ジシギ類の識別をどう考えるか

―2007年現在の覚書―


ジシギの識別に関しては色々な言い方や考え方があることは承知しているのだが、しばしば私がよく思うのは、それさえあれば全て解決という特効薬的なもの(=いわゆる“決定的な識別点”“決め手”)を性急に求めること自体が少し違うのではないか?ということだ。また、特効薬がない→だから識別できない、というのも私の感覚からすると違うような気がする。もちろんもしも特効薬的なものが見つかれば便利だし、そういうものを探求していくことも決して無意味だとは思わないのだが。

例えば、オオジシギはチュウジシギに比べて傾向として大きい。傾向として淡色である。傾向として顔が長い、傾向として体後部が長い。傾向として雨覆などの黒色部が細い。傾向として外側尾羽の黒色部が小さい。傾向として尾羽の枚数が少ない・・・・。

これら一つ一つは確かに基本的には「傾向として言える特徴」であって、多少とも個体差やオーバーラップ、状況による見え方の変化などがあるので、必ずしもそれら単独では全てのケースを解決するような「決め手」とまでは言えない。しかし実際には多くの場合これらの特徴がいくつも集まり複合的に作用することで、いかにもオオジはオオジらしい、チュウジはチュウジらしい外観をそれぞれ造り上げており、それによってしばしば「一見してわかる」とすら思えるほどの非常に異なった印象を与える。またそれほどわかりやすくはない例であっても、注意深く多くの特徴を見ていけば、十分妥当と思われる結論を見出せることが多い。

つまり、これでもまだ不十分であり、あくまで全てのケースに例外なく適応可能な「決め手」がない限り識別できたことにならないという考え方もあるように思うのだが、しかし私はここまでのところでも「多くの場合識別可能」だという感覚を十分持つことができるし、少なくとも自分の中ではそれで納得できている。また、個体や観察条件によっては判断が難しいことがあるのも、こうしたある程度難しいグループの識別ではいくらかあるのがむしろ当然のことであり、それをもって全てが識別不能だということにもならないし、わかりやすいものに関してまで結論を避けなければならない理由にもならないと思う。

また、個々の観察例についてどの時点で何をもって「間違いない」と考えるかという点に関しては、必ずしも誰かが一律にこうであると線を引けるような問題ではなく、むしろ観察者個人個人が自身の経験や知識やものの見方に照らして常に考えていく種類の問題ではないかという気がする。


2007.5.22 M.Ujihara