2006.1.1 更新
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一言書評
日本の小説・随筆


佐藤賢一  『双頭の鷲 新潮文庫 


(あらすじ)
日本では馴染みが薄いが、フランスでは名将として名高いデュ・ゲグランの生涯を描いた長編歴史小説。14世紀半ば、イングランドとの戦いの中で、デュ・ゲグランは当時の常識を覆す様々な戦術を編みだし、数々の目覚ましい戦功を挙げる。下級貴族出身ながらもついには大元帥の位につき、民衆からも軍神として慕われるのだが、その一方で母との確執に悩んだ生い立ちがトラウマとなり、デュ・ゲクランは生涯その呪縛から逃れる事はできなかった。


(一言書評)オビにも謳われているが、エンターテイメント小説として、スケールも大きく、相当面白く読ませる一冊だと思う。エピソード毎に、いきなり話の途中から描写が始まり、その場面を解き明かす形で解説が附されるケースが多く、それは常に読者を引き込む努力をしている結果だろう。

ストーリーとしては最後まで楽しめるのだが、細部に関しては色々と言ってみたい事もある。まず、登場人物への作者の評価が非常にはっきりしているため、いくらか奥行きが乏しいように感じられる。いい者はいい者、ダメなヤツはダメなヤツ、といった塩梅(あんばい)だ。また、それぞれの人物がそれぞれの葛藤を抱いているのだが、個々の葛藤があまりにもはっきりとした輪郭を持ち、心境も劇的に変化したりするので、いささか安っぽい感がしてしまう箇所があるのも確かだ。そして人間くささを出そうとするあまり、思考や発言が粗野でありすぎる嫌いもある。それは王族の人物にも共通していて、所々できどらせてみても、どうも貴族の天性なゴージャスさというのは、伝わってこない。

それぞれの戦いに至るまでの動向の描写はなかなか面白いのだが、その一方で肝腎な戦いの描写は、どうも避けられているかのような感がある。とりわけ、デュ・ゲグランが捕虜になった戦いについてはあまり触れられず、描かれている箇所でも、はじめから勝つつもりがなくて戦っているかのように描いているのは、天才として描こうとするあまりの贔屓(ひいき)のひき倒しで、些か惜しまれるところである。敗北を描くのを避けている陰には、どうも作者の「天才」への強烈な憧憬があるようだ。

「ええ、あの子は努力家ですから」
いうまでもなく、他人を努力家と評する人間は、大半が人生の敗者である。(448頁)

親は愛する子供のことを、決して「努力家」とはいわない。(449頁)

という箇所にはっきりとその思想が現れているが、「努力」を「天才」の対極に位置づけて、敗者のあがき、もしくは負け惜しみととらえる作者の発想は、何に根ざしているのだろう? 「親は愛する子供のことを、決して「努力家」とはいわない。」というのにいたっては、激しい思いこみの末の完全な誤謬だと思うのだが。不思議だ。

なお、家族関係にもかなりのウェイトを置いて描かれているが、全ての登場人物が、異性との関係に置いて、何らかの屈折を帯びていて、その点では心休まる時がないと言ってもよい。作者の意図した所だったか、どうか。(2001.4.13 読了)



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