Tale 7
深い夜の海の色をした瞳が目覚めて最初に映したものは、どこを見まわしても途切れることのない、これ以上ないほど清らかな森と、眩暈がするほど碧い空だった。たった今まで倒れていたため、土が服を汚している。しかし、それさえどこか美しいものに見えてくる。
まるで夢のようだった。
それこそ、妖精たちが住む森のような、おとぎ話の世界のように美しい。自然の中であるというのに、どこかしらつくられたように整いすぎている感があった。
「……ここは、どこだ?」
気を失う前に見た光のせいで目がちかちかする。重い頭に手をあてながらフェリスは立ちあがった。ジュリアスもラディウスも、フェリクールもアルフィードも倒れたまま目覚めない。
少し心配になって倒れている4人に近づこうとしたその時、夢現だった頭が急に現実に引き戻された。
「そこで何をしている!」
甲高い子供の声が森に響いた。寝起きの頭にはかなり不快だ。フェリスが振り返ると、そこには簡単な鎧をつけた10歳くらいの子供の姿があった。
ただしそれは見た目だけで、その耳は尖り、抜けるように白い肌を持ったエルフ族の少年だった。そこから考えると実際はフェリスよりずっと年上だ。それでも、エルフの中では人間の10歳の子供のようなものだ。
その少年はフェリスと倒れている4人をじっと睨み、手に持った弓を力いっぱい引き絞っている。
「何をしていると聞いているんだ!!」
今にも矢を放ちそうな勢いで少年が叫ぶ。あまりにも静か過ぎる森の中にその声だけが響く。
フェリスは黙っていたが、何も言わずにいればいるだけ少年の顔は険しさを増していく。もちろん、魔法を使えばとりあえず切りぬけることは出来るかも知れない。しかしそれでは相手を怒らせることになるだけだ。
できるだけ平和的に解決しなければならない。
だが、話すにも何を話せばいいのか。フェリスは冷静になろうと思いながら、焦って考えていた。
弓を構える少年の手に、より一層の力が入る。
「やめて、ルーフォ!」
草を踏む足音と一緒に、泣き叫ぶような声が聞こえる。女性の声だ。聞き覚えがある。ひどく懐かしい――。
「エレイン!!」
思わずフェリスは叫んでしまった。今は命すら危ないというのに、エレインと再会できた喜びの方が大きかった。
森の奥から走って来たのは、風にそよぐ麦の穂のような金の髪と空色の双眸を持った、そう。エレインだった。
「この人たちは私が呼んだの。攻撃をする人ではないのよ」
エレインは、フェリスたちとルーフォと呼ばれた少年の間に立ちはだかり、腕を広げてフェリスたちをかばった。
「本当か?」
「ええ、長様に聞いてみるといいわ。その間、私はここを動かないし、彼らを逃がさないと約束する。光の神の名にかけて」
弓を構えたまま訝しげな顔でエレインに尋ねたルーフォは「光の神の名にかけて」と聞いた途端、弓を構えていた腕を下ろして、険しかった顔を少しだけ緩めた。だが、まだ隙は見せない。
エレインが最後に言った台詞は、エルフの間ではどんな誓いよりも効果があるらしい。
「わかった。お前を信じよう。光の神の名にかけて」
「……ありがとう」
ルーフォは左手を胸の前に当てた。エレインも同じようにすると、ルーフォがやっと笑った。フェリスには、まだ不信感を漂わせる視線を向けていたが、エレインに手を振りながら深い森の奥に消えて行った。
「エレイン」
しばらくしてルーフォの姿が完全に見えなくなり、エレインが手を振るのをやめた時、フェリスはおそるおそる声をかけてみた。4年ぶりにやっとエレインと再会できたのは嬉しいが、どうしてもぎくしゃくしてしまう。
フェリスの声が聞こえないはずはないが、フェリスに背を向けたままエレインは振り向こうとしなかった。次第にエレインの肩が小刻みに震え始める。泣いているのだろうか。
