Tale 9

「準備はいい? 本当に後悔しない?」
 フェリスをはじめ、その場の全員が肯いた。
 だが、エレインの声を聞いて、その場の全員は安心すると同時に言い知れぬ不安が襲ってきた。
 これから何が起こるのかほとんど知らない上に、何をしたらいいのかもわからない。
 そして、これから向かう世界――妖精界――は人間の知らない世界。何があるのか、誰がいるのか、何もかもわからないまま自分たちはそこへ行くのだと思えば、不安にならない方がおかしい。
 その中でフェリクールやアルフィードは、城の外の初めて見る世界に出会えることに興奮しているようだった。いつもはあまり騒いだり、はしゃいだりしないアルフィードもこの時ばかりは外の世界へのたくさんの期待や、ほんの少しの不安が顔を見ればわかるくらい顔に表れている。フェリクールは大きな両目を輝かせて、全身で「早く、早く」と言っているようで、その姿は餌をねだる子犬のようだった。
「僕は後悔しないけど、事情を知ってる一部の人間が今まさに後悔してる最中だと思うね」
 ジュリアスがいつもの――人をからかうような――口調で言う。
 エレインは苦笑した。巻き込んでしまったことを申し訳なく思っているのかも知れない。
 ジュリアスはともかくとして、フェリスなどは「巻き込まれに行った」と言った方が正しそうだが。
「じゃあ、行くわよ」
 そう言うのと一緒に、エレインは両の手のひらを見慣れた巨木に向けた。手のひらに淡い光が灯る。
 フェリスはふと、風が吹き始めていることに気がついた。
 次第にエレインの手のひらに灯る光が少しずつ大きく、強くなる。それに伴って静かだった風も、強くなっていく。
 その光が、エレインを中心に弾けた。視界全てを覆った光は、あまりの眩しさに何もかもを隠してしまう。
 侵すように。
 もしも太陽の側に居たら、もしかしてこんな感じだろうか。
 フェリスは光の中心に手を伸ばす。そこには太陽ではなく、月の光のように穏やかな少女がいる。
 王都にある神殿の、神々を象徴するいくつもの花が描かれたステンドグラスから差し込む光と、静かで厳かな祭壇に漂う静謐な空気。この場所に満ちた光はその空気に似ていた。
「……どうか神々よ、我らにご加護を」
 フェリスは神殿語で呟いた。神殿の正式な取り決めでは、祈りには神殿語のみが使われる。音の響きが美しい。
 もしも今幸せを、神の加護を願うなら、自分のためでも世界のためでもなくエレインのために願おうと思った。
 幸せであって欲しいと思った。いつでも幸せに満ち足りた笑顔でいて欲しいと。エレインは、自分に光を与えてくれたから。
 そしてフェリスは溢れる光の中で、何かを思った。

 

「疑いたいわけじゃない」
 小さな子供のころだった。
 ずっと遠くの、ほんの小さな城下町をぼんやりと見つめながらフェリスは呟いた。
「疑いたくはないんだけど、でもどこかで僕は父さんや母さんのことを疑ってる」
 いつのことだったろうか。自分に言い聞かせるようにそう言っていたのは。
 気持ちを隠しながら、何でもない風を装って両親に接している自分が嫌でたまらない。フェリスは惜しむことなく自分を愛してくれる父親と母親に対しての、"疑う"という行為の罪深さに苛まれていた。
「僕は、父さんも母さんも大好きだ。すごい人たちだと思う。父さんみたいに強い騎士になりたいし、母さんみたいにいろんな人を思いやれる優しい人になりたい。本当に尊敬してるんだ」
 エレインは、ただ黙ってフェリスの言葉を聞いていた。労わるような優しく穏やかな瞳と表情はフェリスの心を落ち着かせるのに十分で、今も彼の記憶に強く残っている。
「でも、この前、僕は父さんと母さんの本当の子じゃないって、誰かが言っていた」
 黙って聞いていたエレインがかすかに眉を跳ね上げる。
「彼らは本当のことを知らないんだ、気にするな、って父さんは言うけど……それが本当なら、僕が本当に父さんたちの子供じゃなかったら、僕は家を継げないのかな。たくさんの人が守ってきたあの家を」
