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Diary
2001.6〜7


2001. 6/7(木) - 09:40
6/2(金) 床屋にしようか、美容院にしよか、と悩みに悩んだあげく、以前床屋でできそこないの河童アタマにされた轍を踏まぬよう、美容院に行く。新しいの美容院が次々にオープンして、どこもかしこも大層混んでいる。そして、新装の美容院はどこも日本の美容院を意識しているらしく、「設備は日本と変わりないか」とか、「日本で流行している髪型は?」などと熱心に聞いてくる。今回言った美容院でも、少し前に日本の美容師を講師として招いて講習会を開いたとか。僕のアタマを刈った美容師さんも「彼の技術はすばらしかった」と感動していた。のはよいのだが、終わってみたら、やっぱり焼き畑されたあとの耕地みたいなアタマになっていた。「髪先を揃えない感じが自然でしょ」との事だが、どうみても随分若者向けのようだ。覚悟はしていたが・・・というのも、途中で「何歳?」と聞かれたから「何歳に見える?」と聞き返したところ、例によって「20歳?」との返事が・・・「髪を染めたらいいよ」と勧められたり、流行にあうようにされたりするのは、幼く見えるせいだろか・・・結構やつれた顔した27なのに・・・

6/4〜6/6 C師に連れられて、安徽省の宿州へ行く。宿州の街は、僕の知る範囲では鎮江をもう少し田舎にした感じの、そこそこの規模の街だった。だがC師の実家は、正真正銘の農村! という前に驚いたのは、最初に案内された街はずれのアパート、「ここは僕と妻子の部屋だから」って。なぬ!? 学生結婚で子供あり!? 2年間そんな話が出たことはなかったのでビビッたが、古武士の精神、「へ〜」と日本人は驚きを表さない。バス・トイレなしの2部屋、月80元(約1000円)とのこと。翌日、奥さんの実家の農家へお邪魔。バス亭から、自転車にてC師の後ろに乗せてもらい、農道を行く事20分ほど、畑の中に分け入っていくと、数件の農家が群がっていて、そのうちの一軒。電話はおろか、水道、そしてトイレもなく、おお、これぞ農村、と室内を見回すと、テレビだけはなかなか立派なのが置いてある。今度は、おお、これぞ中国、と何やら感心。

奥さんとその御両親もヒジョーに穏和。しばしば中国で遭遇する、こちらが困ってしまうほどの一方的な親切攻めというのもなく、結構のんびりした感じにて、料理を作るときも「辛いのは大丈夫か」と尋ねてくれたり、「もう満腹だ」と言えば、必要以上に勧めてこなかったりと、安心して生きていけそうな雰囲気が。徐州市から電車で一時間ぐらいの近距離なのだが、徐州よりも料理の味はスタンダードでおいしかったようだ。トマトを輪切りにして、砂糖をまぶして食べるのはよく見かけるが、キュウリも同じようにして食卓に並んでいた。あとは豚肉と青椒(チンジャオ:ピーマンの辛いヤツ)の炒め物、麻辣豆腐(マーラードウフ:日本と同じく、麻婆豆腐という地方もある)、川魚の煮物、何かの豆とニンニクの炒め物、家でとれたアヒルの卵を茹でたものと、ピータン、鯉のスープなど。味付けも油もそれほど濃くなく、箸が進んだ。C師は満足いくものもなかったでしょ、と声をかけてくれたが、なかなかのごちそうである事は一目瞭然で、行く前に恐れていたのとは裏腹に、実際のところ非常においしかったのだ。

「動物(家畜)の写真も取りたいでしょ?」と言って、昼食後、奥さんに近隣の家などもちょっと案内してもらった。「みんなよく知ってる人たちだから、遠慮しなくていいわ」という言葉通り、近所の人もにこにこして出てきて敷地内を見せてくれた。よぼよぼのおじいさんが「中でお茶でも飲んでいきなさい」と、訛の強い言葉で勧めてくれたのは、素朴に嬉しかった。ちょうど収穫時にあたり、一年で今が一番忙しい時期だとか。周辺では、刈り取られた小麦が道中に敷き詰めれていて、子供たちも農具を持ってうろうろしていた。安徽省は比較的貧しい地域で、治安も悪いと言う話をよく聞くのだが、合肥にしても今回の農村にしても、普通に暮らしている人々の表情は非常に明るい。市街地も目に見える速度で発展しているらしく、なんだかんだ言っても、15億人民を飢えさせないというコンセプトを実践してきた共産党は、やはりすごいな、との思いを新たにした。

