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Diary
2001.3


2001. 3/1 - 03:15
つい口ずさむ曲と、いつ聞いても新しく楽しめる曲と、なぜか胸が痛んでほとんど聴くことがないのに、大切な曲とがある。
2001. 3/2 - 21:20
中華は、大勢で食べるのに向いてる。一人で食べに行くと、大皿で一品しか頼めないから、ちょっとつまらない。今日は豚肉を入れた卵焼きのようなのと、ニラと川でとれる貝を油で軽く炒めたのと(ちょっと匂いが鼻についた・・・)、タケノコと人参を油炒め、それに砂鍋(シャーゴウ:肉団子とか野菜、ハルサメなど、色々入ってるスープ)。肉も野菜もとれて、バランスもいい。これで明日も生きていける。
2001. 3/3 - 01:30
げっ、「Classic」書き足したら、誤ってこれまでの書いたぶんを消してしまった。しかもバックアップ取ってない・・・まあ、一番開かれないページだろうからいいけど・・・
2001. 3/3 - 19:30
つけっぱなしにしてるテレビから、突然壮大なスケールの曲が流れてきた。なんだろうと思って振り返って見たら、歯医者のCMだった。スターウォーズばりのBGMの中で、患者が口開けて歯を削られてる。ちょっと面白いけど、この歯医者に行くのはやめよう。
2001. 3/5 - 00:00
ちょっと春めいて来て、今年もソフトボールやりましょう、という話。で、体調よくなかったけど、野球じゃやらないわけにいかないから(ナゼだ?)、グローブ持って朝から出陣。グラウンドはぬかるんでいるし、強風で寒い! けど、やっぱり野球はいい。5打数3安打と、今季も上々の滑り出し。でも、心臓バクバク、やっぱり具合よくない・・・

先輩の知人の先生が、日本の学生30人をつれて南京旅行に来るというので、夕食に同席することに。四国は松山大学の学生さんが中心のご一行様。南京大学の日本語科の学生さんなどもまじえての夕食で楽しかった。経済が専門の学生さんたちで、日頃は中国とは関係ない方がほとんどなだけに、中華料理から土産物まで、色々ともの珍しいよう。僕も初めて中国に来た時の事を思い出した。ちなみに引率してらした先生が、「これからの若者は、中国を見ておく方がいいだろう」というお考えのようで、まことに同感。それにしても、みんな素直な青年男女、僕も20ぐらいの頃は、こんなに素直だったろうか・・・いや、そんな事はない(反語)。

久々の野球のせいで、今日は一日、筋肉痛。年だ・・・筋肉標本になったような気分。痛え〜〜〜。
2001. 3/6 - 13:00
昨日は同期の友人とともに、松山大学御一行の観光につきそった。南京駅の東どなりにある新世紀ホテルでのチェックアウト、南京大学留学生部の説明会、留学生寮の見学、南京大学の日本語学科の学生さんとの交流会、昼食、太平天国記念館の参観、買い物、それから南京駅までお見送り、といった一日。30人からの学生さんたち、話せば話すほど、みんなにこにことしていて感じがいい。「 この時間に集合」と言えばきちんと戻ってくるし、挨拶もお礼もきちんとできるし、それが全部ごくフツーにできているのが好感だ。中には、「今度は留学に来たいので、色々教えて下さい! これから一年間バイトしてお金ためて、じっくり両親を説得します!できれば将来は、中国と公益のある会社に勤めたいです」という青年も。うう、おじさん目が潤んでしまった。