エレインの肩の震えも落ち着くと、エレインはゆっくりと振り向いた。無理に笑っているような感じで、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「ああ……本当に、何て言ったらいいのかわからないわ。貴方たち人間の4年間は長いのね。フェリスは4年前とはこんなに違うんだもの……どうして時間は、こんなにも人を変えるのかしら」
エレインはエルフ族だ。寿命が人間よりも遥かに長いために、時間の感覚も人間とは違うのだろう。
「あの時は何も言わないでごめんなさい。でも、やっと全てを話せる時が来たの」
申し訳なさそうに眉を寄せながら微笑むエレインが、ひどく痛々しい。ずっとエレインも悩んでいたのだ。本当にあんな風に別れてしまってよかったのか。
芳しい天然の花の香りがフェリスの鼻腔をくすぐる。風がエレインの髪をなびかせるたびに馨るその匂いに、フェリスの頭は穏やかな安堵感と、顔が赤くなっていないだろうかと、ほんの少しの恥ずかしさに支配された。
「ん……」
小さく呻き声が聞こえた。見つめ合いながら二人の世界をつくっていたフェリスとエレインも、後ろを見た。ジュリアスの指先が動いている。
「あっ! エレイン!!」
起き上がるやいなや、よほど驚いているのだろう。ジュリアスはエレインを指差した。それを合図にしたように続々と他の3人も目覚め始める。
フェリクールとアルフィードはさして驚いた様子はなかったが、多少エレインを警戒しているようだった。ラディウスはというと、エレインを見て目を丸くしている。というよりは、見惚れているような感じだ。
「久し振りね、ジュリアス君。ラディウス君も」
エレインに柔らかく微笑まれると、ラディウスも放心状態から抜け出したようだった。そして何やらぶつぶつ呟いている。
「女ってのは、たった4年間でこんなに違うもんなのか……? エレインに関しちゃ、本当は俺ってば手ぇ出せないけど……」
「ラディウス」
フェリスが機嫌悪そうにラディウスを睨んだ。人間、自分に関係のあることに関してはよく聞こえるものだ。
ラディウスが舌打ちをして「地獄耳」と呟いたが、フェリスは何も言わなかった。聞こえているのかいないのか。
「この人、誰?」
首を傾げて、フェリクールが呟いた。隣では、目覚めたばかりのアルフィードが眠そうな目をこすっている。
エレインがそれに気付き、2人の警戒を解きほぐそうと微笑みを浮かべながら歩み寄っていく。その微笑は、決して意識しているわけではない、限りなく自然な笑顔。
「はじめまして。貴方たちのことは長様から聞いているわ、殿下。私はエレイン」
そう言って、より一層優しい笑顔で片手を差し出した。なぜか安らぐ、安心できる笑顔だ。フェリスはその笑顔が大好きだった。何よりも大切に守りたいと思った。たとえ、今この時に世界が壊れるとしても。
フェリクールが手を差し出すと、お互いに軽く手を握り合った。アルフィードがフェリクールの後ろに隠れて、少しだけ顔を覗かせている。
「こっちこそ、はじめまして。フェリスから少し聞いていたけど、こんなに綺麗な人だとは思わなかったよ」
「ありがとう。でも、そんなことはないわ。それこそ、貴方たちのお母様はとても綺麗な方だったもの」
うっとりするような表情でエレインは語った。
「会ったことあるの?」
「昔ね。貴方たちが生まれる前のことよ」
どう見ても、自分より少し年上くらいにしか見えないエレインが、どうして母親に会ったことがあるのかと不思議に思ったフェリクールだが、エレインの耳を見て理解した。エレインは、見た目は同年代に見えても、本来はその何倍もの時間を生きて来たのだ。
フェリクールがエレインの手を離すと、エレインはゆっくりとフェリクールの横に回って少し腰を落とした。
「はじめまして、アルフィード君」
アルフィードと目線を合わせてにっこりと笑う。その笑顔は、薔薇のように艶やかではないが、向日葵のように明るく晴れやかだ。