 フェリスは軽く目を伏せた。眉根が寄せられ、美しくも悲愴な空気が漂う。
 美しい人間はどんな表情であっても美しい。フェリスもまた、例外ではなかった。
 フェリスが黙ってからしばらくすると、何か考えているような顔をしていたエレインが口を開いた。
 慎重に言葉を選んで、フェリスに諭すように語りかける。
「フェリスは、お父様もお母様も好きなんでしょう? だったらそれで十分だと思うわ。それに、血が繋がっていても、いなくても貴方は愛されているはずよ。愛されなくては、誰かに優しくなんかできないもの」
 エレインはフェリスに笑顔を向けた。誰もが安心する、天使のようなと言ってもまだ表現しきれないくらいの清らかな笑顔を。
「それにあなたは、あなたのお父様の若い頃とそっくり。単に顔や形だけの話じゃないのよ。特にその瞳が――強い瞳が。一度決めたら意志を貫き通すところも」
 フェリスが俯いたままなのを見て、エレインはあっ、と小さく声を出した。
 ――もしかして、傷付けてしまったかしら。
 何を言えばいいのか、気の利いた言葉が浮かばない。何も知らない、偉業が語り継がれているだけの人間ならともかく、いい所も悪い所も見てきた父親にとにかく似ていると言われて、誰が喜ぶだろうか。自分は自分なのだから。
「ええと……でも、もちろん貴方には、貴方のお父様にはなくて、貴方にしかないものがあるわ。だから……大丈夫だから、ねえ、笑って?」
 少し困ったような顔で、優しく語りかける。
 ――どう考えても自分と同い年くらいにしか見えないエレインが、なぜ昔の父さんを知っているのだろう。
 フェリスは不思議に思ったが、何の偽りもなさそうな口調で話すエレインに聞くことはしない。それに、そんなことをしたら一生懸命自分のことを考えて、慰めてくれたエレインに悪い気がしたから。
 その時、困ったような、でも優しい笑顔を浮かべたエレインと、その時降り注いだ穏やかな木漏れ日とが重なり合って、不思議とエレインが光そのもののように見えた。たった一人で輝ける、光そのもののように。
 それだけでもう、よかった。
 フェリスは救われたかったわけではなく、ただ「大丈夫」だと自分以外の誰かに言い聞かせて欲しかっただけだった。
 その時からずっと、エレインは光だった。

 

 フェリスが目を開けると、いつもの見慣れた顔とエレインが心配そうにフェリスの顔を覗き込んでいた。
 ひとりひとり、少しずつ表情は違えどフェリスのことを心配しているのに変わりはなかった。
 まだ頭はぼんやりとしていたが、ゆっくりと体を起こして眠い目をこすった。次第に思考がはっきりしてくる。
 ここはあのアウリールの森か。
 そう思うと、いつも何かを企んでいそうな、あの意地の悪い笑みを浮かべたアウリールの顔が目の前に浮かんでくる。また会わなくてはいけないのかと思うと、それだけでフェリスは気が重くなってきた。
「心配したんだからね。フェリスだけ目が覚めないから」
 心配そうな顔から怒りの表情へと顔を変えながらジュリアスが言った。ジュリアスの声には怒りの中にもほっとしたような感情が微妙に隠されていることに気付き、フェリスは思わず吹き出した。
 何の意地を張っているんだか。素直に言えばいいのに。
 そう思ったフェリスは、笑いをこらえた顔のままジュリアスを見た。ジュリアスは、フェリスをきっと睨みつける。
「でも、どうしてフェリスだけ? この前だったら気を失っていたのはわかるけど、今回はフェリス以外全員、普通にこっちに来れたわ」
 エレインが首を傾げて言った。笑顔ではなく不思議そうな顔をすると、落ち着き払ったいつもの雰囲気よりも子供らしく見えて可愛らしい。
「どういうこと?」
 好奇心に満ちた瞳でフェリクールが尋ねる。
「この前は妖精界から貴方たちを無理矢理引き込んだのよ。それをやるにもいくつか条件があるんだけど、この前貴方たちはそういう風にここに来たの。でも、私も詳しくは知らないんだけど、別世界と関わる時に片方の世界からだけ干渉をすると空間が歪むらしいのよね。この前、貴方たちが気を失っていたのは、その影響だと思うの」
