Tale 2
イリアとブローディアがフェリスの笑顔について話している頃、フェリスは待ち合わせの場所までゆっくりと歩いていた。
あと何時間かすればたくさんの人で賑わう、色々な店の建ち並ぶ広い大通りなのだが、朝早いこともあってか人通りは全くといっていいほどない。
そしてまたもう少し歩くと、今度は少し裏通りに入り、重厚な煉瓦造りの家が見えた。
そこは家を兼ねた書店だ。建てられた年代自体は古い物だが、手入れが行き届いているし、その年月の重みを感じさせる風格を漂わせて荘厳な美しさを醸し出していた。
つい数年前まで、ここは『幽霊屋敷』とすら呼ばれ、伸びっぱなしの蔦の葉も縦横無尽に家に這っていた。そしてその誰も寄り付かなくなった家を安く買ったのが、書店の主であるフェラルドという男だった。
彼は別に貴族でも何でもなく、裕福な商人の家の生まれだった。その当主となった後、家督を息子に譲り、今は隠居している身だ。
そしてここがフェリスとウィンクル家の次男との待ち合わせ場所だ。
「フェラルド、ジュリアスはまだか?」
「いいや、まだた。ジュリアスが来るまで見ていくか?家の書庫を整理して、棚にも幾つか並べておいた。」
フェラルドは、本の並べられた棚を親指を立てて指し示し、フェリスを促すと、しわの入った顔を歪ませて、にっと笑った。
フェリスは、フェラルドの指す方へ歩いていった。
フェラルドがもと幽霊屋敷を買い取ってからまず最初にしたことは、老朽化した庭と家の改装と掃除だった。「買った金より、後のほうが高くついた」と笑いながらよくフェリスに話したものだ。だが、そのおかげでこの屋敷は、貴族の城館にすら負けない風格と美しい外観を取り戻した。
フェリスはここの常連客だ。学問に必要な本はそろっているし、ずらりと並べられた古書の中にも心をひかれるものがたくさんある。もう子供の頃からここに通っているので、ほとんど家族のように付き合うようになっていた。
もう白髪が初老と感じさせる年齢となったフェラルドも、若々しく笑いかける。フェラルドにとっては、フェリスは孫のような年齢だ。フェラルドにしてみると、孫に年寄りくささを見せたくないという心境なのだろう。
フェリスはそんなことを考えていたが、時計に目を移してみた。待ち合わせの10分前だった。待ち人は、その性格から考えて時間ぴったりに来るだろうと思い、それまでフェリスはフェラルドが新しく入れたという本を見ていることにした。
フェリスが本を見始めてからしばらくすると、店のドアにあるベルがからんと鳴った。誰か入って来たのだ。
時計を見ると、待ち合わせの時間ちょうどをさしていた。
女性だろうか。肩が狭く小柄な印象を受ける。小走りにフェリスの方に近づいてきたので、顔立ちがはっきりと見えた。くせの無い、まっすぐで淡い銀色の髪は肩より少し長く、白い肌によく映えている。小さめの鼻はすっと筋が通り、少し垂れ気味の
碧い瞳は透明度が高く、水晶のようだ。
フェリスはその姿を見とめると、手を挙げて声をかけた。
「ジュリアス。」
「おはよう、フェリス。」
フェリスの前まで来ると、変声期を迎える前の少年のような独特な高い声で言った。
ジュリアスと呼ばれていたので、どうやら男性らしい。ジュリアスという男性名を持った女性は、おそらくいないだろう。
背丈は、フェリスよりも4フィート(約10cm)以上低く、そして何より細身を通り越して華奢な体つきが特徴的だ。こんなにも女性的な容姿をしながら、学習院では体躯に恵まれた自分と武芸で1、2を争うとはどういうことだろう、と前々からフェリスは思っていた。
彼について特記すべきことは、彼の法力についてだろう。法力とは、精霊を呼んで魔法を扱うときに使う力のことだが、素晴らしい才能どころか、ファイール中を探したとしても彼ほどの使い手いないだろうといわれるほどの才能を持っていた。ただし、水の精霊(グートゥ)に限りだが。あとは能力的には高位だが、他に同程度の者も居ないことはない。
ジュリアスには一人姉がいるのだが、双子だからか、外見だけでは見分けがつかない。そして彼女は、少々というか、かなり
