2009.8.9 更新
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故事成語で見る中国史

白眼視
(はくがんし)

人を冷たい眼で見ること。冷淡に扱うこと。
例:「周囲から白眼視される」(広辞苑)

(出典) 【晋書・巻四十九・阮籍伝】より
籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。

(書き下し)
籍、又能(よ)く青白眼を為(な)し、禮俗(れいぞく)の士に見(まみ)ゆるに、白眼を以て之(これ)に對(たい)す。

(現代語訳)
阮籍は、黒目と白目を使い分ける事ができ、礼儀作法にとらわれている俗人と会う時には、白目をむいて向かい合った。


(解説)
劉邦が建国してからおよそ400年間の間、中国には「漢」という王朝が君臨していました。途中、一時的に王莽(おうもう)によって「新」が建国されたりしましたが、すぐさま「後漢」が興り、再び劉氏の漢が続く事になったのです。その漢が滅び、三国時代がおとずれるにいたって、色々深刻な社会不安が芽ばえました。それまでは共通の価値観として、表面的には何の疑問もなく受け入れられていた「儒学」の拘束力が低下し、新興宗教がはびこり、当時の民衆も知識人も、何を頼りに自分たちの人生を考えればいいのか、指針を定める事が難しい時代になったのです。

そんな中で、政治・権力・金銭・名誉などの俗世を離れて、道家思想の影響を受けた奥深い哲学談義に興じる知識人たちが出現しました。そうした哲学談義を「玄談」「清談」と呼びます。「玄談」「清談」に興じた中で最も有名なのは「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」で、正史の『三国志』『晋書』などに彼らの事績が描かれています。七人が同時に竹林に集って話をしたわけではなく、また中には政界の荒波をしたたかに乗り切った人物もいたのですが、「竹林の七賢」は後世、「玄談」や「隠者」の代名詞ともなりました。

「竹林の七賢」の筆頭格とも言える阮籍(げんせき)は、魏に仕えたりもしましたが、ふらりと仕官しては、またふらりと辞職してしまい、礼節にとらわれている人々を毛嫌いして酒びたりの毎日といった有様。しかし名声はなかなかのもので、当時、魏の有力者であった司馬昭が、自分の息子・司馬炎と阮籍の娘との縁談を進めようとしました。ところが阮籍が60日もの間酔っぱらい続けていたために、結局縁談が成り立たなかった、というエピソードが残っています。

その阮籍、「青眼(せいがん:黒目)」と「白眼(はくがん:白目)」を自在に使い分けられるという特技を持っていました。自分の気に入った人物が尋ねた来た時には、普段通り「青眼」で向かい合うのですが、礼儀や常識に雁字搦め(がんじがらめ)にされた政治家などが尋ねて来ると、「俗物とは話をしたくない」と言わんばかりに、「白眼」をむいて対応したと言います。阮籍のこの故事に基づいて、後世、他人を冷たい目で見たり、冷遇したりする事を「白眼視」と言うようになりました。

阮籍が哲学的考察や文学においてすぐれた力量の持ち主であり、俗世を疎んじた事は確かです。しかしそこには、漢から魏、そして晋へと目まぐるしく移り変わる、世の荒波に巻き込まれないためのポーズも含まれていたのかも知れません。

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