序章 「あの日〜the past day〜」

 終わり無く続くようにも思える、広い広い草原の中心に、太く年老いた樹が立っていた。
 その木陰に、少年が座っていた。彼は、フェリスという。彼の住む、ファイール王国屈指の大貴族の一人息子として、この世に生を受けた。今日12歳にして老成した感がある。
 彼は、考え事があるときは、いつもここに来る。ここは自分と、ほんの数人しか来ることのできない場所だったし、なぜかここに来ると落ち着くことができた。ここには、いつでも気持ちのいい風と暖かな陽射し、たくさんの自然があった。
 きっと、これからも。
 この辺りは彼の家の私有地なので、出入りは自由だった。
 フェリスは、美しい少年だ。
 色の白い肌に、淡い金の柔らかそうな髪。澄みきった水のようで、それでいて深い蒼の瞳。その整った顔立ちは、神々しいとさえ言えるが、その容姿は明らかに周りから浮いていた。あまりにも完璧過ぎていたからだ。
 誰でもそうだが、完璧過ぎるものに対して、人はその存在が神でもない限り避けて通っていく。その上、フェリスは口数も少なく、あまり笑うことも無かった。
 本当はもっと笑ったり、話したりもしたいのだが、家柄のせいもあるだろうが、常に自分は貴族の息子という気負いのようにも見える誇りのために特に同世代の子供を寄せ付けなかったので、話し相手がいないというのもあった。
 それでも、相手は大貴族の息子ということでみんな後を恐れているので、大人も子供も表立って何か言うことは無かった。そして、周りには年の近い子供などほとんどいなくなる。それでも、友達と呼べる人は何人かいるので、淋しくは無かった。
 彼が小さくため息をついたとき、強い一陣の風が草原を吹き抜けて行った。あまりの風の強さに、目を開けていられないほどだった。
 風が止み、彼が目を開けると、そこにはいつの間にやってきたのか、一人の少女が立っていた。
 歳は、フェリスと同じくらいだろうか。
「君は、誰?」
 フェリスは人見知りするほうだったが、とりあえず話し掛けてみることにした。
「エレイン。あとは、知らないわ。もう、分からない」
 彼女はそれだけ答えたが、十分だった。多くを語らなくとも、彼女は人を惹きつける。
 フェリスと似た、それでも少し違う、例えるなら海のように広く、暖かい。そんな少女だ。
 気づけば、エレインはフェリスの隣に座っていた。いつの間に動いたのだろうか。
「君は、よくここに来るの?それにここにどうやって入ってきたの?ここはクレーマーの土地なのに。」
 ここが自分の家の土地だとわざと告げずに、フェリスは聞いてみた。
「ここには初めて来たわ。どうやってきたのかは……内緒よ」
 指を口の前にやって、彼女は声を立てて笑った。
 ―どうしてだろう。初めて会ったはずなのに、ひどく懐かしい――
 フェリスは、心地よい既視感に包まれている気がした。