勝気で負けず嫌いなのだ。それでもその双子の姉はジュリアスよりも武芸の才には恵まれなかったというのに。不思議なこともあるものだ、とフェリスはいつもそう結論付けて思考を止めるのだった。
「あのさ、ジュリアス。エレインって人は憶えているか?」
突然、本を漁る手を止めてフェリスが自分に聞いてきたので、ジュリアスは驚いていた。フェリスは自他共に認める本の虫だ
からだ。本を見ている最中に手を止めてまで話すなんて考えられなかった。
「憶えているけど、でもどうして?会いたくなったとか?・・・ああ、でも、4年前は見つからなかったけど、今なら見つかるかも知れないよね。」
そう言ってジュリアスはフェリスに笑いかけた。フェリスがエレインをどう想っていたのか、彼は知っているのだ。
ジュリアスは、昔から飄々として掴みどころがなかったが、妙に人当たりがよかった。それに対してフェリスは人付き合いに
関しては不器用で、付き合いの長いジュリアスの姉と、強いていうなら母親以外の女性とは関わりを全く持たなかった。つまりは、晩生だったのだ。
「そうかも知れない。いや、多分そうだ。僕は、だからエレインの夢なんかを見たんだろう。」
ずっとフェリスを見上げていたジュリアスだったが、その言葉を聞いて押し黙った。夢を見るほどエレインを想うフェリスにとって、この4年間はどんなにか辛かったのだろう。
とりあえず、そう、とだけ相槌を打っておいた。
一人っ子であるフェリスは、我侭で融通が利かず、兄弟がいないので学校に入るまでほとんど他人と話す事はなかった。
そして、自分が何を言わずとも一人っ子ということで両親に溺愛され、必要なものは全てそろっていたので希望を口にすることは少なく、感情表現も上手くなかった。
対してジュリアスは、フェリスに負けず劣らずの愛情を両親に注がれて育っては来たが、3人兄弟ということで親を独占することはできなかったため、素直に自分の欲しいもの、して欲しいことを口にすることを覚えた。そうでもしなければ、かなり淋しい幼年時代になっていたことだろう。
「その夢のことで話があるんだ。後で話す、試験が終わった後くらいに。」
そういわれて初めて、ジュリアスは今日が試験であることを思い出した。覚えていたとしても、自分は家で勉強などしなかっただろうが。
「4年前、僕がエレインに何か言っていたら、何か変わっていたんだろうか。全てを言わなかったとしても、何か少しでも伝えておけたら。」
まるで懺悔をするように、フェリスは弱々しく呟いた。
「・・・僕きっと、エレインは気づいていたと思うけど。」
ジュリアスは、人の気持ちにひどく敏感だった少女のことを思い出した。フェリスのいない時に彼女はジュリアスに、フェリスの自分に対する気持ちに気づいていることをほのめかしていた。
フェリスの呟きを聞きながら、彼も僕くらい自分の気持ちに素直であったなら、何かエレインに伝えることも出来たかもしれないのに、とつくづくジュリアスは自分と正反対の友のことを同情してさえいた。
昔からそうだ。外見はともかく、4年前、心だけは大人になることを余儀なくされた自分と、愛されて、まだ子供のままでいてよかったフェリス。ジュリアスにとってフェリスは憧れの対象でこそあれ、恨めしく思った事はなかった。
そう思うことを強く戒めていた気さえする。昔の自分が。
ただ、゛自分はたったの3人兄弟なのだ。自分はまだ恵まれている、貴族でもなければもっと兄弟が多いのだから"と自分
を納得させるのにも慣れてしまった自分が恨めしかった。
かなり長い沈黙が流れたが、つとめて明るい声でそれを破ったのはフェリスだった。
「まぁ、悩みすぎても仕方がないか。ジュリアス。後で僕の見た夢のこと、相談に乗ってくれ。」
「もちろん、相談ならいくらでも。お互い様でしょ。」
互いに笑い合うと、学習院の学び舎らしく堅牢で質素な門を通っていった。周りの生徒は試験のせいでざわついていたが、天才肌であるフェリスとジュリアスには、そのざわつきは一生無縁だろうと思われた。
そしてフェリスは、一度はおさまった夢についての悩みが胸につかえているような感覚に襲われた。
