2002.5.9 更新
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随想三国志

李典
〜実は結構 教養人〜


本当は教養人、などと題しては李典に失礼かも知れないが、李典は武将であるだけではなく、なかなかの知識人でもあったらしい。曹操に助力して、黄巾賊、対袁術、対呂布の戦いで功績を挙げた人物に、李乾と李整という親子がいる。李典はその一族で、李整の没後、その軍を受け継いで、曹操のもとにとどまった。

『演義』では小心翼々として、いささか大胆さに欠ける印象を与える人物に描かれている。実際、思慮深い人物であったらしいのだが、正史が李典に与えた評価はなかなか高い。それもその筈で、李典伝には、汚点になるような敗戦や不正の記事が何も記されていない。ざっとその功績を列挙してみると、

@官渡の戦いでは、一族郎党を率いて曹操のもとに馳せ参じ、穀物・帛
(きぬ)の輸送に一役買った。
A対袁尚戦では、程cとともに、敢えて曹操の命に背いて奇襲を行い、成功した。
B劉表が荊州から劉備軍を北上させた折り、李典は夏侯惇につき従って防衛にあたった。劉備が自ら屯営を焼いて撤退すると、夏侯惇は李典の諫めを聞かずに追撃し、逆に劉備軍に迎え撃たれた。夏侯惇軍が苦境に陥っているところに李典軍が駆けつけると、劉備軍は潰走した。
Cギョウ
(業におおざと)包囲戦に参加し、陥落後、楽進とともに高幹と管承を討った。
D自ら魏郡への移住を申し出た。
E張遼・楽進とともに合肥に駐屯し、呉の大軍の侵攻を凌いだ。

こうして見ると、撃って出る時は恐れず、敵に計ありと見れば慎重になり、まことに優秀な野戦将軍だと言えるだろう。『演義』では、その慎重さをディフォルメされ、夏侯惇や曹仁に臆病者扱いされる向きがあり、いささか気の毒だ。また、潔癖であったはずの李典の性行が、『演義』では幾分ゆがめられているようだ。例えばEについて、試みに正史と『演義』をざっと訳出して比べてみると、こんな感じである。

○正史「李典伝」
楽進と李典、張遼は日頃から仲がよくなく、張遼は彼らが自分の命に従わないのではないかと心配していたが、李典は憤慨して言った。「これは国家の大事であり、殿(曹操)の計略がどのようであるかだけが大切な事なのだ。どうして私怨を以て公義をおろそかにする事ができようか!」そして軍を率いて、張遼とともに孫権軍を打ち破った。

○『演義』第67回
(「もし呉軍が押し寄せて来たら、張遼と李典は撃って出て孫権軍に一撃を加え、楽進は城を守れ」という、曹操からの親書を見て)楽進が進み出て言った。「将軍(張遼)はどう思われますか?」張遼が言うには、「殿(曹操)は遠征に出て遙か遠くにおられ、呉軍は我々を必ず撃破出来ると思っているだろう。今はまず軍を繰り出して呉軍を迎え撃ち、力の限り戦って敵の鋭鋒をくじき、皆を安心させた後に、城の守りに徹するべきだ」李典は日頃から張遼と仲がよくなく、張遼のこの言葉を聞くと、黙り込んでしまい答えなかった。楽進は李典が黙ってしまったのを見て、(とりなすつもりで)「賊軍(呉軍)は大軍で、我が軍は寡兵であり、迎え撃つのは難しく、城に立て籠もって守りに徹するのがよいかと存じます」と言った。張遼は「あなた方はみな私情にかかずらわっていて、公事を顧みようとしていない。私は今、自ら撃って出て一死を賭して決戦を挑むのだ」と言うと、側近に命じて馬を引き寄せさせた。すると李典は慨然として立ち上がり、「将軍がそのようであれば、この李典がどうして私怨のために公事をなおざりにする事ができましょう。どうか、指図をして下され」

『演義』は、正史の「張遼伝」と「李典伝」に取材してアレンジしたプロットだが、正史には李典が黙りこくって楽進を困らせたなどという記述はない。正史での李典はなかなか毅然とした軍人ぶりを発揮しているのだが、『演義』で強調されているのは何よりも張遼の気概であり、李典はすんでのところで悪役にされかかっている。それにしても、魏延と楊儀のいざこざについてもそうだが、簡潔にすぎるといわれる陳寿の『三国志』の中にも、当時のごたごたした人間関係を伝える記述が案外多いのは、ちょっと意外な気もする。

『演義』の中には、ある人物を「善玉」「有能者」に作る必要性に迫られて、しばしばその皺寄せを食って「悪玉」「無能者」に仕上げられてしまう人物がいる。李典も、どちらかというと損をしているキャラクターの一人だろう。正史の李典評に曰く、「李典は学問を好み、儒学を尊び、諸将と功績を争うという事をしなかった。士大夫を敬い、謙虚な態度をとり、軍中の人々は長者の風格があると称えた」という。また、注に引く王沈の『魏書』には「若い頃は学問を好み、軍事は好まなかった。師匠について『春秋左氏伝』を学び、様々な書物に目を通していた」とある。どうしてなかなか、堅実な名将ではないか。惜しいことに、36歳の若さで没している。(2001.3.31)




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