Tele 1

 夢を見ていた。
 朝の光が窓から差し込み、街も夜の静けさから目覚め、活気を取り戻し始める。
 その頃目を覚ました少年は、彼の長身な体を横たえてもなお、広い余裕のある、大きなベルベットの天蓋の付いたベッドから身を起こしてからもぼんやりした顔をしていた。
 彼は、フェリス=エルフェレシア・クレーマー。
 流れるような金髪は清らかな川を、深い蒼の瞳は月に照らされた湖を思わせる。それに加えて、白磁の肌と芸術品のように整った顔立ち。その表情は人形のように美しくも、冷たさをも感じさせた。
 だが決して彼は決して無感情な人形なわけではなく、双眸には意思の強さを感じさせる生命の光が宿っていた。
 スフィールという、人間たちの住む大陸のひとつの西方には、ファイールと呼ばれる大国がある。その王都、ミールで知られる大貴族の一人息子として彼は生まれ、育てられてきた。
「『さぁ、行こう。一緒に。』・・・か・・・・・・」
 ぽつりとそう呟くと、一瞬、まるで手に入らないものをねだる子供が、欲しいものに想いを馳せるような顔をしてから目を伏せた。長い睫毛が頬に影を落とす。
 想うのは、いつも遠い日。心に何よりも深く焼きついて離れない、誰よりも大切な少女との思い出。共に過ごしたのはたった一時だが、十分だった。喜びも、悲しみも、彼女はフェリスに隠そうとはしなかったから。
 彼女と出会ったのは四年前。その時まで特定の者以外とは口をきくことはなく、その特定の者の前でも表情を出さなかったフェリスだったが、『あの日から、フェリスは少し変わった』と、彼をよく知る皆が口を揃えて言うのだ。
 優しく、この上なく純粋な彼女に出会えたのだ。きっと、変わったのだろう。
 自分自身では、変化に乏しい表情も、わがままな性格も、変わったようには思えないのだが。
 最近フェリスはこの夢をよく見る。今日の夢は、いつもよりずっと鮮やかに。
 四年前と寸分違うことのないほど。
 まるで、それは胡蝶の夢。
夢から覚めた今も、その夢が本当は現実なのではないかと思えてならない。少なくとも、今よりは昔のほうが幸せだった。そう思えた。決して、今が不幸なわけではないのに。自分より幸せを欲しがる者は、きっと山ほどいるというのに。
 クレーマー家には何十人もの使用人がいる。そのうちの誰か――名前はいちいち覚えていない。それほど沢山いるのだ――がもうすぐ自分を食事に呼びにくると思い、フェリスはそれまで本を読んでいることにした。
 彼の通う、ファイール国立学習院では今日試験があったはずだ。学習院では月に一度試験がある。一定の成績が取れなければクラス落ちするので、全員熱心になる。これが国立学習院の卒業が困難だと言われる所以だ。
 フェリスは、本を本棚から選びながら、高すぎることも低すぎることもない心地よい声で、歌を口ずさんだ。
La spirale e la stela venute a tondo a tempo,erianima di notte. con luce con siderevole・・・」
 これは、大切な少女――エレイン――に教えられた歌の一節だ。
 『時は螺旋、星は巡り、夜は蘇る。大いなる光とともに』という意味の詩で、なぜかスフィール大陸の南にある、ラ・イェール大陸の言葉で歌われていた。ラ・イェールは、スフィールとは全く違う文化を持っている。まず何より、スフィールの人間のように白い肌を持たず、黄色の肌を持っているという。フェリスも、ラ・イェールの人間を直に見たことはなかったが。
 エレインの歌った歌はどうやら、ラ・イェールでは一般的な歌らしかった。
 だが、ほとんどの人間はラ・イェールなどという遠い大陸の言葉など、聞いたことも見たこともないだろう。しかし、フェリスは知っていた。独学ではあったが、学者の知識よりも豊富な部分があるほどだ。
 フェリスは、何回留年しても難しいといわれる学習院の課程を順当に進んでいる、いわば優等生だ。天才とうたわれることもあった。
 だがフェリスは努力型の天才ではなかった。彼の在籍する学習院の魔導科では、友人でありライバルである某家次男と争ってトップだし、武芸の才にも恵まれ、未来を嘱望されるほどであるにもかかわらず、だ。かといって、まったく何もせずにいたというわけでもないのだが。

