2006.1.6 更新
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一言書評
漫画・アニメ



明日はどっちだ…

ちば てつや


『あしたのジョー』


「女のあんたがうろちょろする場所じゃないんだ」。男の世界炸裂。こんなセリフ、いまならセクハラ訴訟ものだが、それが素直に感動を呼べた時代もあったのだ。とにかく数あるマンガの中でも、悪態をつかせたらジョーの右に出るヤツはいない。自分を愛しているわけでもない、自己実現を目指すわけでもない、大きな壁に体当たりする事でしか自分の存在を確かに感じられないジョーという男にとっては、こぎれいなお説教などはなっから必要がなかったのだ。

自分と他人の距離を定
(さだ)かに測れないとき、人は不安な疎外感に苛(さいな)まれる。家庭もなければ友人もいない、そんなジョーは、殴り殴られるという事でしか自分と相手との距離を確かめる事がでなかったのだ。まるで作用反作用の法則さながらに殴り合う。物語の中でのジョーのあり方はそうして一貫しているが、一方のおっちゃんはというと、キャラクターとしていささか不安定だ。ジョーを一流のボクサーに仕立てて一旗あげたいのか、自分が現役ボクサーだった頃の見果てぬ夢を追っているのか、純粋に拳闘が好きなのか、作者の意図の外で常に揺らぎ続けている。毎回戦いのたびに、色々な理由をつけておろおろしているのも見苦しい。ジョーの拳が何のために唸(うな)りをあげているのかを察する事ができたなら、一度ぐらいはどかんと背中を叩いて、「さあ、お前の拳闘を見せて見ろ!」と言って送り出してやって欲しかった。

結局のところ、ジョーという男は自分の存在感を確認するために戦い続けているのだ、という事は、おっちゃんには分からなかったのだ。そして、ジョーの焦燥を分かち合えたのは、ジョーとは違ったやり方で力石の屍
(しかばね)を乗り越えねばならなかった、白井優子の方だった。だからこそ、ホセ・メンドゥーサとの戦いで、自分の存在を確かにその拳で感じ取って真っ白な灰になったジョーは、おっちゃんではなく優子にグローブを渡したのだ。

ジョーは、力石の亡霊とともに生きた。思えば、あだち充の『タッチ』では、達哉は弟の亡霊を背負って投げ続ける。ちばあきおの『キャプテン』では、引退した名キャプテン・谷口の存在を、後輩たちは背負い続ける。戦うべき相手が永遠に失われたときが、すなわち自分の内なる戦いの始まりだという構図が共通していて、色々と考えさせられるものがある。

ちなみに架空の人物・力石の葬儀が実際に執り行われた時、驚くほど大勢の人々がその葬儀に参列した。ジョーだけではなく、読者までも力石の亡霊を背負い続けねばならなかったのは、なぜか。当時の男たちは、一体、何の亡霊を背負って生きていたのか。その答えは、恐らくそれぞれ違ったものだっただろう。それなのに、彼らが一堂に会して力石を悼まねばならなかった時代のワケは、何だったのか。
(2002.1.30)



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