随想三国志
臧覇と青州兵![]()
〜曹操の葬儀で太鼓を慣らした男〜
曹操が没して、葬儀がとり行われている頃の事です。 “青州兵は太鼓を鳴らしながら去っていった。人々は「止めるべきだ、従わない場合は討伐するべきだ」と言った。しかし賈キ(「しんにょう」に「圭」)は「ならぬ」と一蹴すると、逆にお触れを出して、立ち去ろうとしている青州兵たちに食料を振る舞ってやるよう命じた。”
宋の司馬光が編んだ『資治通鑑(しじつがん)』という歴史書の、220年の条に見える事件です。大切な葬儀の最中に、職務を放棄して帰郷してしまうなど、本来ならば部隊の全員が厳罰に処されるところです。それが何故許された上に、食料までもらえたのでしょう?
曹操配下の青州兵というのは、もとは黄巾賊でした。初平三年(192)、曹操が黄巾賊を討伐した際、数十万に及ぶ青州の黄巾賊が降伏してきたのです。曹操はその中から精鋭を選び出して、自軍に取り込みました(『三国志・魏書・武帝紀』)。曹操のその後の台頭は、この青州兵によるところも大きいのです。井波律子氏は、その著『三国志曼陀羅』(筑摩文庫)の中で、青州兵は曹操に降るときに特殊な契約を交わしていたのだろう、と述べています。そして曹操からその旨を言い含められていたため、葬儀委員の賈キも黙って見過ごしたのだろう、と推測しています。いわば、青州兵は政権に組み込まれたのではなく、曹操個人との契約でその配下に入ったというのです。この推測は、非常に興味深いですね。
『資治通鑑』の該当個所は、正史『三国志・魏書・賈キ伝』が引用している『魏略』に基づいています。井波氏は触れていないのですが、実は『三国志・魏書・臧覇(ぞうは)伝』の注にも、『魏略』のほぼ同じ内容が引かれています。臧覇は、ある時は自らも賊となり、またある時は曹操の配下となり賊を討伐した将軍で、『演義』でも前半に登場しています。
正史『臧覇伝』の注には、 “曹操の葬儀の際、臧覇の配下の部隊と青州兵たちが太鼓を鳴らしながら立ち去った” と記されています。臧覇こそが、太鼓の張本人だったようですね。その彼の列伝の中に、「覇受公生全之恩(私は曹操殿から「生命を守る」という恩寵を約束されています)」という言葉があります。この言葉こそ、彼が曹操に降る時に何らかの契約を交わした事の証拠だと考えてもよさそうです。曹操の死で軍中に動揺が走っていた時期なので、青州兵の騒ぎも単なる離反と考えられない事もありません。『資治通鑑』の書きっぷりも、どうやらそのようにとらえているようです。しかし、曹操個人を見込んで契約を交わしていた臧覇と青州兵たちが、彼らなりに曹操の死を悼(いた)んで太鼓を鳴らしながら去っていった、という可能性もまた棄てがたいものがあります。
ちなみに臧覇は、曹操の死後も魏に仕えています。泰山の生まれで、青州方面に縁が深い人物だったので、曹丕が即位すると都督青州諸軍事という役職につきました。いわば、青州方面のエキスパートだったのでしょう。
青州兵に関しては資料が少なく、実態がどのようであったか明確ではありません。それにしても、こんな些細な事件に関しても、『賈キ伝』と『臧覇伝』を併せて読まねば立体的にならないあたりが、紀伝体(年代順ではなく、人物ごとに記す形式)という叙述形式の厄介なところでもあり、また奥行きを感じさせるところでもありますね。(2002.2)