Tale 4
エルフェレシア家本館の2階、6フィート(約175cm)ほどもあるフェリスの身長の、2、3倍もの高さがある窓から見下ろす夜の街はとても小さく、存在する全てのものが何ら意味の無いものに思えるほどちっぽけに見えた。
自分の悩みも、そんなものなのではないかとフェリスは思ってしまう。
16年の人生の中、人付き合いもあまり上手くは無かったフェリスは恋愛などしたことはもちろん無く、第一その想い人に会えるかどうかも分からない状態で、どうするべきか考えることも出来なかった。
「・・・エレイン」
遠い一点を見つめながらフェリスはか細く呟いた。
距離はそんなに離れているわけでもない。それに、自分は自由に街を出歩ける。家から1マイルも無い所にある、あの緩い丘に何かがあることはわかっているのだ。まるで城壁のようにそびえ立つあの巨木から光が放たれ、その溢れるばかりの光の中にエレインはいたのだから。風の精霊はその姿を水鏡に映し出したのだから。
フェリスは自分の広すぎる部屋を見回して、壁際にあるベルベットの天蓋付きの大きなベッドへ歩み寄った。
そのまま思いきりベッドへ突っ伏すと、ベッドが痛そうにぎしぎしと鳴いた。
柔らかいベッドへどんどん身体が沈んでいって、いつもの自分ならすぐに眠くなるはずなのだが、どうしても眠れそうにない。 エレインが気になって仕方がなかった。
いつか、ジュリアスが自分に言っていた事を思い出した。
『フェリスはさ、何でも深く暗く考えすぎだよ。たまには前向きに考えてみたら?同じことだって、別の角度から見たら何かが変わるはずでしょ』
全くその通りだと思う。フェリスは、自分はマイナス思考なのだと自覚していた。
今、それを実践してみようとフェリスは試みているのだが、言うは易しというものだろう。ジュリアスに関しては、生来の気質のお陰だ。などと、もうこの当たりで難しく考え始めている自分に苦笑するばかりだった。
フェリスは、風の精霊が見せたあの曖昧な、意味のよくわからない映像を思い出した。そして自分なりに分析してみることにした。全ては、「あの映像は現実のものになる」という仮定のもとで進められた。
まず、あの映像の中の自分は、今の自分とそう代わりの無い姿をしていた。ということは、おそらく近い未来に起こることなのだろう。
そして、エレインもあの映像の中に確実にいた。それは現実に会えるという事を指している。
それは喜ぶべきことではないだろうか。
そう考えた所でフェリスの思考が一瞬止まった。そして突然笑い出し、転がって仰向きになって腕で顔を覆った。
こんなにも簡単なことに気付かないなんて、自分はどうかしているとさえ思う。
いつも自分はジュリアスに救われるのだ。今ばかりは心からジュリアスさまさまだと思えた。
これからも親友のままでいられるならいいと思った。どちらかがいつか死んでしまうまで。
ジュリアスが先に逝った場合を想像すると、また沈みそうなので止めておく。
でも、もし。もし自分が先に死んでしまったら? おそらく実際に口に出すことはないだろう『最高の親友』という言葉。その『最高の親友』はその時、自分のように沈んでしまうのだろうか?