「さっきのやり方も、こっち側からしか干渉していないんじゃないの?」
 今回の場合、エレインの創り出した光が空間を歪めたか何かしたのだろう、と思っていたアルフィードはそう尋ねる。
 その時フェリクールは、エレインの言ったことを頭の中で理解しきれず次の質問はしなかった。
「あちら側に行くためのきっかけを作ったのは私だけど、長様が扉、というか空間の歪みを半分開いておいてくれたのよ。だから、妖精界側からも干渉されていることになるの」
 言い終えると、エレインは得意げににっこりと笑った。それを見てラディウスは新しく覚えたことを得意げに語る子供の――まるでフェリクールのようだと思い、口許が自然とほころぶ。思慮深いエレインと、何をするにも考えなしに進むフェリクールは一見対照的だ。しかし二人ともが持っている小さな子供のような(フェリクールは実際まだ子供だが)純粋さがよく似ている。二人はなかなか気が合うかも知れない。
「ねぇ、今日はどこへ行くの?」
 少し先に進んだ所で、ジュリアスが疲れたような声で言った。ジュリアスは体力にあまり恵まれていないようだ。
 ――今は魔導師だが、騎士としてでもそこそこの地位につけたはずの父親とは大違いだ。
 フェリスは少しだけ思ったが、口に出すとジュリアスが怒り出すので言わなかった。
「ちゃんと長様の家まで案内するわ。というか長様が"連れて来なさい"って。もうすぐだから、頑張ってね」
 疲れているジュリアスを気遣ってエレインは言った。
 エレインを除くその場の全員が「長様の家」を想像した。長という立場から考えて「家」と表現されるくらいの小さな館に住んでいるとは、誰も思わなかった。「城」や、そうでなくとも「屋敷」と言うにふさわしい所にに住んでいるのだとばかり思っていた。家に対するエレインのスケールが違うという可能性もあるが。
「ほら、見えたわ」
 鬱蒼とした木々の間から見えるのはまさに「家」で、せいぜいミールでも爵位を持たない貴族の邸宅ほどのものだった。それはエルフ族の長という、人間の感覚で言うならば地方領主のくらいにはなるであろう地位にもかかわらず、豪奢な玉座や内装の似合わない小さな「城」だった。
 それを見て、思わずフェリスが呟く。
「あのアウリールの家というから、もっと城のような……大きなものだと思ってた」
 ただ、全く切り開かれていないこの森の中に大きな城があっても、それはあまり似合わない気もするのだが。
「長様だからってこと?」
 悪戯っぽく笑ってエレインが尋ねた。口許に手をやって小さく笑う。
 人間の王とは、ほとんど例外なく贅沢好きだ。
「それもある。けど、アウリールの雰囲気が」
「そうね。わかるわ、それ」
 エレインは含みのある笑い方をして頷いた。
「私たちはね、人間とは違って、自分の地位を見た目でわかるように誇示する必要はないの。ただ、妖精王様だけは大きなお屋敷に住んでいらっしゃるわ」
 エレインは「やっぱり王様だから、少しはね」と付け加えた。
 その言葉に一番反応したのは、王族であるフェリクールとアルフィードだ。
 国王である二人の父親――レイディアは必要以上に贅沢をしないからまだいい。国王や領主の立場にある者が貧相な格好をしていたら、領地の人間が権力や財力を疑って困るから、もちろん多少の金はかける。しかし、継承権の低い王族たちは帝王学をほとんど学ばなかった。そのため、王の何たるかを知らず、実に傲慢で、地位を何かで誇示したがる者が多い。誇示するものは人それぞれだが、屋敷だったり服装だったりする。
 もちろん、そんな人間ばかりではない。
 それにしてもエレインの言う通り、人間の王は城や装飾の豪華さに重点を置き過ぎる。ファイールはまだいい方らしいが、他の国や大陸では城を造るために民に過度な労働を強いる王もいるという。そんな王にだけはなりたくないと常々思ってはいたが、エレインの優しい口調の中にも一握りほど、人間の王に対しての厳しい批判が隠れている気がするのだった。
