2009.8.9 更新
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Essay (一言書評)
Literature (文学)
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駒田徳広、現役時代、それほど応援していたわけではない。FA権を行使して巨人を飛び出して横浜入り、体は大きいがバットを短めに持ったコンパクトなスイング、2000本安打、我を通して時に周囲との軋轢(あつれき)…そんなイメージの選手だった。 紙面の随所に、球界に巣喰う不合理なるものへの怒りが渦巻いている。とりわけ、対人関係で苦労も多かった野球人生のようだが、横浜で自分が浮いた存在になってゆく過程をも冷静に分析している。と書くと、なんだか怨念暴露本のようだが、基本的にはジメジメしていない。むしろ、全編、駒田流の合理性に貫かれていて痛快なのだ。野球の技術に関するコメントもさることながら、むしろタイトル通り「場外」にはみ出た事件へのコメントが痛快だ。例えば、選手が駐車違反でつかまった場合など、駒田曰く、 なぜ「ぜひとも野球で取り返してほしいものです」などと言うのだろう。何をどう取り戻せと言うのか。僕には、まったく訳が分からない。「駐車違反の責任を取り戻すために力投するエース」そんなスター選手がいるだろうか。 (p.134) 笑った(笑) 健康のためだと言って昼も夜もボールに山盛りの野菜を食べて、そのくせ夜になるとカップラーメンをすすっていたりする。別にカップラーメンが悪いわけではないが、そういう選手を見ると、「こいつは自分の体をどうしたいんだ?」と思ってしまう。(p.199) ごもっとも(笑) サッカーでもバスケットでも、将棋でも囲碁でもチェスでもゲームなら何でも同じ。セオリー通りにやっていくと、後々の楽しみが大きくなるようにできている。(p.107) 駒田がこういう考え方をしている選手だとは、プレーを見ているときには気づかなかった…と感心もしたりする一方で、こんな言い回しが出てくると、がっかりしてしまう。 映画は監督が代わっても要求に大差はないかも知れないが、野球はまったく変わる。(p.212) mm(ミリメートル)、コンマ何秒という、ギリギリの世界での戦いに明け暮れるプロ野球選手の眼は、プロ野球を応援する我々の眼とは当然違う。しかし同時に、プロ野球ではない世界にも、その世界ごとにmm、コンマ何秒の世界がある、ということに何故気づかないのだろう? 一つの山を登り詰めたとき、他の山を登るのにも同じ苦労が必要だ、ということに気が付けるどうか。この辺りに、「一流」と「超一流」の狭間にいた駒田という選手の限界があったような気がする。と言っては、いささか手厳しすぎるだろうか。(2004.8.21読了) |
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