「殿下」ではなく、「アルフィード」と名前で呼ばれて少し安心したようで、アルフィードも少しだけ微笑む。フェリスはそれを見て安心した。アルフィードはかなりの人見知りだが、一度打ち解けた相手にはすぐに懐く。
いくらアルフィードが大人びていても、王族としての城での生活は実に窮屈だ。誰もが殿下、殿下と呼び、王族は一人の人である前に「統治者」として扱われる。十数年の後、国というとても重いものを背負っていくのだから、当然と言えば当然なのかも知れないが、たった9歳の子供がそれに耐えるのは簡単なことではないはずだ。
フェリクールのように悪戯が過ぎるのはよくないことだ。しかし、そうでなければ王族の少年たちは何を以って窮屈な生活の欝憤を晴らすのか。国は、王子たちに重いものを与え過ぎる。
エレインはそれをわかっているのか、「殿下」という肩書きではなく「アルフィード」という少年自身の名前を呼んだ。たったそれだけのことでも、アルフィードを一人の少年として認めてやれるのだ。
「エレイン」
「なぁに?」
フェリスに呼びかけられて、アルフィードと笑顔で向き合っていたエレインが、淡いブルーのスカートを翻して振り返った。「長様、って誰だ?」
「この森の王様みたいな人よ。ここには、ハイエルフとエルフ……それから、私みたいなハーフが暮らしてるのだけど、長様はハイエルフ。この森で一番強い人よ。今は」
エレインの言葉に疑問を感じたジュリアスが口を挟んだ。
「今は?」
エレインはそれには直接答えずに、にっこり笑って言った。
「これからそれを説明するわ。だから長様に会って欲しい。そのために貴方たちを呼んだの」
「……それが、全てなのか?」
フェリスが独り言とも取れる小さな声で呟いた。
「それは、わからない。でも、全ては定めのままに貴方は知っていくでしょう。そして時間[とき]は螺旋を描き、遥かな原初の海へと沈む……」
フェリスの呟きが聞こえたらしく、歌うようにエレインは言葉を紡いでいく。
「さあ。今、貴方たちには時間が無いわ。行きましょう」
エレインが軽く手招きして歩き始めると、全員がその後に続いた。そして森の奥に進んで行く。
その森は、森と言うより樹海と呼んだほうがしっくりくる。フェリスたち人間は、こんなにも大きな森を見たことがない。頭上から木々の間を縫って光が差しているが、進んでいる方にも後ろにも、まったく光が見えない。
何よりも、空気が綺麗だ。ファイールの森も綺麗だが、その何倍も何十倍も空気が澄んでいる。空気だけではない。もっと他の、口では言い表せないような全てのものが澄んでいる気がした。
他の4人も同じようなことを思っているらしく、歩き続けてもほとんど変わらない、それでもそこに自然の面白みがある景色を珍しそうに眺めている。
フェリスは、こんなことを思い出した。どんな所にでも精霊は存在しているが、その中でも精霊が多く居る場所は空気が綺麗だったり、水が澄んでいたり、そこにいる人々の心を癒したりするらしい。
確かにそうだ。この清浄な空気と木々の全ては、人の世界にはほとんどない。
フェリスは、見たこともないような背の高い木々に見惚れながら、前を歩くエレインの後姿をちらりと見た。
フェリスやジュリアスと同年代の女達と比べて、肩は小づくりで華奢だった。そこには、思わず守りたくなるような儚さと、でもどこかに秘められた内なる強さが感じられた。
これから、自分がエレインを守るのだ。
フェリスがそう心の中で呟いた瞬間、耳を通してではなく、誰かの声が脳の中に直接響いてきた。フェリスは立ち止まった。頭が割れるような痛みと一緒に声がする。
同時に白黒の、色のない世界に佇む少年が振り向いてフェリスを見た。本当に見られている気がしたのだ。でも、世界には色がないのに少年の銀髪がいやに鮮やかに映る。