「……どうしてそんな風にしなくちゃいけないんだろう」
「僕にはわからないけど……でも、そうはなりたくないね」
 アルフィードの漏らした小さな呟きにジュリアスが応える。それまでアルフィードは俯いていたが、ジュリアスを見上げ、淋しそうに笑って肯く。
 アルフィードだけではなく、フェリクールの脳裏にも父レイディアの姿がよぎった。優しく英明な、そして厳しい父。王の威厳を持つべくして生まれたと称えられる王の中の王。そんな父親が好きだったのに。父は変わってしまった。光の、生気の宿らない暗緑色の瞳。鋭い剣のように精神を抉る言葉と声。傲慢な王。自分たちは父親を救えるのだろうか、と思った。
 ラディウスは俯いているアルフィードの頭の上に手を置いて、こたえているくせに何でもないような顔で耐えているフェリクールの方を向きながら言った。
「お前たちは、どうにかなってるレイディアを助けるためにここに来たんだろ? だったらそれだけ考えてればいい。俺も、ここにいる全員も味方だ。そうだろ?」
 同意を求めてラディウスが振り返ると、全員が深く頷いた。二人の表情が、ぱっと明るくなる。
 まるで2人の考えを読み取ったような言葉だった。ラディウスは王子たちに兄のように優しく笑いかけた。
「さあ、長様がお待ちかねよ」
 家を指し示して、また重くなりかけていた雰囲気を拭い去るように、優しい声の中にいつもより多めに明るさを混ぜて言った。
 両開きの扉をバタン、と開け放った。
「ただいま帰りました」
 扉の先にはさして広いとは言えないホールがあり、そこからは突き当りに小さなドアがある廊下が伸びていた。
 フェリスたちのいるホールは吹き抜けで、丸い天窓からやわらかな光が差し込んでいる。
「まあ、はしたないわエレイン。扉は静かに開けなさい」
 顔をしかめて、廊下にいた(見た目は)若い女性がその様子をたしなめた。
 その女性は抜けるように白い肌、そして尖った長い耳と、少し暗灰色かかってはいるが金髪、というエルフの典型そのものだ。どこか高貴で清浄な雰囲気を漂わせていて、妖精というよりは精霊を思わせる。
 水晶のように硬く、限りなく透明な美しさ。それはまた、冷たい氷のようでもある。
 彼女は花を生けていた手を休めて、フェリスたちの方へ歩み寄ってくる。思ったよりも背は高いが、その割に華奢。しかし弱々しい雰囲気はなく、生命力に満ちた女性に見える。
「ごめんなさい。これからは気を付けるから、ね?」
 エレインが上目遣いで謝ると、深くため息をついてからシーリアスは理知的な美貌で薔薇のように微笑んだ。
「注意していないとすぐそうなんだから。まあ、いいわ。アウリールなら上で待ってるから、早く行きなさいね」
 アウリールを呼び捨てにするとは。シーリアスとアウリールがどういった関係なのかは知らないが、そう言うと、フェリスたちの方に視線を移した。にっこりと笑うと硬質の美しさが溶け出し、艶やかに咲き誇る。ためらいなく好奇心たっぷりの、どちらかと言えば好意的な視線を人間たち全員に向ける。その目は、右は青で左は灰色という珍しい色をしていた。
「あら、貴方たちが精霊がた? はじめまして。私はシーリアス。まあ、エレインの育ての親みたいなものかしら」
 さっきまでの近寄りがたい雰囲気は一体どこに行ったのか、別人かと思うほど明るく笑った。陽気で人懐っこい(エルフ懐っこいだろうか)、人好き(エルフ好き?)のする笑顔。
 そして、何が面白いのか知らないが、にやにやしながらシーリアスが続けて言った。
「この子って大人しく見えるでしょ? そりゃあ、この私が色々と教えてあげたんだから、せめてそうでなくっちゃ困るけど。でも本当はねえ、すごいんだから。この前なんて……」
「シーリアス!」
 世間話をするように話し始めるシーリアスを、エレインは顔を赤くして怒鳴った。シーリアスはくすくす笑った。舌をちろりと出して「恐い、恐い」と言いながらまた花の世話を始める。その表情はどこか楽しそうだ。