中国と韓国、日本はおとなりさん。中国人は、日本人が思っている以上に日本の事をよく知っている。南京駅で電車を待っている間にも、駅員のおじさんが顔からはみ出そうな笑顔で近づいてきて、「君たちは日本人か? 中国語は話せるのかな? 日本に比べると全然遅れているが、中国の文明を見ての印象はどうだい?」「ビルなんかも多くて、思ったよりも全然進んでいる」という学生さんたちの言葉を伝えると、おじさん「いやいや、日本に比べたら、まだまださ。僕は日本の事に興味があるから、いつも国際ニュースを見てるんだよ、だから、ちょっとは日本の事も知っているんだ」その言葉を伝えたとき、学生さんたちがみせた笑顔は、言葉じゃなくてもおじさんにもきっと通じた事だろう。学生さんたちが、「中国人は、日本人にすごく友好的なんだなあ」と驚いていたのも、来てみて初めて分かる実感だ。引率の経済学の先生曰く、「なかにはほとんど松山から一歩も出たことのない学生もいる。そういう学生に、いくら「グローバル化だ」と言ったところでピンと来ない」。今度旅行に来た学生さんたちは、いい機会を得て、それを十分に楽しめていたようで本当によかった。今頃、上海で買い物をしている頃だろう。ある人にはいい想い出になり、ある人には新しい一歩になり、そうして日本と中国も、少しずつだけど近づいていければ。
2001. 3/6 - 22:15
友人たちと差別用語の話が出た。いまの規制は行き過ぎだ。色々問題を抱える人々が苦痛に感じるような言動が規制されるべきことは間違いないのだが、色々な概念を無闇に圧殺する「臭い物には蓋をする」式の逆差別は、かえってそういう人々を社会から遠ざける形にもなりかねない。
2001. 3/9 - 15:20
森永のラムネ菓子。ふと思ったのだが、「ラムネ」というのは、今でこそお菓子の種類として定着した呼び名だけど、もとは炭酸飲料の「ラムネ」を真似た森永の商標名だったんだよなあ。ジュースの名前がお菓子の種類の名前にもなっちゃったワケか。他にもこういう風に混用されてる名前って、結構ありそうだ。

しかし、電話回線の調子が悪い。一応繋がるだけ繋がっておいて、まったく送信も受信もできないなんて極悪だ。
2001. 3/10 - 18:40
読み終わりそうで読み終わらない本が、そこここに・・・明日は何冊かかたづけよう。

ソフトボール。ほとんど日本人で、あとは韓国とアメリカの人が数人。2打数1安打、勝負どころでのタイムリーヒットと、バッティングはよかったのだが、守備で2エラー・・・今日は、球こっち来るなと祈っていた。ああいう時の時間って、長く感じるよなあ・・・
2001. 3/12 - 16:00
夏の帰国を見据えて、本やVCDを買いあさり始める。とりあえず昨日は『紅楼夢』『西遊記』を買った。これで『三国志』『水滸伝』と並んで、四大奇書は揃ったわけだ。あとは『環球格格』の第二集とかも買って帰ろう。せっかくだから、中国の偉人シリーズみたいな伝記物も買って帰ろうかな。見ない気もするが・・・で、今日は本屋めぐり第一弾、12冊にて1万円程度。日本で買ったら3万円ぐらいだろうか。送料を考えても、やはりこちらで買った方が安い。

昨晩は、Ke-Keというイタリア料理系の店に行った。まだできてから比較的新しい店で、最初は日本人の店長だったのだが、やめたのか更迭されてしまったのか、いまは中国人の店長にかわっている。食べに行ったのは3度目になるのだが、ウェイターがこちらの事を覚えていて、「わざわざこんな所までどうして食べに来るんですか?」と質問された。日本人が日本食を食べに行くのならともかく、なぜ洋食の店に来るのかが不思議なのかも知れない。日本流にアレンジされているとはいえ、洋食・中華なんでもあり、日本は本当に雑食の国だからなあ。ちなみに今日の昼は、大林という日本食の店に行った。焼肉定食と納豆。特に、納豆うますぎ。
2001. 3/13 - 21:50
暖かい。北京の友人からのメールでは、最高気温はまだ10度ぐらいだと言う。こちらはもう20度近くある日もあるから、ほとんど春だ。ちょっとした買い物に出ても、汗ばむぐらい。室内はさらに蒸していて、すでに25度近い。昨日の夜は、あまりの熱さに、素っ裸になって汗流してる夢を見た。美しくない。そろそろ冬物は日本に送り返そうかなあ。