その後も色々と考え出していたが、うちに眠気が襲い、そのまま眠りについた。
翌日は普通に過ごした。いつも通りフェラルドの書店でジュリアスと待ち合わせをして学習院の講義を受けた。その日は精霊についてと他にもいくつかの講義をを受けた。
「一般に、精霊というものは私たちのすぐ傍らにいつも在り、強く願えば力を貸してくれる存在です。そしてその精霊が高位の者であればあるほど術者の法力と強い意志が必要なわけであります。そして、精霊たちの頂点に立つのは精霊王リアリス・エアリスのふたつの存在。彼らは強大な力を有し・・・」
などという、フェリスやジュリアス、ひいては6割以上の生徒にとっては実に当たり前で退屈なことを聞かされた。あまりにも退屈なので、かなり疲れてしまった。そのうち疲労に代わって眠気の出番がやってくるだろう。
「・・・ねぇ、フェリス」
講義の途中、ジュリアスが声のトーンを落として話し掛けてきたので、別によほど大きい声でなければ咎められることもないのにフェリスも自然と小声で答えた。
「何だ?」
「僕はいつも思うんだけど、何でこんな講義受けなきゃいけないわけ? 確かに進級するための条件には単位が入ってるけどさ」
「・・・まあ、いるだけでいいんだから構わないんじゃないのか?」
フェリスはとりあえずそうとだけ答えて、続くジュリアスの教授たちへの愚痴は軽く受け流しておいた。
こんな風につまらない講義の時間は、教養にならずに生徒たちの想像力しか育てることしかできないだろうな、とフェリスはぼんやり考えた。
フェリスは講義中、いつも何かしら考えている。ほとんどの生徒がそうだろう。
たとえば今、別の教授が入ってきてファイール王国についての講義が始まった時だ。
「初代ファイール国王、オフィエル=リンフォルツァンド・バース・ファイールは、精霊の存在すら恐れられていた約2千年前に、精霊王たちを味方につけるほどの法力を持っていた。その頃、ここ一帯は民をまとめる国家も無いまま、昔ブリガンディア王国時代に定められた領主の手によって土地が治められていた。もちろん、貧富の差は土地により大きかった。」
初代国王は偉大な人物としてミールの中心ブロックに銅像が建てられており、今でも頻繁に王宮の者が手入れにやってくる。 あの長い名前を、何年か前に暗唱した人間も講義の席に多い。
「そこで今の領主の息子として生まれたオフィエルは自分自身が統治者になろうと決めたのだ。彼の家は、大陸西方では一番名の知れた領主だった。そして、彼は精霊の力を借りずに、ただひたすら人間の王として国をつくり、領土を広げた」
そして、この講義を聞くたびいつもフェリスは思うのだ。明確な統治者を自分自身だと示した初代国王は偉大だとは思う。だが、精霊王たちがただの人間に力を貸すわけが無い。基本的に精霊は気難しく、自分が認めた相手にしか力を貸さないのが普通だ。それが精霊王たちともなれば、認めるその基準はかなり高い位置にあるだろう。
可能性は二つ考えられた。
まず、オフィエルが妖精の血を引いていた場合。妖精なら、種族やその年齢によっては精霊王たちも呼び出せる。
そしてもうひとつは、オフィエルが高位精霊の生まれ変わりだった場合。これは可能性としてはかなり低い。精霊の生まれ変わりという存在そのものがあまり一般に知られていないからだ。それは一握りの特権階級の人間しか知らない。
そして、それは『常世の子』と呼ばれる。年をほとんどとることがないからだ。
常世の子の身体には、精霊の刻印が刻まれている。もし精霊王たちの常世だとしたら―£―光を表す精霊たちの文字が何処かに刻まれているはずなのだ。
フェリスには分かる。
自分の肩には、それと全く同じ物が刻まれているのだから。
これだけは誰にも言わなかった。
もちろん両親は知っているだろう。知らないはずはない。
刻印の意味を知らないはずも無い。
でも、いつも刻印のことを考えるとフェリスの頭に浮かぶのは泣き叫ぶ3歳くらいの自分だ。それは何故なのか。
そして泣き叫ぶ視線のその先には見覚えの無い若い男女がいる。
いつかフェリスは、自分の思い出を辿った時、3歳以前の記憶が抜け落ちていることに気付いた。
そして、こう考えた。自分は本当に精霊王のどちらかの常世なのではないかと。常世は高い法力の持ち主でなければ宿ることは出来ない。そして、父は自らの剣をファイール王家に捧げる騎士として、母は戦いや法力とはあまり関係の無い所で生きてきた。そんな両親から、常世は生まれるはずがないと思った。
