 かくして14人目のヒーローはフランツくんと相成ったわけですが、 大ブーイングのハンガリー市民はその恨みをずーっと忘れてはいなかった。 例のコシュート・ラヨシュが起こしたハンガリー革命から100年経ったのを記念して、1948年、 14人目のヒーロー・フランツくんの像を外して、コシュートの像を置いたのだ!! フランツくんはとっぱらわれてしまったのです!! 何という事! 何という扱い!! そして現在に到るというわけです。 フランツくんはハンガリーの人々にあまり好かれていないようです。 今の若い人たちはフランツくんより、共産主義というお土産を置いていった ロシアの指導者たちの方を忌み嫌ってますが・・・。 当時はフランツくん、大ブーイングだったようです。 あーあ、嫌われちゃってたのね・・・。
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