昨日、『金瓶梅(六)』読了。
2001. 3/14 - 23:50
夜になって、突然の強風。上の方の階で、窓ガラスが割れたような音がする。中国にも春一番が吹くんだなあ・・・

『中国神話伝説集』(編/松村武雄、解説/伊藤清司、現代教養文庫)読了。
2001. 3/16 - 15:30
北京に行く事になった。来週月曜の夜に南京を発ち、翌朝北京着。一番早い電車のチケットを取れたので、12時間弱でつく。先生や友人など3人が、別々の用事で北京に来ていて、こんな事も珍しいので顔を見に行く事に。南京の友人とあわせて、5人が集う事になる。折角遠出するならという事で、北京の後は、一人で襄樊(じょうはん:武漢の西北400KMぐらい)に足を伸ばしてみようかと思っている。のべ1週間強程度の旅程か。それにしても、長旅に出る前は、なぜかいつも憂鬱だ。

昨日、山口久和 『「三国志」の迷宮』 (文春新書)読了。
2001. 3/16 - 23:50
去年の夏に一時帰国した時、友人から借りて来た2台ピアノに編曲されたボレロを聞いている。これ、ごく最近まで全然よさが分からなかったのに、ある時突然、ぱっとニュアンスが掴めた。ような気がする。自分の成長に見合った時期でなければ、本当の意味の出会いにはならない。

部屋を整理した。当面使わない本をダンボールにつめ、すっきり整理された本棚と机を見たら、なんだか生きる希望が湧いてきた。
2001. 3/17 - 21:10
朝一番からソフトボール。だったのだが、雨続きだったため、グラウンドの状態が最悪。加えて、今日は人数が揃わなかったため、シートバッティングに変更。特守と称して猛烈なノックなど。戻ってからは、北京に行く前に片づけねばならない細々とした事務に追われている。

昨夜、日本人の部屋でどんちゃん騒ぎが始まった。20人ぐらいいるのではないかと思われ、部屋のドアも閉めずに、音楽のボリュームも最大級、酔っぱらって廊下に出て、大声で談笑。いい加減頭に来て苦情を言いに行こうとしたら、中国語で「ハッピーバースディ」の歌を歌っているのが聞こえて来て、おっと、と思いとどまる。年に一度の誕生日、野暮な水を差すのは後味が悪いような、大人げないような。どなたか知らないけれど、誕生日おめでとう! 異国でみんなにお祝いしてもらうなんて、ちょっと嬉しい事だ。でも、他の国の人にも迷惑かけないように楽しめればいいね。
2001. 3/19 - 18:10
本当なら、今日の夜に北京行きの電車に乗るはずだったのだが、直前になって延期。というのも、以前、日本での先生から紹介していただいた謝成水さんという画家さんが、ご自身の展覧会の開幕式に招待して下さったので、折角だからありがたく参加させて頂くことに。なんでも敦煌壁画の模写の第一人者との事、どんなものなのか楽しみだ。創作画集も見せて頂いた事があるのだが、敦煌壁画の模写でマスターした正確無比な安定感を誇る古典的仏教画をベースにしつつ、前衛的な要素も取り込んだ画風だった。

で、今日は朝一番から電車のチケットを手配しなおしに行った。今度とれたチケットは硬座。背もたれが直角の椅子に12時間座ったまま、夜行にて北京に行く事になってしまった。しんどそう。それと、チケットの払い戻しは駅じゃなきゃできないというので、往復40分かけてタクシーにて南京駅まで出向いた。払戻額は20%、タクシー代をさっぴいたらほとんど残らないな、と思っていたら、ダフ屋が・・・本当なら80元しか返却されないところを、330元で買い取るというではないか! 迷わず売ってしまった。損した事には変わりがないのに、ちょっと浮かれ気味な自分が愛おしいような、哀れなような。
2001. 3/20 - 14:20
敦煌壁画展、開幕式に参加させていただいた。南京市街地の中では西の方、清涼山公園という所にて開催。いや、大したものだ。十年一剣を磨くという言葉があるが、本当にそうでなくては、モノにならない。しかし、十年磨き続けても、モノにならないものもある。がっくり。ちなみに、参加者には、先生が一筆添えて画集を贈呈してくださった。売っていれば買おうと思っていたものだったので嬉しい。『謝成水 敦煌壁画線描集』と『走出敦煌 謝成水画集』の二冊。日本でも紹介されてるはずなので、帰ったら本屋で見てみよう。