食事した時に、恥ずかしかったのかなかなか席につかなかったおじさんが懐かしい。最初、僕が部屋に入ったときも、食事に使う用のキュウリの皮を、黙々と包丁で剥いていたおじさん。帰り際、建物の陰になって見えなくなるまで見送ってくれたときは、結構寂しいものが。「また遊びに来なさい」と言ってくれたけれど、もう会うこともないかな、と・・・数時間だけの、まさしく一期一会、ありがとう! 見送ってくれる一家に手を振りつつ、振り返りつつ、やがて見えなくなった・・・のだが、ふと気付いたら、カメラのフィルムを置き忘れてきていて、慌てて取りに戻ったら、一家の人が驚いて振り向き、次いで爆笑。きっと向こうの一家も、「行ってしまったねえ、もう会う事もないだろうかねえ」としんみりしていたのだろう。ある意味スタンダードとも言える農村探訪だったけれど、中国を旅した中で一番印象に残りそうなのは、やはり今回の旅だ。
2001. 6/8(金) -12:20
昨日の夕方、久々に野球の練習に加わった。また不整脈がでると厄介なので、自粛してノッカーなどで我慢していたのだけれど、ノック受ける側の元気な事、元気な事。湿度が高くて汗が乾かない中で、一時間に及ぶノックを受け続ける情熱、巨人の星もあながち作り話ではないかもという気がしてきた。参加した人々が口を揃えて曰く「体内の毒素が抜けた」。やっぱりたまには体動かした方がいいなあ。とは言うものの、今朝は背筋が自己主張していて、苦しい。それにしても、あの暑い中、中国人はよくランニングをしているものだ。老人から子供まで、無闇によく走っている。20cmぐらいあるラジオを持って、放送を聴きながら走っているおばさんや、わざわざ木の枝が茂っている方向に疾走して、凧を枝にからませてしまう子供とかもいて、結構意味不明だ。

少し前から、サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人〜世界最高の辞書OED誕生秘話〜』(訳・鈴木主税)を読んでいる。1〜2年前、確かタケシの何とかいう番組でも取り上げられていた話だ。
2001. 6/12(火) -15:35
以前、画家先生のお宅にお邪魔した時に、中国茶のやり方でお茶をごちそうになり、茶器がにわかに欲しくなった。欲しい。と一度思ってしまったら、居ても立ってもいられない。だが高い。一式揃えると、結構な荷物になる。しかも運搬中に壊れそうだし・・・と買おうか買うまいか迷っていたのだが、実はそれは自分へのポーズ。内心では、買うのだと決まっていたっぽい。デパートにて一式を揃えてしまった。帰国したら野立てだ、野立て! いや、室内用なんだけどね。久々に本以外の買い物にて、嬉しかったりなんかして。
2001. 6/16(土) -11:20
3日続きの雨が上がったと思ったら、いきなり夏日和。

南京市街の最も東南に、シェラトンホテルがある。金陵飯店・状元楼などと並んで最高級のホテル。先日、たまには豪華に、とバイキング形式の夕食を。清潔だし対応もよく、料理もおいしいのだが、洋食風の割りには中華色がちょっと強いような。これだと欧米人はがっかりするんじゃないだろうか、と思っていたら、体格のよい欧米人女性がばりばりと皿に盛りつけて、もりもりと食べていた。豪傑なり。

一昨日のこと、ネット、あまりにも激しく落ちるので、アタマに来て落ちるたびに「正」の字をつけていたら、1時間半の間に18回も切れた。では、なぜそうまでしてネットに繋ぐのか?それは、そこにネットがあるからだ(意味不明)
2001. 7/20(金) -18:30
旅行から南京に戻った。

南京→(車中2泊)→敦煌→トルファン→(車中1泊)→カシュガル→ヤルカンド→カシュガル→(車中1泊)→ウルムチ→(車中1泊)→宝鶏→西安→(車中1泊)→南京、

とまわって、ちょうど一ヶ月。疲れた。こんな大きな旅行は、きっと、もうできないだろう。とりわけ印象深かったのは、

@カシュガル:ウイグル系の完全なイスラム文化圏で、中国語も通じず、なぜここが中国なのかが分からない街だった。いままでは、中国と台湾といった中華文化圏しか見た事がなかったので、イスラム文化に触れたショックは、思いもしないほど大きかった。バザールのすさまじい雑踏の中、皮膚ばかりか心まで焦がすような太陽に照りつけられた時、突然、旅の意味が分かったような気がした。