そしてそれなら刻印のことを両親が知らないのも納得がいく。ファイールには、階級は関係無く生まれたばかりの子供を母親自身の手で聖水を使って洗い清める儀式がある。そしてもし裕福な家に生まれた人間なら、その後の世話は雇われた人間がやることが多い。
でも、もし自分が他の人間からエルフェレシアに引き取られてきたのなら聖水で母であるイリアの手により洗い清められることは無い。だから、特権階級の人間でもない世話係が常世のことを知るはずも無く、両親が刻印に気付くことも無いと――。
それに気付いたのはフェリスが6歳ほどのとき。昔から本を読むのが好きだったフェリスは、大人が読むような本も良く読んでいた。そしてある時、何かの文献を読んでいた時に自分の肩にある印と同じ物が書いてあったのだ。
その頃はまだフェリスも幼かったし理解はできなかったので、もう少し大きくなってからよく読んで見ると、それは精霊王の身体にある刻印だった。
それと前後して父親に精霊の生まれ変わり、つまり常世の子のことを聞き、まさかと思った。
多分、それがきっかけだったと思う。自分でもおかしいと思うくらい、両親に対しての態度がよそよそしくなっていった。
両親は惜しみなく自分を愛してくれたし、自分も両親のことが好きだ。そして、何よりフェリスと両親は顔も似ていたから、本当の両親と言う考えも捨てきることは出来なかった。
ただ、それでも血の繋がりがないという可能性を思いついてからは、本当の両親として彼らを真っ直ぐに見られなくなっていた。
そして、今も。
そんなことを考えながら、中庭のベンチにまた沈んだ顔をして座っていたフェリスの頬に冷たい感触がした。
こんな時にただでさえ人を寄せ付けない自分に寄って来るのはジュリアスくらいなものだが・・・。
「フェリス、まぁた考え事?眉間のしわが取れなくなるよー」
茶化しながらそう言ったのは、案の定ジュリアスだった。その明るい口調が、暗く沈んでいたフェリスの思考を柔らかく解きほぐして行く。
「ほら、フェリス。ぼーっとしてるから、もうこんな時間だよ。帰らないと」
そう言われて初めて気がついた。まったくいないわけではないが人は少なく、中庭に居るのもフェリスとジュリアスと、あと数人だけになっていた。
ジュリアスは体格差をものともせずにフェリスの身体を引っ張って立ち上がらせ、その背中をどんどん押していった。
「荷物・・・」
フェリスがまだぼーっとした状態から抜け出せないまま、ぼんやりとそう呟くとジュリアスはより一層背中を押す腕に力を込めて言った。
「僕が忘れるわけ無いでしょ。それより早く! ぼーっとしてないでちゃんと歩いてよね。僕だってアンジェちゃんに色々言われるんだからね!!」
そうジュリアスが言ったとき、フェリスは思わず吹き出した。前にジュリアスの帰りが遅くなったときに、家族の誰よりも早くアンジェリアがジュリアスに駆け寄り言った言葉をジュリアスから聞いたことがある。
彼女は、「ああ、もう! あまりのジュリアスの可愛さに、どこかの変な奴に誘拐されたのかと思ったわ!!」と言ったらしい。 これにはそこにいたジュリアスの両親と兄も大笑いしたという。まあ、その辺の普通の女性より美しい容姿を持ったジュリアスを見ると頷ける。そしてフェリスは、そんなジュリアスを哀れだと思ったものだ。
フェリスが突然吹き出した理由を理解したジュリアスは、高い位置にあるフェリスの頭に背伸びをして手刀を放った。
そうこうして二人が帰る頃には空はすっかり茜色に染まっており、もうすぐ夕日も沈む時間だった。
「でさ、アンジェちゃんったらひどいんだよ。僕にプレゼントとか言ってさ・・・」
ジュリアスが話している途中、フェリスは何かおかしな気配を感じてその場に立ち止まった。今だかつて感じたことの無い殺気というか、いや。殺気というよりは闘気に近いだろう。それも剥き出しの闘気。
「ねぇ、どうしたの? フェリス」
その時、フェリスは自分たちより少し年下くらいの年齢の、子供の声を聞いた。二人の声が重なっている。
「・・・汝が悪しき刃を以って、清らかなる肉を裂け」
そして次の瞬間、人通りの無い、しかし広い路地の真ん中で突然五芒星の形の光がはじけ、その中に朧ろげながら黒い影が見えた。
光がおさまったときにそこに在ったのは、黒い馬のような身体の角があるべき位置と前足と後ろ足の間の両方に、鋭利な黒い刃が生え、尻尾は蛇のようにうねり、普通の馬の尾より何倍も長い。そして何より普通の馬と違うのは金属のように照り輝く肌と、殺気で煮えたぎったような赤く鋭い瞳だ。
