2009.8.9 更新
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故事成語で見る中国史

敬遠
(けいえん)

表面はうやまうような態度をして、実際は疎んじて親しくしないこと。
また意識して人や物事を避けること。(広辞苑)

用例:「あまりに口うるさいので、みんな彼のことを敬遠している。」

(出典)【論語・雍也第六】より
樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣。


(書き下し)
樊遅(はんち)知を問う。子曰(いわ)く、民の義を務(つと)め、鬼神(きしん)を敬(けい)して之(これ)を遠ざく。知と謂(い)うべし、と。

(語注)
○樊遅(はんち):孔子(こうし)の弟子。
○民之義(たみのぎ):人としてのつとめ。
○鬼神(きしん):亡霊、死者の霊魂。

(現代語訳)
樊遅(はんち)が知恵について孔子に尋(たず)ねると、孔子は答えて言った。「人としてすべきことを行い、死者の霊魂のことは、それを敬(うやま)いながらも遠ざけておく、それが知恵ということだ」




(解説)
「春秋戦国時代」と呼ばれる時代は、前半の「春秋時代」と、後半の「戦国時代」の二つの時代の総称です。どちらも諸侯が勢力を競った時代ではありますが、諸侯の上に形式上は君臨している周王朝の権威は、「戦国時代」にいたると一層ないがしろにされ、世の中は弱肉強食の様相を呈してゆきます。
 
実力主義の風潮が広まると、諸侯の国はもとより、一般民衆の社会生活においても、様々な価値観が変化しはじめます。そうした中で、周王朝が建国された当時の古き良き時代の世の中を理想として、古代への復古を目標としたのが孔子(こうし)でした。
 
姓は孔、名は丘(きゅう)、字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)、政治家であり、教育者であり、そして思想家としては儒家(じゅか)の祖と仰がれる孔子は、後代の中国はもとより、韓国や日本など東アジア諸国の思想や学問、政治にも絶大な影響を与えた人物です。
 
孔子の教えは多岐(たき)にわたり、とても一言では言い尽くせませんが、特色の一つを挙げるならば、「尚古(しょうこ)主義」であったと言えます。「尚古」とは、すなわち「古きを尚(とうと)ぶ」の意で、周王朝の古代の制度の復活を願ったことからも、その姿勢を窺うことができます。
 
新しいものに価値を見いだすのではなく、古い時代の制度や文化を良しとする孔子は、「述(の)べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む。」という言葉を残しています。その意は、「古(いにしえ)の正しい思想を継承して伝えゆき、自分の説をむやみにつくったりはしない。私は、古代の賢人たちの述べた思想の正しさを信じて、それを実践することを好むのだ」(※1)ということです。
 
古代を尊び、すでに行われたことの中にすぐれたものを見いだす、という姿勢は、同時に、根拠の無い想像や迷信を戒める姿勢とも重なります。
 
孔子は「怪力乱神を語らず」であったと言います。(※2)孔子が話題にしなかった「怪(かい)・力(りょく)・乱(らん)・神(しん)」とは、怪奇なこと、力をたのんだ武勇伝、世の中や倫理の乱れ、神怪などのことです。孔子は、現実に存在すべきでないことや、存在するかどうか分からないものについては話そうとしませんでした。
 
また、あるとき、孔子の弟子の一人、季路(きろ)が、「鬼神(きしん)」について、孔子に尋(たず)ねました。中国でいうところの「鬼(き)」とは、日本の鬼(おに)のことではなく、死者・亡霊のことで、「鬼神」とは死者の霊魂のことです。
 
季路が尋(たず)ねて曰く、「先生、鬼神(死者の霊魂)を祀(まつ)り仕(つか)えるには、どのようにしたらよろしいのでしょうか」すると孔子が答えて言うには、「まだ、生きている人間に仕えることすら満足にできないのに、どうして鬼神(死者)に仕えることができるだろうか」と。
 
そして、さらに季路が「では、死ぬということは、どのようなことでありましょうか」と尋(たず)ねると、孔子曰く、「まだ、生きるということがどういうことなのか満足に分かっていないのに、どうして死ぬということが分かろうか」。(※3)
 
ことほど左様(さよう)に、孔子は現実のことにのみ目を向けた思想家、政治家でした。しかし、孔子は「鬼神」の話題をしなかったとはいえ、死者の霊魂を無視したり、軽蔑したりした、というわけではありませんでした。そのあらわれとして、樊遅(はんち)という弟子には、こう述べています。
 
「鬼神(きしん)を敬(けい)して、之(これ)を遠ざく」
 
鬼神(死者の霊魂)は存在するかどうか、定かではない。だから、そうしたことにとらわれすぎて、現実のことがおろそかになってはいけない。鬼神を敬いながらも、それに近寄って深入りはせず、生きている人として、日々なすべきことを行うべきなのだ、孔子はそう教え諭(さと)したのです。
 
孔子の、「敬鬼神而遠之(鬼神を敬して之を遠ざく)」という言葉を縮めて、日本では「敬遠」と言い、表面的には敬(うやま)いながら、実際には疎(うと)んじて親しくしないこと、 また意識して人や物事を避けること、を言うようになりました。
 
「敬遠」という言葉は、常に現実に向かい合おうとした孔子のあり方を端的に示しています。定かではないことに直面したときには、軽々しく妄信(もうしん)せぬよう戒めながらも、無造作(むぞうさ)に排斥(はいせき)することもしない。そうしたあり方は、バランスのとれた「中庸(ちゅうよう)」を重んじた孔子ならではで、まさしく「知」と呼ぶに相応(ふさわ)しい、しなやかな態度であった言えるでしょう。


(※1)『論語』述而第七、参照。
(※2)同上。
(※3)『論語』先進第十一、参照。

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