――守れるはずかないじゃないか。だって、君の手はこんなに、ほら――
囁くように少年は言う。
これは幻なのだと言い聞かせても、戦慄が走る。
そして、ゆっくりと少年は、手をつきつけた。その手は、血にまみれ、少年は笑っている。
――こんなに汚れているんだから――
その表情は、血にまみれた手と正反対の、無垢な、純粋な笑顔。
「う……うわあぁぁっっ!」
ついにフェリスは頭を抱えてうずくまった。
その声を聞いて、フェリスが立ち止まったのは景色に見入っているのだろうと思って先に進んでいたジュリアスもラディウスも、フェリクールもアルフィードも、フェリスが立ち止まったことに気付かなかった前を行くエレインも振り返り、フェリスに駆け寄った。
「フェリス!」
ジュリアスがフェリスの肩を揺さぶる。フェリスの体はかすかに震えていた。
「どうしたの、一体……?」
そう言ったエレインは、何が何だかわからず、そっとフェリスを抱きしめることしか出来ない。眉を寄せて、半分泣いているような顔をしている。
「大丈夫だ……」
体中に駆け巡った戦慄は、止まる所を知らないようだった。それでも何とか抑えつけ、フェリスは精一杯優しく微笑んだ。
「本当に、大丈夫だから」
それでも不安そうに自分を見るエレインを宥めるようにフェリスは言った。
まだ少し心配そうな顔をしていたが、フェリスから手を離してエレインは立ちあがった。
「でも、一体どうしたの? フェリスらしくもない」
ジュリアスが形の言い顎に手を当てて、不思議そうに呟いた。
「いや……何でもないんだ」
「何でもないわけないでしょ」
ジュリアスがそう言うと、フェリクールとアルフィードもそうだそうだ、と言い始める。
「気分でも悪くなったか?」
「あ……ああ、うん」
頭痛がしているのは確かだ。嘘はついていない。
フェリスがそう思いながら返事をすると、ラディウスがフェリスに近づいてきた。すれ違う瞬間、ラディウスが小声でフェリスに言った。
「言いたくないなら今は仕方ないけど、いつか話せよ」
実に自然な行動だったので、誰もラディウスのしたことには違和感は感じなかった。そのままラディウスは森の奥を見た。
「さて、フェリスも気分悪かっただけって言うし、早く行こう。時間が無いんだろう?」
「……ええ」
そう言われてしまっては、フェリスにさっきのことを詮索できないのでエレインはまた歩き出した。
ちらりとエレインがフェリスを振り返った。エレインに悪いことをした、とフェリスは思った。
しばらく木々の間を歩きつづけると、広場のような所に着いた。
「あれが、ここの長?」
エレインが頷く。
フェリスの視線の先には、広場の中央に佇む背の高い男が立っていた。女と言っていいかも知れない美しいその顔立ちは、ある種の神々しさを銀糸の縫い取りの施されたローブと一緒に身に纏っていた。
彼の両脇には、槍を持ち、簡単な胸当てをつけた男が立っている。
その3人全てが、金色の髪と赫[あか]い瞳を持っている。
尖った長い耳から、エルフの血の流れを汲む者たちだとわかる。
「長様、連れて参りました」
そう言いながらエレインが森の長に近づいて行くので、フェリスたちも歩き出した。
「よくいらした、人間の子たちよ。君たちを歓迎しよう」
その声は、決して低くはない。姿だけではなく、声も中性的だった。そして威厳のある声だ。豪華な飾り立てのされた部屋も、宝石と金銀がちりばめられた玉座も無いが、長と呼ばれるにふさわしい風格を持っていると思わせる何かがあった。
人間の王たちは外見にばかりこだわり過ぎだ。本物のカリスマは、豪華な部屋からも玉座からも感じられるものではない。
「貴方は……ここの長と聞きましたが」
長の周りに漂う威厳をものともせずに真っ直ぐに射るようなフェリスの視線を、平然と受け止めながら森の長は微笑をその顔に浮かべて口を開いた。
