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一言書評
漫画・アニメ



マンガ第二世代の申し子

藤子 不二雄(A・F)


『ドラえもん』


いまでこそ、マンガもアニメも様々なジャンルがあるが、1970年代、アニメと言えば『サザエさん』と『ドラえもん』で必要十分条件を満たしていたと言っても過言ではない。藤子不二雄Fのエンターティメント志向が遺憾無く発揮されて、最も幅広く支持された作品である事に異議を差し挟む余地はないだろう。単行本で言えば10巻代の中盤ほどまでは、『オバケのQ太郎』などでも見られたちょっと大人っぽいギャグや、人間が成長していくのはどういう事かを考えさせ、ジーンとしてしまうような話も見られたが、20巻以降は娯楽性が強まり、その分メッセージ性は薄れている。一時期「地球を守ろう」みたいなエコロジカルなメッセージを含んだ作品もあり、子供心に「こういうのが続くと、人気が落ちるんじゃないだろうか」と心配したものだが、幸い環境保護マンガにはならずにすんだようだ。とにもかくにも、マンガを子供たちの生活に不可欠なものにした功績はスゴイものがある。しかし師と仰いだ手塚治虫に比べると、良くも悪しくも通俗的だ。人間や社会、科学、芸術など、様々なジャンルにおける深い洞察は、やはり手塚治虫には及ぶべくもない。もっとも、藤子不二雄Fは「子供が楽しめるものを」という事に徹していたのだから、この点は欠点とするにはあたらないのだろう。ちなみに映画第二作目の原作『のび太の宇宙開拓史』は、何度読んでも切なくなってしまう。(2001.10.8)



『パーマン』


マンガより先にTVアニメで見ていた。オープニングの曲の明るさと、エンディングテーマのバカバカしさ(んパッ、パッ、パッ、パ、パーマンはぁ〜♪っていうヤツ)だけでも笑える。一番すごい力をもったバードマンが一番間が抜けているという設定のせいか、徹頭徹尾のんきな感じがするし、主人公・みつお君の正義感は、恩着せがましさも何の翳(かげ)りも感じさせないので、安心して読んでいられる。『オバQ』もそうだが、正体を隠さねばならないという、いわば「覆面モノ」の魅力も、子供心には刺激的。ちなみに原作では、途中で長い期間の空白があったため、絵柄や設定が変わり、みつお君もややせっかちな感じになってしまっている。ラストはみつお君がバード星に留学に行くのだが、それもちょっと寂しい。それにしても子供の頃、デパートで売っているパーマンセットが欲しかったものだ。(2001.10.31)



『キテレツ大百科』



これも、マンガより先にTVアニメで見た。発明好きで研究に没頭する少年が主人公というあたり、「のびた君」や「ケンイチ氏」などとは一線を画(かく)する設定だ。面白いには面白いのだが、キテレツ斎様の発明品は、ほとんど『ドラえもん』とかぶっているのがちょっと気になるところ。確かアニメの最終回は、コロ助が江戸時代のキテレツ斎様のもとに帰るという話だったと思うが、原作では、「キテレツ大百科」がなくなってしまい、「これからはキテレツ斎様に頼らず、自分の力で立派な発明をしていきたいと思うんだ」というキテレツの決意で終わっている。『キテレツ』の最終話と、『パーマン』の結末がみつお君のバード星留学である事を鑑(かんが)みると、藤子不二雄Fの志向が、最終的には主人公が独力で人生に立ち向かって行く事ができるようになる事にあるのだろうと推測できる。そうすると、もし筆者が存命で『ドラえもん』の最終話が実際に描かれていたとしたら・・・ドラえもんが未来に帰り、心配させまいとのび太が自力で頑張る、という6巻末尾の話が、やはり筆者が本来設定していた最終話なんだろうなあ、と思われぬでもない。(2001.10.31)



『21エモン』



宇宙時代を迎えた21世紀、オンボロホテルの後継ぎとして生まれて来た主人公・21エモンは、宇宙船のパイロットになりたくて、親とケンカしたり旅に出たり、という物語。「21えもん」というネーミングや、サブキャラ・モンガーの造形など、ドラえもんと重なるところも多い。ホテル経営を継ぐか、パイロットを目指すか、という現実と夢の狭間で心揺れる21エモンだが、物語を俯瞰(ふかん)的に見渡すと、「学校の遠足・火星旅行」→「太陽系旅行」→「銀河系旅行」とステップを踏みつつ物語も主人公も成長している。地球も文明は発達した星なのだが、末尾近く、銀河系第二の文明を誇る惑星に行くと、その星の人から「未開人」と馬鹿にされたり、次いで銀河系NO.1の星に行ってみると、すでにその文明は衰退していたりする。そういうところにやや暗さがある事が、このマンガの長所でもあり、メジャーになりきれなかった理由でもあると思う。その昔、ドラえもんの映画と同時上映で短い映画が放映されたりしたが、メジャーにならなかったのだ。うっかりすると見過ごしてしまうけれど、「成長とは?」「文明とは?」「進化とは?」という問いかけを持っているのも特徴的だ。
(2001.10.31)



『マンガ道』

藤子不二雄Aの代表作となったこのマンガは、発表が開始された当時から賛否両論だ。というか、執筆段階でFとAがもめたのは有名な話で、A「自分たちがマンガに対して取り組んで来た道を形にして見つめ直したい」 F「そういう自己満足的な作品は、子供たちが読むものとして適当じゃない」どちらの言い分も分かるが、実際読んでみると、Fの意見に与(くみ)してしまいそうだ。マンガ研究家にとっては感謝しつくせぬ貴重な資料になると思うが、読んでいて面白いというものではないような気がする。何よりもAの自分の描き方が露悪的すぎて、息苦しい。Aにすれば、懺悔(ざんげ)的な心境で、様々な雑念を隠さずに描いているのだろうけれど、読み手までその罪悪感に巻き込まれてしまい、しかもAはその罪悪感を克服しながら頑張ったのだろうが、読み手には後味が悪いまま残ってしまうようなところがある。このマンガを読むと、AとFが袂(たもと)を分かったのは仕方がない事だったのだ、と妙に納得がいってしまう。(2001.10.8)



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