2009.8.9 更新
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Essay (一言書評)
Ciname (映画)
『アンドリュー』 |
機械の永続性と合理的な安定性、それに対する人間(生命体)の有限性と個性についての問いかけ。 ロボットを取り扱う時には定番とも言えるモチーフだ。というのも、「ロボット」という語を生み出したチェコの作家、カレル・チャペックの発想が、「労働力としてのロボットと人間の疎外」というテーマであったのだから、人間性との対峙(たいじ)は、ロボットものの永遠の宿命とも言えるだろう。 物語結末部分、アンドリューは人間として認められたのだが、結局ロボットとしての永続性を捨て、有限である「人間」への変貌を遂げた上で、人類の仲間と見なされたという点に、疑問が残った。永続性を捨ててまで変貌を願ったその心根を、人間として認められた、という事なのだが、それは結局人間としての体にならなければ、いつまでも人間としては認められなかった、という事の裏返しでもある。そこに人類側の欺瞞(ぎまん)が潜(ひそ)んではいないだろうか? 生物学的・社会学的に人類を定義する事は、人間にとって永遠の課題であり続ける事だろう。(2002.9.15Diaryより) |
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