「……気にしないでね。さ、早く行きましょう」
 はにかみ笑いを浮かべながら、エレインは恥ずかしいのを隠すように元気よく歩き出した。
 廊下の突き当たりの扉の先のいたって普通の階段を上ると、目の前の窓から広大な森や泉が見える。歩いていけば何日かかかると思われるほど遠くに、ただ広い平原が広がっている。ファイールによく似ている。高みから街を、大陸を見渡せば、草原が見える。深い森に囲まれた広い草原。
 フェリスはふと、ファイールに置いてきた家族やアンジェリアを始めとする人たちを思い出した。
 ほとんど誰にも何も言わずにここに来たことを、誰か怒るだろうか。泣くだろうか。笑うだろうか。
 もちろん心配されたくて今ここにいるわけではない。それでも心のどこかでそれを期待していた。
「綺麗でしょう?」
 窓の外の景色に見入っていたフェリスにエレインが声をかけた。フェリスは素直に頷く。
「ああ、ファイールに似てる」
「そう。だけどごめんなさい。今は長様のところに行くのが先だから、今度ゆっくり見てもらえる?」
 そう言うと、ついてくるかも確かめずにドアの方に向かう。エレインに言われてしまえば、フェリスは頷かないわけにいかない。名残惜しそうに窓の外を見ていたが、ジュリアスたちの待っているドアの方に歩き出した。それを見届けると、エレインはドアを軽くノックする。
「エレインです」
「どうぞ」
 部屋の中から声がすると、エレインがドア開けて自分以外を先に部屋に入れた。最後に入ると、シーリアスの言葉を思い出して静かにドアを閉めた。
「やあ、ひさしぶりだね」
 言いながらアウリールは、繊細な透かし彫りの施された椅子を立った。
「全員来たのかい? そうか、礼を言うよ」
 一人だけ一番前に出ていたフェリスの前に立ち、アウリールは手を差し出した。フェリスが手を握り返すと軽く微笑んで、後ろにいた4人にもそれぞれ視線を移していく。
 この前に見たときはすらりとして背が高く見えたが、実はそうでもないらしい。ほとんど目線が同じアウリールを見ながらフェリスは思った。
 ラディウスは、なぜか顔を見るとイライラしてたまらないアウリールにむすっとした顔で尋ねる。少し大人気ないとは思う。だが、"人間、ひとりやふたりはどうしても虫の好かない奴くらいはいる。いたっておかしくないんだ"と自分に言い聞かせた。
「……それで? 俺たちは一体何をすればいい? いきなりあちらさんの本拠地に乗りこんで自滅してみるとか?」
 皮肉たっぷりのラディウスの言葉をさらりと受け流してアウリールが言った。
「そうだな、まず妖精界の中心――イーリスに行って、妖精王に会って頂きたいんだが、精霊がた」
 ラディウスの機嫌が悪いことを知ってか知らないでか、わざとらしく丁寧に言うアウリール。そのまま明後日の方向――窓の方に歩いていく。
「君たちの感覚で言えば、半月もかからないと思うが。もちろん、全てが終わるまでの話だよ」
 全世界の一大事はそんなにあっけなく終わるのか、と不謹慎だがつまらないと誰もが思った。
 アウリールは窓の外を横目で見ながら、意地の悪そうな笑みを浮かべて意味ありげに「君たちの感覚でね」、と繰り返す。
「僕たちの感覚?」
 "何かあるぞ"とあからさまな態度をとるアウリールに、フェリスは眉をひそめて尋ねた。
「妖精界は時の進み方が遅い。今は時の歪みのせいで多少は狂っているけれど、それでも今の妖精界での二ヶ月は人間界での半年。その三月の中の半分くらいは人間界で過ごすことになるだろうから、人間界では大体一年の時が流れることになる」
 窓の外には、小さな光の粒が幾つも幾つも集まっていた。よく見ると、その光の粒は小さな人間――小妖精のようなものたちだとわかる。アウリールはその光を指先や腕に絡ませていた。
「私がなぜ一年も待とうとしているのか解るかい?」
 光を纏った小妖精のようなものと戯れるのをやめると、6人に向き直ってアウリールはそう言った。困ったような、笑っているような、微妙な表情を浮かべている。
