2009.8.9 更新
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故事成語で見る中国史

古稀
(こき)

70歳の称。(広辞苑)

用例: 「今年、祖母は70歳になります」
    「では、ぜひ古稀のお祝いをしましょう」



(出典)杜甫【曲江】第二首より

朝回日日典春衣 毎日江頭尽酔帰
酒債尋常行処有 人生七十古来稀
穿花キョウ(虫夾)蝶深深見 点水蜻テイ(虫廷)款款飛
伝語風光共流転 暫時相賞莫相違


(書き下し)
(ちょう)より回(かえ)りて 日日春衣を典(てん)
毎日 江頭に酔いを尽くして帰る
酒債(しゅさい) 尋常(じんじょう) 行(ゆ)く処(ところ)に有り
人生 七十(しちじゅう) 古来(こらい)(まれ)なり
花を穿(うが)つキョウ蝶(きょうちょう)は深深(しんしん)として見え
水に点する蜻テイ(せいてい)は款款(かんかん)として飛ぶ
風光(ふうこう)に伝語(でんご)す 共に流転(るてん)しつつ
暫時(ざんじ)(あい)賞して相(あい)(たが)うこと莫(なか)らんと


(語注)
○曲江(きょくこう) :唐の都・長安にある景勝地。
○典                 :質入れすること。
○江頭(こうとう)   :曲江のほとり。
○酒債(しゅさい)  :酒代の借り。
○キョウ蝶(きょうちょう):揚羽蝶(あげはちょう)
○蜻テイ(せいてい) :とんぼ。
○款款(かんかん)   :ゆるやかなさま。

(現代語訳)
朝廷での仕事を終えて退出するたびに、春服を質(しち)に入れ、
毎日のように、その金で曲江のほとりで酒に酔い痴(し)れては家に帰る。
酒代の借金も当たり前のこととなり、あちこちにたまっている。
しかし人の寿命には限りがあって、
古来、七十まで長生きする者はめずらしいのだ。
ふと、蝶が花の茂みの奥深くに見え、
とんぼが尾を水面に点々とつけながら、軽やかに飛んでゆく。
のどかな春の景色に言づてをしよう、
私もお前もともに移ろいゆく身だが、
このしばしの間、お互いに慈しみあい、
仲たがいすることがないようにしようではないか、と。




(解説)
国際色豊かな大帝国となった唐の時代は、文学史の上では、しばしば初唐、盛唐、中唐、晩唐の四時期に区分して論じられます。漢詩で有名な李白(りはく)は盛唐の時代、杜甫(とほ)は盛唐から中唐にかけて活動した詩人です。

李白は楽府体(がふたい)と絶句(ぜっく)に長じ、杜甫は律詩(りっし)の形式を実質的に完成させ、それぞれの高みを示しましたが、その性格や詩風は大きく異なっています。

奔放不羈(ほんぽうふき)な性格で、道教を好んだ李白は、開放的で雄大、且(か)つ時に幻想的ですらある詩を数多く残しました。かたや生真面目(きまじめ)な性格の杜甫は、儒学を奉じて国の行く末を案じ、社会に目を向けた篤実(とくじつ)な詩風の作品を多く残しています。

李白と杜甫の詩風の差に、二人の性格の差が投影されているのはもとよりですが、そこには時代の推移も大きく与(あずか)っていました。というのも、杜甫が主に活動した中唐の時代は、それまで玄宗皇帝の治世のもとで栄華を誇っていた大唐帝国が、安禄山(あんろくざん)の乱を境にして、混濁(こんだく)した時勢に陥ってゆく時期にあたっていたからです。

ところで中国文学史上、「詩人」と称される人々は多数いますが、専業の詩人という職業や観念は無く、後生「詩人」と呼ばれている当人たちも、自分たちのことを政治家、あるいは政治家を目指す知識人として認識していました。

杜甫もその例外ではなく、自分の知識と熱を国家の運営に活(い)かしたいという思いを終生抱(いだ)きつつけたのです。混乱した世の中をじっと見つめる杜甫の視線は、「国破れて山河(さんが)(あ)り、城春にして草木深し」の名句で知られる「春望」の詩をはじめ、多くの社会的かつ現実主義的な詩を生み出しました。

しかしその一方で、ごく僅(わず)かではありますが、頽廃(たいはい)的な詩も残しています。杜甫、四十七歳、安禄山の乱の大混乱の後、左拾遺(さしゅうい:天子の側近として過失を諫める役)として朝廷に出仕していた頃の作品に、「曲江」と題された二首があり、その二首目の詩には次のような句が見えます。

  朝廷での仕事を終えて退出するたびに、春服を質(しち)に入れ、
  その金で曲江のほとりで酒に酔い痴(し)れては家に帰る。
  そのせいで、酒代の借金も当たり前のこととなり、あちこちにたまっている。
  しかし人の寿命には限りがあって、
  古来、七十まで長生きする者はめずらしいのだ。

杜甫はこの後、花の間を舞う蝶や、水辺をすいすいと飛ぶとんぼを眺めつつ、しばしの間、この春の景色を楽しもうか、と詩を結んでいます。

酒に呑(の)まれて借金にまみれるという杜甫らしからぬ暮らしぶりには、当時の官界の腐敗に対する、鬱屈(うっくつ)した想いがあることでしょう。それにしても、「どうせ七十年も生きられないのだから」、という言葉には、デカダンスを通り越したある種の達観が感じられるような気がします。

「人生 古来(こらい) 七十(しちじゅう)(まれ)なり」という言葉は、当時人々がよく口にした言い回しであったようですが、杜甫の詩中においてあらたな趣(おもむき)を得て、現在にまで伝わりました。そしてこの「古来 稀(まれ)なり」というフレーズから、後世、七十歳のことを「古稀(こき)」と呼ぶようになりました(※1)

ちなみに、李白も数多く酒の詩をものした詩人です。そのうちの一つ、「答王十二寒夜獨酌有懐」という詩では、こんなことを詠(うた)っています。

  人生はたかだか百年、あっという間に過ぎ去ってしまうのだから、
  酒でも飲んでのびのびと過ごそうではないか。(※2)

七十年か、百年か。ままならぬ世に身を置いて、容赦無く過ぎ去る時間のなかで酌み交わされる酒の味は、いまも昔も変わらぬものであるかも知れません。

安禄山の乱から十五年後の大暦5年(770)の冬、時に酒におぼれながらも、どこまでも生真面目に、家族を想い、国の行く末を案じた杜甫は、古稀(こき)にはまだ遠い五十九歳で没しました。



(※1)「古稀」は「古希」と書くこともある。
(※2)当メルマガ第13回「馬耳東風」参照。

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