「いかにも、私の名はアウリール。ここでは長と呼ばれているが……」
アウリール。神殿語で「光差す大地」の意味を持ったその名前は、神が与えたこの森の長への祝福の言葉だ。
「それなら、ひとつ聞きたい。どうして僕たちをここへ?」
「お前、偉大なる長様に何という口の聞き方を……!」
フェリスの言葉に憤り、向かって右側に控えていたエルフの青年が手に持った槍をフェリスにつきつけながら叫んだ。今にも飛びかかりそうな雰囲気の中に、今この場所には不似合いな、珠を転がすような笑い声が響く。
アウリールだ。華奢で弱々しい外見とは裏腹に、なかなかに度胸の据わった男らしい。もちろん、実際の力量もかなりのものなのだろうが。
エルフの青年は、突然の笑い声に戸惑い、どうしていいかわからないようだった。
かわいそうに。
ジュリアスはこみ上げてくる笑いを抑えながら、どうにも掴めない主を持ったエルフの青年に同情した。
「……人間の子よ、私は君が気に入った。私にそう言った口を聞いてくれるのは、私が長となってからは君が久し振りだ」
そう言って、エルフの青年に微笑みながら視線を送ると、青年は槍を収めてアウリールの右隣に戻った。
「君のその度胸に免じて率直に言おう。このままでは、全ての世界は壊れるだろう。時の流れは今、狂い続けている」
わけがわからなかった。普通、突然世界が壊れると言われてピンと来るだろうか。
「それは、どういう……」
ジュリアスが呟くと、アウリールは目を閉じた。長い睫毛が頬に影を落とす。その表情は、どこか物悲しくも見える。
「やはりわからないか……では、君たちは、"原初の海"を知っているかな?」
聞いた事のない言葉だ。フェリクールたち年少組はもちろん、ジュリアスもラディウスも首を横に振った。
「過ぎた時間の、辿り着く場所……」
聞いたことがないはずなのに、無意識のうちにフェリスはそう呟いた。
アウリールは満足そうに頷いた。真意を読むことの出来ない、柔らかな微笑みをたたえて。
「そう。時は螺旋を描いている。そして、過ぎた時間は少しずつ原初の海に沈む。母なるたおやかな水を湛えた海は、全てを飲み込み、時は原初の海へと融けていく」
「……それとどういう関係が?」
「原初の海が時を飲み込んでいく速さと、時の螺旋が未来へと伸びていく速さはいつも一定の速さになっている。でも、海が時を飲み込む速さに変化が生じれば、それが早くなれば? どうなると思う、人間の子たちよ」
誰も口を開かなかった。突然こうもスケールの大きな話をされた上、「時の螺旋」と「原初の海」などというものは、人間が知ってはいけないもののような気がしたのだ。考えてはいけないような気がした。
時を統べるのは神々なのだと。
「時は、全て海へと――」
フェリスは、既にその答えを知っている気がした。考えれば考えるほどわからなくなる。でも、感覚にしたがって言葉を紡げば、わかる、わからないを越えて「知っている」ことにフェリスは気付いた。
「海へと沈んでいく……?」
なぜ自分が知っているのか解らない。解らないけれども知っている。
「その通りだ。君は博識だね。でも、君は解ってはいないと見える。それは何故なのか――」
アウリールは、フェリスの心を読んだように言った。
「それを知りたいのなら、過去を巡れぱいい。生まれる前の君たちの魂を見ればいい」
「わけわかんないよ」
先程のエルフの青年の方を飛びかかってこないかと横目で見ながら、やっとアウリールの纏う神々しい雰囲気にも慣れ、自分のペースを取り戻し始めたジュリアスが伸びをした。
「堅苦しいなぁ。結局さ、あなたは僕たちに何をして欲しいわけ?」
「あえて口にするのなら、この世界を救って欲しい。ただ、別に勇者になってくれと言っているわけではない」
「どうして僕たちがやらなくちゃいけないのさ。僕たちより貴方たちの方が力は強いはずだけど? それとも、僕たちは選ばれた戦士だとか、そう言うこと?」