「……それは、あちら側の出方を一年待つってこと? しかも貴方は、たとえ人間界に何が起こっても僕たちをここから出させないつもりだね? 僕たちがその中に巻き込まれないように。この世界は比較的安全だから」
 そう言ったジュリアスの顔を見て、アウリールは不思議そうな顔をした。そして訳知り顔でひとり納得したように頷いてから話し始める。
「そうか。君は、この世界に神族の加護があることに気付いているのか。……そうだな、君の言う通りだ。来るべきその時まで私は、君たちに妖精王の元にいてもらおうと思っている。君たちに死なれるわけにはいかない。ただ、最終的な判断は妖精王に任せるけれどね」
 最後はいつもの笑みが戻ったが、いつになく厳しい口調でそう言うと、何か思いつめたような顔のアルフィードを見た。アウリールは小さな少年を慈しむように見下ろした。何か言いたそうなアルフィードを視線で促す。
「アウリールさん」
 覚悟を決めたようにアウリールに呼びかけると、アルフィードは一息に言葉を紡いだ。
「僕はね、僕は僕たちの国を守れるならそれでいいから、お願いだから、僕に力をください」
 熱のこもった声でアルフィードが言う。精一杯アウリールを見上げて、まるで今のこの時間すら惜しいと言うように視線でアウリールを急かしていた。
 アウリールは、片膝をついてアルフィードと目線を合わせた。
「残念だが、私は君に力を与えることはできない。私は超越者ではないから。その力を見つける手助けも、私にはできない」
 首を横に振りながらアルフィードに優しく語りかける。
「力は君の中にある。妖精王の所にならきっと手助けをしてくれる者がいる。妖精王も助力してくれるだろう。だから、君たちにはまずそこへ行ってほしい」
 アウリールは真剣に、そしてゆっくりと言った。しかし、どんなに語る口調が優しくても、どんなに安心させるようなことを言っても、まだ不安がどこかに残る。
「妖精王様はお優しい方」
 歌うようにそう言いながら、エレインがまずアルフィードに微笑みかける。フェリスにも、ジュリアスにも、全員にその笑みは等しく与えられる。仄かな、それでいてあたたかく力強い光が灯るような笑顔。そして声。
「少なくとも、私たちを悪いようにはなさらないわ」
 一層笑みが柔らかくなり、その場の雰囲気が更に穏やかになる。エレインは同意を求めるような瞳でアウリールを振り返り、アウリールはそれに対して深く頷いた。
「俺たちは、そこで何を?」
 エレインが和らげてはいるものの、どこか神秘的な雰囲気に飲まれていつもは騒がしいフェリクールの口数が少なかったことに今まで誰も気付かなかった。
 久し振りに口を開いたフェリクールは不安そうな、けれど意志を固めた深緑の瞳でまっすぐにアウリールの目を覗きこむ。あまりの純粋さに目をそらしたくなるような瞳を、アウリールは苦笑しながら受けとめた。
「私には分からない。全ては妖精王ファイズの御心のままに」
 胸に手を当ててアウリールが答える。
 妖精王の名はファイズと言うのか、とそれを記憶に留めながら、いやに曖昧な答えだとフェリスは感じた。べつに主体性がないわけではないのだろうが、肝心な、一番大切な所は妖精王任せなのがなんだか気に入らない。そう思いつつ、最後の最後を自分で決断しきれない(とはいえど自分で決めざるを得ないので最後は決めるが)自分を棚に上げていることに気付いた。
「もう質問はないかな? そろそろ出発したいのだがね」
 しばしの沈黙の後、今までとは打って変わって明るくアウリールが言う。待ち遠しいような、そして心から嬉しそうな顔をしている。子供っぽく、無邪気な表情だ。
 アウリールが突然、真面目過ぎるほど真面目だった雰囲気をぶち壊しにしたので、今までのペースを崩されてどう反応していいのか誰もが迷っていた。
「どうやって行くの? まさか歩いて行くとか言わないよね。僕はもう嫌。なんか疲れたよ……」