「じゃあ、どうしてここに来たの?」
 一番聞きたかったことを聞いてみた。本来、クレーマー家かファイ―ル王家の許可が無ければここは入れない場のはずなのだ。「あなたがいたのがわかったから」
 12歳の少年は、少し自分の顔が火照るのを感じた。同い年くらいの少女にそんなことを言われれば、あまり慣れない人と―ましてエレインのような綺麗な少女などとは―付き合うことも無かったフェリスのような、俗に言う「うぶ」な少年では期待してしまう。
「……僕は、君のこと全然知らないけど……」
 でもとりあえず、火照った顔を隠すように俯きながら、下手な演技をしてみるのは少年らしい。
 その間、エレインは黙って微笑み、フェリスを見つめている。
「今日ここで会えたのは、偶然じゃないのよ」
 突然、理解できないことをいうエレインに、少し戸惑うフェリス。
 フェリスが形の良い眉をひそめると、エレインは声を立てて笑った。
「そのうちわかるわ。きっと、ずっと後のことだろうけど」
「どういう……こと?」
 いつか、彼が母親にしてもらった記憶のある動作を、エレインがしてみせた。フェリスの前に中腰になり、フェリスの額にキスをして、優しく微笑んだ。やっとおさまったと思ったのに、また顔が熱い。
「今はまだ聞かないでね。絶対に、話せるようになるときが来るわ。……もっとも、その時私たちは悲しい思いをするかもしれないけれど」
 そして彼女は目を閉じた。
 再び開かれた彼女の瞳に宿った光は強く、まっすぐにフェリスの瞳の真中の、更に奥深いところを見ているような。
「……強くなってね。いつか来る、災いに負けないように」
 まるで、彼女自身が母性の象徴のように。柔らかく、力強く、そして儚く、微笑う。
「わかった」
 言葉の意味はよくわからなかったが、絶対に忘れないようにと、その言葉は心の中で幾度も幾度も紡がれる。
 エレインが微笑んだので、フェリスもつられて笑った。
 それを見届けたようにエレインはフェリスの隣に腰を下ろすと、口を開いた。
「あなたは一人でここに来るの?」
「うん、今日はね。ああ、でも後で人が来るかもしれない。僕の友達が」
 今日出会ったばかりの、お互いどこの誰だかわからない2人は、意外にも打ち解けていた。
「どんな友達なの?」
 フェリスは自分から笑いかけ、
「おもしろいよ。2人……3人来るかもしれないな。2人は僕と同い年の双子の姉弟なんだよ。2人とも、そっくりなんだ。同じ学校に行ってて、父さんどうし仲がいいから、僕ら3人は生まれたときから一緒だった」
 フェリスは『3人』が大好きだったので、エレインに話をしたくて仕方なかった。
 夢を語るよりももっと楽しそうに、目を輝かせて話しつづける。そんな姿を、楽しそうにエレインは見守っている。
「もう1人は4歳年上だよ。すごく頭も良くて、いろんな事を知ってる。勉強だけじゃなくて、歌だとか、遊びだとか、星のこととか、いろんな事を教えてくれる」
「星?どんなことを知ってるの?」
 エレインも目を輝かせて、フェリスに聞いた。星に興味があるようだ。
 無理もない。彼らの国では、まだ調べ始められたばかりの分野だ。といっても50年くらいは経つだろうが。ほとんどの人は、天体に関して何も知らないだろう。
「そうだなあ……今、神殿や学校では、僕らのいるこの世界は杖みたいなもので支えられた板みたいな物だって言ってる。でも、違うみたいだ」
「どうして?」 
 受け売りであるにもかかわらず、自分が考えたことのように淀みなく言葉を続ける。
「その人は、こう言ってた。『たとえば、船が港から出て行くとき、船は少しずつ小さくなって、やがて見えなくなる。もしこの世界が板のような物なら、見えなくなるんじゃなく、ただ小さくなってくはずなんだ。』って」
 エレインが何も言わないので、フェリスが隣を見てみると、目を大きく見開き、まるで暗闇に閉じ込められていた人間が、始めて溢れる光を見たときのように黙って、ただ呆然としていた。
 この理論は、今まで学会で全く議論されなかったわけではないにしろ、そんなことを議論の場で言ってしまえば、異端者として白い目で見られることになりかねない。最悪の場合、学会を追放されることさえあった。あくまでも通説は『杖の上で揺れる一枚の板』なのだ。
 この反応は、当たり前かもしれなかった。実際、フェリス自身も始めて聞いたときは同じような感じだったのだから。
「エレイン……?」
 ただ、あまりにも長く言葉を発しないエレインが心配になり、声をかけてみる。
「エレイ……」
「すごいわ!」
「え?」
 エレインは、突然フェリスの手を握ったかと思うと、彼に抱きつき、ばっと手を広げて嬉しそうに目を輝かせた。
「すごい友達ね! 羨ましいなぁ。私は、同じくらいの年の友達っていないから」
 そこまで言うと、しゅんとなって俯いてしまった。この少女はフェリスよりも屈託無く笑うが、それでも今、フェリスより孤独なのだろうか。
「じゃあ、僕達これから友達だ。さっき話した3人も、きっとエレインのこと好きになってくれる」
 フェリスは立ち上がり、エレインに手を差し出した。
 その時のフェリスの目には、同情も、哀れみも、そんな感情は無く、ただまっすぐにエレインを見ていた。ただエレインと一緒にいたかった。
 2人があまりにも純粋だから、互いの澄んだ心が見えるようだった。あまりにも2人は似ていたから、ぴったりと寄り添って離れない比翼の鳥のようだったから、今日出会わなければ運命は大きく変わっていたかもしれない。
「ありがとう……」
 差し出された手を取ると、エレインもゆっくりと立ち上がった。
 また、強い風が吹き始めた。向かい風だ。その向かい風は、2人の前に立ちはだかる辛い未来に彼らを立ち向かわせるように強く吹いている。強く、だが優しい優しい風。
「フェリス!」
 遠くから彼を呼ぶ声がする。
 銀髪の、同じ顔をした2人と、明らかに年上の少年の姿が草原の向こうにあった。
 フェリスが手を振ると、3人がフェリスに向かって走ってくる。
「フェリス」
 彼はやわらかな声に振り返り、そして微笑んだ。フェリスは自分でも、今までで一番綺麗に笑えた気がした。
フェリスはエレインに名前を教えていない。なのに知っているのはなぜかなのか――。
そんなことは、今はどうでもよかった。
『さぁ、行こう。一緒に。』
 どちらともなくそう言うと、手をつないで2人は走り出した。

 

                                                                          

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