ジュリアスにそう言われて、初めてアウリールが感情を表に出した。感情の読めない微笑ではなく、苦笑したのだ。
「選ばれたといえば、そうかも知れない。その身に刻印を持つ、精霊の寵愛を受けた者たちよ」
「どうして、それを……?」
ジュリアスは唖然とした。それは秘密なのだ。フェリスも同じように思って、蒼い目を見開いた。ラディウスは口の端を微妙に吊り上げ、アルフィードとフェリクールは互いに顔を見合わせた。
それは、秘密だった。本当なら知られてはいけないことだ。自分が精霊だなどと、放言していいことではない。
「£[レイ]、Ψ[グートゥ]、ζ[ソレイル]、μ[テラ]、ψ[ヴァン]――君たちは、精霊の力が自分自身の力。君たち自身が精霊なのだ。特に、その2人。黄金の獅子と銀狼よ」
フェリスとジュリアスのことを言っているのだろう。黄金の獅子も銀狼も、神々がいつも側に従えているとされている。神殿の教えでは神聖視された動物のことだ。それぞれ、眩いばかりに輝く金の鬣[たてがみ]と、白銀の毛皮を纏った美しい動物だ。 それにしても、人間が神々の世界の動物に例えられるとは光栄なものだ。
「£[レイ]――光の刻印を持つ君たちは、おそらく精霊王たちの魂を受け継いだのだろうな。今、精霊の世界には精霊王が不在と聞く。他の世界に生きていると思われていたが……まさか君たちとは」
アウリールは、空中に指先で5つの刻印を描き出した。それぞれの精霊に対応する刻印。それは、フェリスたち人間にも馴染み深いものだ。精霊たちの額にはその印がある。
そして、フェリスたち5人にはその刻印が刻まれている。
「けれど君たちの中にいない精霊がひとつ。μ[テラ]だ。そしてその刻印は、今ここにいるエレインが持っている」
アウリールが空中に描かれたμ[テラ]以外の刻印を消した。フェリスたちの目がエレインに向けられる。
「私たちの中ではよくあることだ。精霊がエルフ族として転生することは、人間ほど珍しいことではない。ただ……」
「ただ?」
フェリスが促すと、アウリールは微笑み、言葉を続けた。
「ただ、問題なのは、£[レイ]の刻印を持つ獅子と銀狼以外の4人がただの四精霊ではなく、それぞれの属性の長である可能性があるということだ」
地水火風、4つの精霊には、それぞれ長と呼ばれる力の強い精霊がいる。その上に2人の精霊王がいるのだが、フェリスとジュリアス以外の4人が長であるということは、かなりの力を秘めていることになる。あるいは、人間の肉体では耐えきれないほどの力を。
「でも僕たちは、ジュリアスやらフェリスみたいに長っていうほど力があるわけじゃないよ。それはどうなの?」
アルフィードが、問い詰めるような口調でアウリールに尋ねた。
「今まで、全く長が生まれ変わらなかったわけではない。私が見てきた長の生まれ変わりは、いつも共通点があった。それは、生まれてから死ぬまで、さほど力を開花させることがないということだ」
「……ふぅん。まあ、百歩譲って僕たちが四精霊の長だとするよ。刻印はあるからね。力はどうやって蘇るの?」
アウリールは微笑みを崩さずにラディウスの言葉を聞いていた。
「それは、わからないな。ただ、君たちなら出来るかも知れないということだ。それに、長の生まれ変わりの全てが力を開花させずに終わったわけではない。……いい例がいるな。アレン・オフェーリア、彼は風[ヴァン]の長の転生した姿だった」
言い返すことが何もなくなったアルフィードは、黙ってしまった。ほとんど何も知らないのと同じ自分たちには、言いくるめる余地がまったくない。
アルフィードが何も言わないので、今度はラディウスが口を開いた。ほとんど呆れ返ったような顔だ。
「それで? 俺たちにどうにかしろってか……ずいぶんと勝手だな」
「強制はしない。約束しよう」