 ジュリアスだけがいつものペースを取り戻して言った。さも面倒くさそうに手と首を横に振って少し歩く、芝居がかった動作をした。そのすぐ後ろにいたフェリスも、げんなりした表情で何度も頷いた。後ろを振り返って見ると、まだ疲れてはいなさそうな顔の他の四人は、疲れたと言う二人を不思議そうに見ていた。
 フェリクールとアルフィードはまだまだ元気が有り余っている。エレインはこの森に住んでいるのだから当たり前。ラディウスはもともとちょっとやそっとで歩き疲れるほど弱くはないし、学習院でよく絞られていたので長話には慣れているのだろう、とフェリスは思った。
 しかし、フェリスとジュリアスにとっては、歩き疲れたというより精神的な疲れがどっと来る感じだった。
「いや。君たちは全員来たし、私は今とっても気分がいい。だから特別に私が『扉』を使わせてあげよう。あ、そうだ、エレイン」
 アウリールは清々しいほどの笑顔を浮かべて言った。機嫌がいいというのは本当らしく、それがそのまま顔に出ている。
「はい?」
「私も一緒に行くからね」
 一瞬、「どうして?」と聞きたそうな顔をしたが、何か思い当たることがあったらしくエレインはポンと手を打った。
「会いに行かれるんですか? だから嬉しそうだったんですね」
 エレインがくすくすと口に手をやって笑うと、アウリールは笑顔のままこくりと頷いた。
「会いに行くって……誰に?」
「秘密」
 フェリスが尋ねたが、アウリールは人差し指を口に当てた。意地悪く笑うだけで、何も答えなかった。

 

 自称、機嫌がいいアウリールに連れられて階下へ下りると、さっきは花の世話をしていたシーリアスがどこかの部屋から出てくるところだった。大人数でぞろぞろと降りてきた七人に気付いてぎょっとしたが、すぐにエレインと同じようにポンと手を打ち、
「会いに行くのね」
 訳知り顔で笑って言った。それにアウリールが頷く。
 アウリールが妖精界の中心――アウリールはイーリスと言っていた――に行く理由は、少なくともエレインとシーリアスにとっては解りきったことらしい。
 それにしても、森の長がそうちょくちょく治めている森を離れていいものなのだろうか。
 フェリスは思ったが、この森はいたって平和そうだから、これと言って何も心配することはない。きっとここに生きるエルフたちは気楽(と言っては聞こえが悪いかもしれない)に過ごしているのだろうと自己完結した。
「ここから行けるんだよ。ここを通れば、歩いて行けば何日もかかる距離が一瞬だ」
 フェリスよりも少し大きな、何の変哲もない鉄の門を指差してアウリールが言った。ただしそこには塀に続いているわけではない門だけが、いきなりそこにあるのだ。
「私がもっと若い時はね、こんなものを造らなくても……まあ何というか、若さゆえの情熱で歩いて行ってたんだけど、私も年寄りだからねえ。自分のためだけにこんなものを造ったんだけど、まさかこんな時に役に立つとは」
 妙にしみじみと呟くアウリール。もう慣れているらしく、にこにこしているエレインと、何なのかよくわかっていないアルフィードを除いた全員が呆れてアウリールを見た。そしてぼそぼそと小さな声で話し始める。
「何なのあの人。見た目はかろうじてマトモだけどさ」
 とジュリアス。それに答えて、フェリスはためらうことなくきっぱりと言い放った。もちろん小さな声で。
「ただのバカじゃないのか?」
「ああいうのはな、もうちょっと放っておいたら勝手にノロケはじめるぞ、きっと」
 ――俺の友達と見た目の年齢は変わんないくせに何が年寄りだか。ラディウスは続けて呟いた。
「うわ。他人のノロケってさ、聞いてると"はい、そうですか"って感じだよね」
 ある意味侮蔑とも取れる表情のラディウスと、もう放っておこうと言わんばかりに首を振るフェリクール。
「ねえ、何やってるの? 早く行こうよ」
 何なのか理解していないアルフィードが、過去に酔っていたアウリールの服の裾を引いた。
 アウリールは引っ張られたのに気付いてしゃがみこみ、アルフィードの頭を撫でた。
「あの口の悪いお兄さんたちと違って君はいい子だねえ」