 フェリスは身支度を手早く済ませると、食堂に向かう。貴族の館らしく、たくさんの調度品や絵画、彫刻の立ち並ぶ長い廊下を歩いていく。そして美しい彫刻の施された大きなドアの前で足を止めた。ノックをすると、内側からドアが開き、フェリスはその中へ入った。
 そこにはすでにフェリスの両親と、何人もの給仕が待っていた。無表情を崩さぬまま、フェリスは頭を下げた。
「・・・おはよう、父さん、母さん。」
 頭を上げると、フェリスは給仕の一人が引いた椅子に座る。
「おはよう、フェリス。」
 そう言ったのは、フェリスの父であるブローディア。騎士である彼は体躯に恵まれているので、今でこそ、女性的な線の細さを持つフェリスとはあまり外見が似ていないが、彼がフェリスくらいの年の頃は今のフェリスと瓜二つだったと言われている。それこそ、フェリスの祖母、つまりブローディアの母親すらその容貌に驚いたくらいに。
 彼は、国どころか世界中に名を知られる名家の現当主にして、城に仕える近衛兵団の白兵部隊長の職務に就いている。
 優しい笑顔をフェリスに向けながら、フェリスが俯いて難しい顔をしているのが気になったか、ブローディアはまた口を開いた。
 フェリスが俯く理由は、夢のせいでもあったが、本当はもうひとつあった。昔からだが、最近は特に、両親の前では素直になれないのだ。決して嫌いなわけではなく、フェリス自身見本にしてもいいとすら思うほど人間としてすばらしい人たちだとは思うのだが。反抗期だろうか、と嫌に冷静に自分のことを分析しているフェリスだった。
「どうかしたのか?」
 ずっと俯いていたフェリスは、突然かかった声に驚いて、ばっと顔を上げた。声の主が父だと知ってまた少し俯くと、フェリスは話し始めた。
「いや、今日夢を見たんだ。・・・昔の夢を。」
「ほう・・・どんな夢だ?」
 どうやら興味があるようで、ブローディアは目を細めて言った。
「・・・エレインの夢を見たよ。」
「ああ、あの女の子か?可愛らしい子だったが、今はどうしているんだろうな。」
 エレインのことはフェリスの父であるブローディアも知っていた。遊んでいるのは子供たちだけだったが、とりあえず土地はクレーマーのものだったのでフェリスたちからエレインを紹介させたのだ。もう、4年も前になる。
「最近、日に日に鮮やかなものになっていってるんだ。・・・まるで、あの頃に戻ったみたいに感じるほど。」
 エレインは4年前、理由も告げずに「今日で少しの間会えなくなる」とだけ言って姿を消した。フェリスや、一緒に遊んでいた子供たちも、自分たち貴族階級の人間が住む地区ばかりではなく城下町まで下りて一般の人たちにもエレインの事を聞いてみた。だが、誰もが皆「知らない」と言うのだった。
 それから今に至るまで、これといって何をしたわけでもないが、忘れていたわけではなかった。彼は待っているのだ。別れ際、「今度会うときは、あなたに会いに来た意味を話せるから」とエレインは言っていた。絶対にエレインは嘘をつかないと信じているから、待っていた。
 あんなに綺麗に笑える人が、どうして嘘をつけるだろう。
 でも実際、今はどうしているのだろう。少しは不安だ。きっと無事だろうが、でも生死さえわからない状態なのだ。気になるというよりも、心配だった。
「だけれど、あの子は『今度会うときは』と言っていたのでしょう?なら、あなたは信じて待っていたらいいのよ、きっと。誰よりあなたが一番わかっているはず。あの子は嘘をつくような子じゃないって。」
 フェリスの考えを言い当てるように口を開いたのは、フェリスの母親であるイリアだ。フェリスに微笑みかけるその姿は、16歳の息子がいるとは思えないほど若々しく、それでいて成熟した大人の落ち着きを身に纏っているようだった。
 普段はおっとりしていて何かあっても静かに見守っているだけだが、困っている者や悩んでいる者、特に近親者には落ち着いた、毅然とした態度をとるのだ。
 ただ、人のためならば積極的に行動するのだが、こと自分のことになると何だかあまり気にしないようだった。昔からフェリスのよき理解者であるイリアは、フェリスの考えをよく知っていた。
 最近はフェリスが妙に意地を張って、母親に相談などまったくしなくなったが。
「・・・そう、かな。」
 とりあえずフェリスはそう結論づけた。そしてしばしの間ぼうっとしていると、イリアの声が聞こえた。
「フェリス、早くご飯を食べなさいな。あなたのことだからウィンクルさんとの待ち合わせに遅刻することはないんでしょうけど、さっきからずっと手が止まってるわ。せっかくつくってもらったのに、冷めてしまうでしょう。」
 そういわれて、フェリスはずっと料理に手をつけていなかった自分に気づいた。急いで食べ始めた時には、もうエレインのことはあまり気にならなくなっていた。両親の言った通り、大丈夫だと思っていたから。

 食事を終えて自分の部屋に戻ると、フェリスは時計に目を移した。待ち合わせの30分前。ちょうどいい時間だった。
 誰と待ち合わせているかというと、食事中にも出てきたが、ウィンクル家という、これもまた貴族の双子の姉弟の弟とだ。ウィンクル家は、クレーマー家に負けず劣らず国内、国外を問わず有名な家の一つだ。それもそのはずで、今の当主の妻は今の国王の妹に当たる人物なのだ。
 それでなくとも、始めからクレーマー家と似たような地位にあったのだが。
 もともと両家の間には親交があり、子供同士もいつのまにか仲良くなっていた。その姉弟も王族の親類に当たるので、学習院でも有名だった。そして、その弟とフェリスとは学習院内でも1、2を争うライバルであり、一番の親友だ。
 もっとも、その弟は外見はまるで少女のそれなので、知らない人が見た場合、一緒に歩くと違った方向で似合いと見られてしまうこともあるのだが。
 手早く支度を済ませて本やペンの入った鞄を肩にかけると、部屋から出て鍵を閉め、玄関に向かった。そこには既に両親が待っており、フェリスの姿を認めると二人ともにっこり笑った。フェリスは、食事中の会話で気にしていたこともすっきりしたので無表情を崩して笑って見せた。
 それは、とてもいつもの姿からは想像できないほどあどけない笑みで、その顔を見たブローディアとイリアは、驚きすぎてしまって、フェリスが「行ってきます」と言って家を出た後も少し呆然としていた。
「・・・悩みが晴れたからかしら。」
「だろうな。それにしても、フェリスが私たちの前であんな風に笑うのは久し振りだ。」

 

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