そして、何の心配もしていなかった試験を無事終えた二人は、中庭にいた。
そこでは貴族、王族だけではなく、フェリスたちから見れば一般庶民にあたる階級の人間も、男女関係なく休み時間を過ごしていた。ファイールでは、身分差別はあまりない。大まかに身分が分けられてはいるが。大陸中最高峰といわれる学習院も身分に関係なく門戸を開いている。国内では、よほどの事情でもない限り、教育が義務だからだ。
どうやら、学生時代から身分の違いに対する偏見をなくそうという狙いもあるらしい。
「で、何なの?見た夢って。おにーさんに何でも話してごらーん。」
茶化していったジュリアスの頭をフェリスが小突いた。だが、誕生日から考えるとジュリアスの方が年上になる。外見は明らかに年下に見えるが。もちろん本人はそれを気にしてはいるが、悲観していないのが救いだった。
「茶化すな、茶化すんじゃない。いたって真面目な話なんだぞ。」
「ごめんごめん」
大きくため息をついたフェリスは、疲れた顔をしていた。
「・・・エレインの夢を見たんだ。」
間を置いてそう言ったフェリスの言葉に間髪入れずジュリアスが言った。
「それ聞いた。」
「・・・ああ、話した。」
無駄を極度に嫌うジュリアスに、フェリスは弱々しくそう呟いた。
「で、だ。最近繰り返し何度も見るんだが、毎日少しずつ鮮明になっていくんだ。夢の映像が。」
「へぇ・・・繰り返しか。ただでさえフェリスはあんまり夢を見ないのに。」
「それで、今日、いつもエレインは4年前のままだったんだが、僕より少し年下くらいの・・・14、5歳くらいになってでて
きたんだ。」
そう言う間、フェリスは落ち着かない様子で足を組み替えたり、腕を組み替えたりしていた。
「そして、僕に言った。『もうすぐ会える』って・・・。その時、夢の中の僕は4年前のままだった。」
珍しく、いつもふざけ半分のジュリアスも真面目な顔をして何か考えていた。
「ねぇ、フェリス。僕の父さんに夢見してもらうのは、どう?」
その言葉に目を丸くしたフェリスは、まくしたてるようにジュリアスに言った。
「何言ってるんだ、おまえの父さんは確か、魔導師部隊の隊長殿だ。うちの父さんと同じくらい忙しいだろう。ただでさえ僕に構っている暇なんてないはずだ。そもそも・・・」
「『そもそも、僕の夢に意味があるか解らないし』でしょ?フェリスは我侭だってのに、そんな重大かもしれないことで我慢しすぎなんだよ。」
フェリスは一人っ子として今まで育ってきたので、末っ子とはいえ3人兄弟のジュリアスより遥かに我侭だ。普段はそんな風には振舞うことはないが、慣れた人間相手だとその我侭ぶりを発揮してしまう。
そしてジュリアスはまた言葉を続けた。
「それに、多分『フェリスだから』見てくれると思うよ。フェリスはね、今は魔道師として別に飛びぬけているわけじゃないけど、僕みたいな力を潜在的に持っていると思う。あるいは、僕以上の力をね。今か、これからその力が現れても不思議じゃないよ。僕が気づいているんだ。父さんは、もっと早くからそう思っていたはずだよ。」
ジュリアスは心から、自分に対して不器用なフェリスのことを心配していた。熱心にそう言うジュリアスの表情を見て取ったか、フェリスもこんなところで我慢していても意味がないと思っていた。
「・・・わかった。お前の父さんの都合が良ければ見てもらいたいと思う。でも無理強いだけはするなよ。・・・ありがとう。」「うん、頼んでみるよ。何にしても、君のことを僕に何度か聞いてきたこともあったから、やっぱり気になってはいたんだろうね。大丈夫。僕を信じてみてよ。冗談は言うけど嘘は言わないからね。」
にっこりと笑ってジュリアスはそう言った。
教室に帰ろう、と手をこまねくジュリアスを見ながら、やっぱり気心知れた友達同士は安心する。フェリスはそう思った。
頼りなげな外見とは裏腹に、自分よりも芯の強い親友の姿を見つめていた。
そして、いつか剣技でも魔法でもなく、心が強くなれる日を願っていた。ジュリアスは、目標だ。
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