 やっぱりわけのわからないアルフィードは、とりあえず誉められているようなので照れていた。それを見て、アウリールは笑いながら「かわいいなあ」と言う。
 これはもう、嬉しそうなどという範疇ではない。浮かれすぎてタガが外れている。
「まあ君の言う通り、こんなことをやってると時間が無駄だし、行こうか」
 突然に真面目な顔をして立ち上がり、鉄の門に向き直った。そのテンポには誰も付いて行けない。やっぱり慣れっこらしいエレイン以外は。
 両開きの門を開けても、別に何も変わりはない。その先に見えるのは周りの景色と続いている木々だけ。
「ほら、早く入りなさい」
 手招きをしながら門の奥に進んで行く。アウリールの体が木々に融けて、やがて消えた。
 いっせいに不審そうに門を見つめるフェリスたちにエレインが声をかけた。
「先に行っちゃうわよ」
 いつのまにかエレインと手をつないでいたアルフィードは一回だけフェリスたちを振り返って見た後、エレインに手を引かれて一緒に門の中に消えて行った。
「……ま、四角い頭を柔らかく、ってことだな」
 もう言うこともない。後ろ頭を掻きながらラディウスがそうまとめた。
 門をくぐった瞬間、むずがゆいような、眩暈がするような、何とも言えない不思議な感覚が体を走り抜けた。

 

 不思議な感覚から解放されると、そこにはエレインとアウリール、アルフィード、そして純白の柔らかそうな服を纏った、見たこともない女性が立っていた。
 人間界ではまずお目にかかれないごく淡い緑色の長い長い髪。そして鮮やかでいて深みのある緋色の瞳。背はそう高くない。その割に存在感は大きく、アウリール以上に王者の風格や威厳を備えた女性だった。
 アウリールとその女性が何やら話している。女性の口は始終アウリールをきつく睨んだまま動き、アウリールはそれとは反対に始終笑顔のまま話している。
「あなたは何を言っているんですか。森を放っておいて何をしに来たのです」
「やれやれ。つれないねえ、ファイズ。わざわざ君に会いにここまで来たのに。第一、君はここで待っててくれてたじゃないか」
「確かに貴方を待ってはいましたが」
「ほら、やっぱり」
「ですが、それはあなたを追い返すためです。勘違いしないで下さい」
 ファイズと呼ばれたその女性は無表情にアウリールにそれだけ言うと、最後に入ってきたフェリスたちの方へ歩き出した。アウリールはわざとむくれて見せるが、ファイズはそれを微塵も気にも留めていないようだった。
 その名前――「ファイズ」に反応したフェリスは、ファイズが何か言う前に彼女に尋ねた。
「あなたが、妖精王?」
「ええ、フェリス・クレーマー。私は妖精王ファイズ。この妖精界を預かる者です」
 無表情なままそう言うファイズは無機質な感があって、ともすれば人形のような印象を与えかねない。それでもそう感じさせることがないのは、にじみ出る風格と強い意志、彼女の自我があるからだろう。
「アウリールから少しは聞いているでしょうから、この場での説明は省きますが、あなたがたにはしばらくの間ここで生活してもらうことになります」
「ああ、それは構わないけど。こんな美人サンがいるなら大歓迎」
 ラディウスが、そうとはわからない営業用とも言うべき自然な作り笑顔で言った。ファイズは一瞥して話を続ける。
「私とこの世界は貴方たちを歓迎します。客人としてではなく、この世界の民人として。宴を開きましょう。難しい話はその後です」
「やったあ!」
 にぎやかなことが大好きなフェリクールが飛び上がって喜んだ。難しい話をとりあえず今は聞かなくて済むのも喜ぶ理由だろう。ラディウスは酒宴を楽しみにしているようで、にやにやしている。
「ただし」
 ファイズが横目でアウリールを睨んだ。
「アウリール、あなたは今すぐ帰りなさい」
 結局残ることになるのだが、アウリールはいじけたように俯いた。その姿の滑稽さといったら、フェリスでさえ思わず吹き出したほどだった。

 

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