そういえば、「清涼寺」という看板の下に、「cool refreshment temple」と書かれていたのには、ちょっと笑った。
2001. 3/28 - 12:50
南京に戻る。北京・襄樊(じょうはん)と一週間の行程。いやあ、中国はどこ行ってもよく人のいる事。世界人口の4分の1が中国国籍なんだから、当然と言えば当然なのだが。旅に出ると、毎度同じ事と、毎度予期せぬ事との両方に見舞われる。あ、それは日常でも同じか。いまにまた、紀行文書こう。でも、備忘録がわりに、ざっと。

3/21 「遣唐使」という短期留学の御一行が南京にも来ており、その中の有志の人とソフトボールの試合。4打数2安打1打点と打撃は良かったのだが、またしてもエラー、しかもポテポテのゴロをトンネル!! 年のせいか、腰が沈まない。がっくり。気合い入ってたみなさん、すみません、ホント。。。で、その後シャワーを浴びて、夜行にて北京へ。座ったままで12時間。よくある事なのだが、電車に乗ってみたら僕の席におばさんが座っている。何と行っても動かず、挙げ句の果てに「もう網棚に荷物を載せてしまってあるから、それを動かすことなんかできないでしょ」をぃをぃ、もうちょっと納得のいく開き直り方をしてくれると、こっちも文句いいやすいんだけど・・・と、うんざりしていると、その人の息子らしき青年が恐縮しきって現れ、母親に席を立つように促しつつ、しきりこちらにも詫びてくる。結局座れて良かったのだが、なんとも・・・だいぶん慣れてきたとは言え、なんだか、ちょっと気の重い出立。

3/22 朝、北京着。やはり7年前とは異なり、ずいぶんと整備されていた。そのかみは、浮浪者らしき人々も溢れかえっていたのだが、今回はそんな陰鬱な地獄絵図のような光景には出くわさなかった。その構図が駅構内からどこか他のところに移っただけなのかも知れないが、やはり全体的に豊かになったのが伝わってくる。友人が予約してくれてあった北京師範大の宿舎に泊まる。日本で同期だった友人4人が顔を会わせる事になり、ちょっと感慨。師範大学近辺の本屋を物色した後、夕食はペキンダック。

3/23 4人の師匠にあたる日本の先生も北京大学に逗留中のため、午前中に会いに行く。さながらゼミのような顔ぶれになった。「満腹餐庁」という日本食の小さな店(うまい!)にて昼食をとった後、本屋巡り。夜は、北京師範大に留学中の院生さんたちと「ばんり」というやはり日本食の店(これまたヤバいウマさだ!)にて夕食。和風おろしとんかつ、ああ、思い出したら涙が出てきた。うまかった。

3/24 吉野屋で昼食。北京に住めば、何となれば中華を食べないまま過ごす事も可能だ。勿体ないけど。で、昼過ぎから書店巡り。

3/25 前日回りきれなかった琉玻廠(リウリーチャン)など、書店巡り。本を買うなら、やはり北京だと痛感。南京も頑張ってはいるが、専門書となると、とても北京に及ぶものではない。買った本が小型のダンボール7〜8箱になってしまったため、郵便局から南京に送る。夜、北京西駅から襄樊に向けて、夜行にて移動。北京西駅も、メガロポリスチックなすごい建物になっていて、たまげた。