A敦煌:莫高窟の壁画もさることながら、鳴沙山などの砂漠を堪能できたのが嬉しかった。今回の旅行は、電車とオンボロワゴンで砂漠での移動の連続だった。日本よりも広い砂漠の真ん中に、突然緑が広がるオアシスの情景は、ほんのわずかでも「水」がある事がどんな意味を持つのかと言うことを、ほとんど驚異を伴って体感させてくれた。それにしても、らくだってすごい。

B宝鶏:観光で一番楽しみにしていたのは、実は宝鶏(ほうけい・バオジー)。西安の西200kmぐらいのところにある、陜西省で二番目の都市なのだが、ここの東50kmぐらいの農村に、諸葛亮が陣没した五丈原の古戦場があるのだ。その付近に建てられた廟を見て、周囲を見回した時は、そりゃあもう感動。中1の時に吉川英治の『三国志』読んで以来思い描いていた地を踏めて、言うことなし。2年間の中国滞在のラストに、落鳳坡と並んで一番行きたかったところに行けて満足。

どの都市も、連日40度を超えていた。1時間も外を歩くと、簡単に熱中症にかかってしまう。太陽が脳天に直接突き刺さるような、あんな暑さは初めてだ。暑さとともに苦しめられたのは、激しい金欠。今回は移動距離が長大だったので、初めからキツキツの貧乏旅行を覚悟していたのだが、南京にたどり着いた時には、財布の中には日本円で数百円分しか残っていなかった。危うい哉。

帰って来て嬉しかったのは、皆さんが掲示板に色々カキコしていてくれたこと。荒廃・消滅も覚悟してたので、ホントに嬉しい〜、ありがとうございまする〜(感涙)


読書近況。ここのところ読み終えた本たち。

ブラッドリー・トレバー・グリーブ 『The Blue Day Book』 (訳/石田享)
丹藤佳紀 『中国 現代ことば事情』
野村 實 『日本海海戦の真実』
サイモン・ウィンチェスター 『博士と狂人 〜世界最高の辞書OEDの誕生秘話〜』(訳/鈴木主税)
中野美代子 『西遊記 〜トリック・ワールド探訪〜』
二宮清純 『最強のプロ野球論』
司馬遼太郎 『十一番目の志士(上・下)』
2001. 7/25(水) -12:30
この人と中国で会うのはこれが最後、というのが続いている。同業の人とは帰国後も会う機会はあるだろうけれど、これっきりになってしまう人も多いだろう。まさしく一期一会。一期一会で思い出したが、『フォレスト・ガンプ』の中国語版のタイトルには笑った。『阿甘正伝』。「阿甘(アガン)」というのは「ガンプちゃん、ガンプ君」といった響き。もちろん魯迅の『阿Q正伝』をもじったものだが、阿Qの愚かさに鑑みるに、なんだか差別的なような気もするのだが・・・まあ、深くは問うまい。

暑い。湿気ムンムンで、夜中でも35度をきらない。つまるところ僕の部屋は、四六時中、日本の最高気温ぐらいあるわけだ。死ぬ。昨日は水やらコーラやら、600mlのペットボトルを6本飲んだのだが、トイレに行ったのは1回だけ。全部汗になっているらしい。ううむ、グレイト。
2001. 7/26(木) -9:30
実家に頼んでいた送金が届いた。ほっ。昔と違って、郵便物が紛失する確率は大分減ったとはいうものの、それでも心配。こちらから送ったダンボールも、34個のうち32個は届いたのだが、2個はいまだ・・・

共同の洗面所に、ゴキがわらわらと。日本のと違って小さくて飛ばないのが主流なので、驚異は半減するのだが、やっぱり煩わしい。しかも、高温多湿に恵まれ、春先に比べると移動速度が相当速いっぽい。通常の3倍のスピード(紅い彗星なみ)ぐらいなので、殺虫剤をかけるのも難しい。この頃は、熱湯かけて、苦しみを長引かせずに引導を渡すことに。ゴキに比べると、ハエの方がどうも虚弱っぽい。飛ぶこともできずにへろへろと歩き回っている姿をよく見かける。ハエも熱中症にやられるのだろうか。そういえば8年前の中国で、レストランにて黒い物体が出てきて、なんだろうと思ったらハエがたかりにたかっているスイカだったってことが。それに比べれば、今は全然マシになっているけれど・・・


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