そして黒い馬は、その鋭い目でフェリスとジュリアスを射るように見つめている。
そのまま「それ」は素早く飛び上がり、腕のように身体と一体化した刃をフェリスに向けて振りかぶった。
「風(ヴァン)よ!!」
危機一髪、ジュリアスが法力で壁を創り、「それ」の刃を弾き飛ばした。
だが「それ」は、高い所から落ちた時の猫のようにストン、と綺麗に着地した。
「ぼーっとしてないで! 僕も場合によっちゃ、自分だけで精一杯かも知れ・・・うわっ!?」
その時第2撃が来た。今度は精霊魔法にも似た、紫色のような光が「それ」の咆哮と共に放たれた。とっさにジュリアスは自分の周りに翠色の光を纏わせる。
「ジュリアス!」
ジュリアスの方に駆け寄ろうとするが、「それ」に牽制されたので、何とか防御壁を創って持ち堪えた。
派手に衝撃波で飛ばされたジュリアスは、素早く立ち上がった。風の精霊を纏っていたお陰で、全くといっていいほど怪我は無かった。
「大丈夫か」
フェリスは自分の方に走って来るジュリアスに声をかけたが、ジュリアスはもどかしそうに言った。
「そんなこと、気にしてる場合じゃないよ! それよりフェリス、あれやって」
「え・・・?成功率、低いと思うんだが・・・」
弱々しくそう言ったが、ジュリアスは押し切った。
「それでもいいからやるの! 僕が時間を稼ぐ。ほら!」
そう言われて、やっと覚悟を決めたのかフェリスは口をきつく結んだ。
それを見て安心したようにジュリアスは一瞬微笑み、「それ」の方へ視線を移した。
「慈悲深き、清らかなる水に宿りし蒼き水(グートゥ)よ。彼の地に集いて星のひと欠けを描かん」
フェリスの周りに蒼く清浄な光が現れる。
「烈火の如く、荒ぶる力を湛えし熱き火(ソレイル)よ。彼の地に集いて星のひと欠けを描かん」
次いで、赤い炎がフェリスの周りに舞う。
「硬きその意志によって、大地を揺るがす地(テラ)よ。彼の地に集いて星のひと欠けを描かん」
金色の光が羽毛のようにフェリスを包み込む。
「生命の息吹を運び、空を駆け巡りし風(ヴァン)よ。彼の地に集いて星のひと欠けを描かん」
一陣の翠色の風が吹き抜け、螺旋のように駆けていく。
「我が力を糧に、彼の地に集いて最後の星のひと欠けを描き出せ」
一瞬、銀色の光が全てを包み、五つの光が集い、地面から風が吹き上げた。
溢れる光の中から、ジュリアスが無数の炎の矢を「それ」に浴びせているのがぼんやりと見えた。術の完成を察知し、ジュリアスは光の軌道を予測してそこから民家の壁際へ飛び退いた。
「この地に集え、精霊たちよ!」
次の瞬間、優しく温かな光が矢のように黒き異形の者へと真っ直ぐに向かった。
光の束が「それ」に当たったその時「それ」は苦しみ、悶え、音には表せないような叫びを上げ、段々とその形が薄れ、いつしか砂のように崩れ落ち、消えていった。
それは、刹那のことだった。
どこかから、くすくすと笑う声が聞こえた。
「・・・何だったんだ・・・?」
少し汚れた服を払いながらフェリスが呆然と呟いた時、なぜか二人は人の賑わう夜の街の中にいた。
何故今まで考えもしなかったのだろうか。『どうして街の大通りに人気が全く無いのか』と。
道の真ん中に突っ立っている二人に見向きもせず、人々は世間話や痴話喧嘩の中で長い夜を過ごした。
そして、大通りに面した細い路地に、夜の闇のような漆黒の衣を纏った小柄な二人の人間が居た。あるいは、人間ではないかも知れない。彼らの纏う雰囲気は、姿は幼くとも妖しく、そして危険。刺だらけの薔薇の花のよう。
「あーあ。死んじゃったわね、インフェリシオ。可愛いペットだったんだけどな・・・」
暗いのでよく見えないが、口調からして少女のようだ。悪戯がばれた時の子供のように、さっきの黒い馬とフェリスたちの闘いについて呟く。あの異形の獣を『可愛いペット』とは、一体どういう感覚をしているのだろうか。
「でも、あれくらいでなければ僕らがここに来た意味がない。・・・僕は今でも、もっと下級の悪魔で良かったんじゃないかって思うくらいだよ」
少女の声より幾分落ち着いた、抑揚のあまりない声が静かに響く。
「相変わらずキツイわねぇ。・・・んー、でもさ、これからに期待しましょ。まだまだあのコたちの辿る道は長いんだから」
くすくすと、小さく高い笑い声が、空に浮かぶ血で染められた赤い月を彩った。