3/26 およそ18時間にて、午後2時ほどに襄樊(じょうはん)に到着。駅前すぐの鉄道大酒店に宿を決める。北京同様、それほど寒くない。荷物を置くや、タクシーを拾って隆中(りゅうちゅう)の古跡へ。諸葛亮が三顧の礼を受けた、言わずもがなの名所である。繁盛の市街からは20kmほど離れていた。草廬などの展示の他に、裏山みたいなのがあり、登ろうと思ったのだが、行けども行けども道が尽きず、中途にて断念。ちなみに隆中は風景区に指定されており、園内は相当広く、整備されている。

市内の交通もよく分からぬため、どこだか分からぬ所でバスをおろされて困ったりした。襄樊は漢江を夾んだ二つの地区をもつ市で、なかなか大きな街だ。しかし都市という感じではなく、だだっ広く街が広がっている、という印象。マックやケンタッキーはまだ進出していなかった。

南京に戻る電車のチケットを手配しようとしたが、ホテルの旅行代理店はパソコンが故障していて機能停止、街なかの代理店はどこもまったくやる気がなくて話にならず、駅の売り場でも、当日の朝一番でないと買えない、との事。いつもの事だが、中国での電車移動は手配が大変だ。北京で本を買いすぎたため、手持ちの資金も、電車賃を除けば、日本円にして実に2000円を切っており(無謀!)、もし余計に一泊せねばならなくなったら、まかないきれなくなる恐れがあった。このまま襄樊で土に返る事になるのだろうかと、心細い事この上ない。のだが、久々にバスタブにて湯に浸かり、昇天。風呂はいい。

3/27 朝一番に駅に行き、並ぶ事1時間弱、幸いにも南京までのチケットを買えた。どうしても買えない場合は、一番安いバスで武漢に出て、そこからまた夜行バスで南京に戻ろうと思っていたので、直通の電車で帰れる事になり、安堵の脱力。それからタクシーを拾って、宋代の文人・米フツ(くさがんむりに「市(注:「いち」ではない)」)を祀(まつ)った祠(ほこら)を訪れたのだが、工事中との事で参観できなかった。が、漢江のほとりにまで降りて、川を眺められたので、よしとする。昼過ぎ、電車に乗り込み、翌28日、朝7時前に南京着。ほっ。

電車にて一人っきりでいる間、ずっともの思いにふけり続ける侘びしさは、何とも形容しがたい。風景とともに、いままでの時間が目の前を再び流れ去っていくような、そんな感覚。何もできない時間だからこそ、普段は目をつむって気付かぬふりをしている事を感じたり、考えたりする事ができる。自分だけで自分の過去と向かい会う、そういう時間は苦しいけれども、でも捨て難いものでもある。

3/21『金瓶梅(七)』読了。
3/27 『これが投手だ!』(宝島社文庫)読了。
2001. 3/30 - 22:50
王府大街という通りに回転寿司の店があるとの事で、行ってみた。繁盛していたが、日本人客は思ったより少ない。回転寿司にお目に掛かるのは、2月に上海に行った時以来で、ちょっと感動。寿司ネタではない緑色した謎の物体が回っていたり、甘エビが一匹ずつしか乗ってなくてアンバランスだったりしたが、すべて許す。

桜が咲いているというウワサの場所に行ってみる。夜桜としゃれこもうと思うのだが、昨夜に引き続き発見できず。残念。

そうそう、忘れていたが、昨日は日本語学校の授業見学に行った。というのも、5月に一日だけ教師代行を頼まれて、その下見に。7〜8人の学生さんが来年日本に行くというのには、驚いた。私費の留学生も、すごい勢いで増えているようだ。中には「ワールドカップを見に行く」という強者もいた。生徒さん達が自己紹介してくれたのだが、「私はケンタッキーが好きです」と言おうとして、「私は・・・私は、ケンタッキーです」と言ってしまい爆笑された女性がいたり、途中で「I Don`t know」と英語が混じってしまった男性がいたりで、なかなか楽しい。日本語教員になった人や、なりたい人が多いというのが、ちょっと授業に出ただけで得心がいった。確かに、こういう仕事もいいなあ。


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