嘘はついていないだろう。そうは思ったが、ラディウスは食い下がってみた。
「俺たちにはメリットがひとつもない」
「何か欲しいものでも?」
考えてみれば、欲しいものなどこれといって何もない。
それは、ラディウスだけではないだろう。フェリスもジュリアスも、恵まれた生活をしている。王子である年少組は、もらったり出来るものの中で足りないものなどほとんどないはずだ。
ラディウスがまた何か言いそうになる前にジュリアスが話を変えた。ラディウスは明らかにイライラしている。次に口を開くとすれば、明らかに挑発するための言葉をアウリールに投げつけるだろう。
ジュリアスが話を逸らした時、アウリールは、一瞬だけほっとした表情を見せた。
「だけど、どこの誰が、何のために時間を? 時に触れるのは危険な事だって聞いた。自分が飲み込まれてしまうから。それに、そんなことをすれば時の支配――とでも言えばいいのかな……を受けている世界は滅びてしまうのに。どうして自分の世界を壊すようなことを?」
ジュリアスはそこまでまくし立てると、アウリールが何も答えないので大きなため息をついた。
「……確かに、その通りだ。だが君たちは知らないだろうな。たったひとつだけ時の支配を受けず、寿命が巡ることの無い、精神だけが生きる世界をのことを」
「え……?」
ジュリアスが眉をひそめた。時の支配を受けないなど、そんなことがあり得るものか。そう思ったが、ひとつだけ思い当たる世界があるのも事実だ。
「魔界だ」
たったふたつだけ、人間界から確認されていない世界、魔界、心魂界。
魔族たちが精神体ならば、この前の黒馬アズニオンは滅び去ってはいないということだろうか。
「彼らには、"死"という概念が無い。もちろん、私たちの言う"死"に近いものはある。滅びだ。滅びは、存在しなくなること、魂が消えると言うことだ」
アウリールは遠い目をして空を見上げた。
「滅びれば、再び生まれることもかなわない」
フェリスがひとり呟いた。とりあえず、少しは理解したらしい人間たちを見て、アウリールは満足そうに微笑む。
「そうか……時間の影響を受けないから、時の支配が狂っても自分たちが滅びることはない……」
「だから、君たちの力が必要だ。私たちは、精霊に力を借りることは出来る。だが、それには限度がある。君たちなら、精霊の力を"自分の力"として使うことが出来る」
アウリールは少しおどけて、人差し指をジュリアスの目の前につきつけた。
「誰かに頼みごとをするより、自分がその誰かと同じだけの能力を持っているのなら自分がやった方が正確だろう? それと同じことだよ」
「さっきも言ったように、決して強制はしない。君たちの世界に帰って、よく考えるといい。そのために、君たちの世界で言う所の1週間の猶予をあげよう。エレインもそちらへ送ろう。何か聞きたいことがあったなら、エレインに聞くといい」
そう言われて、エレインがフェリスたちの方を向いてにっこり笑った。
「1週間も?」
フェリスは素っ頓狂な声を上げた。そんなに待ってもらえるとは思わなかったのだ。
人間にとっては長い時間だ。だが、アウリールは笑って言った。
「私たちにとってはそんなに長い時間ではないさ。1日あるかないかという所だな」
「ま、当然だな。俺たち、頼まれてるんだぜ?」
ラディウスが意地悪く言ってアウリールを見たが、全くこたえていない様子でいつも通り微笑んでいる。
アウリールはフェリスたちに手のひらを向けた。そこには何色とも表せない光が宿っている。
「さあ、帰るがいい、人間の子たちよ。また会える時を楽しみにしているよ」
ひらひらと手を振るアウリールの姿が一瞬見えたが、すぐに光にかき消された。
目の前に弾けた眩い光が、広がった。
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