狂わされしもの
「……はぁっ!」
白くほっそりとした手が、宙を薙ぎ払う。
次の瞬間、奇怪な人の顔をした狼が、鮮血を撒き散らしながら、両断された。
リノリウムの廊下の中に、10頭近い狼の姿が、遠巻きにしている。
すでに、その倍の数の切り裂かれた死体が、千鶴の足元に転がっていた。
だが、彼女の息は上がり、すでにいくつかの手傷も負っている。
「千鶴さん、こっち!」
志保が叫び、通路を守っていた千鶴は、素早く後退して、志保が呼ぶドアまで後退する。
千鶴が背を向けた瞬間、ひときわ大きな狼が、その背中に向けて跳びかかって来た。
「けぇっ!」
鈍い衝撃御と共に、その頭が粉みじんに吹き飛んだ。
すかさず、志保がドアを閉める。
手に付いた血糊を振り払い、千鶴は大きく溜息をついた。
「……ありがとうございます、御堂さん。ですが、今度からはもう少し、気を付けて撃って下さいね」
「そいつぁ悪かったな、けけっ」
御堂は手の中のライフルを振って、狼の血を頭から浴びた千鶴に、にやりと笑って見せた。
髪の端からぽたぽたと落ちる血と脳漿に、千鶴は憂鬱そうな顔になる。
「はい、千鶴さんタオル」
「ありがとう、志保ちゃん」
「どういたしまして。智子、そっちは終わった?」
「ちょっと待ちぃ。なんや知らない規格みたいで、ようわからんのや」
さして大きくも無い管理室は、幾つも積み重ねられたダンボールと、資料の山で大半が占められていた。
狼達が、背後のドアを破って入ってこようとしないことに安堵しながら、千鶴は物珍しそうに覗き込む。
「智子さん、動かせるのですか?」
「少しなら……せめて、現在位置と、他のみんなの場所だけでも知りたい所やけどな」
「どうですか……何かわかりましたか?」
臭いは取れないものの、なんとか髪を拭き終わり、千鶴が声をかける。
御堂は、備え付けの備品や棚を漁っているし、志保はいくつかの資料を引っくり返していた。
薄暗い室内で、ディスプレイの光に照らされながら、智子は方をすくめる。
「……せいぜいパンフに乗ってる事ぐらいしかわからないわ。
セキュリティ部分の大半は、すでに破壊された後みたいやし」
キーボードの上を忙しなく動いていた智子の指が、苛立たしそうに一点で止まった。
「ほら、ここ見てみ。ここが私達のいる所。で、この光ってる点が、みんなのジープの場所や」
智子が示したディスプレイには、このパーク全体の地図と、それぞれに光っている点が映っていた。
「困ったわね……みんな、どうしてるかしら。梓はいいとして、楓と初音は大丈夫かしら…」
「ヒロとあかりの場所だけでもわかんない?」
志保の問いに、智子は肩をすくめる。
「これは、ジープに備え付けの発信機が反応してだけなんや。だから、ジープから離れた人はわからんし、
場所はわかっても個人を特定するまでにはいかへん」
落胆の色を隠せない千鶴と志保に、奥でなにやらごそごそしていた御堂が、明るい声をかける。
「おめぇら見ろよ、非常食見つけたぜ。後、武器もな」
「ホント? ついてるじゃない」
とたんに嬉しそうに志保が駆け寄る。
「乾パンに干し肉に、カップ面にコンビーフ……やった、サンマの缶詰!
あたしこれ好きなのよね〜」
非常用と書かれたリュックサックを漁り、無邪気にはしゃぐ志保に、千鶴と智子は顔を見合わせ、苦笑した。
「おいおい、今食うなよ。これはあくまで非常食なんだからな」
「わかってるわよ。あたしだってそのぐらい……?」
いきなり志保が、振り返った。彼女に遅れて、御堂と千鶴もその気配に気付く。
「……また、もんすたーか?」
「わかりません……敵意は感じますが、非常に小さいものです」
狭い室内で、隠れられる所は限られてくる。棚か、ダンボールの影か、積み重ねられた資料の中か。
警戒する千鶴と御堂だったが、いきなり志保が気配の方に走り出すのを見て、ぎょっと動きが止まった。
「うひゃ〜可愛い〜!」
ダンボールの奥から志保が抱き上げたもの……それは、凶悪な面構えをした、ドラゴンの子供だった。
その正体がわかって、思わず拍子抜けする御堂だったが、すぐさま厳しい顔になる。
「おい、気を付けろよ志保。そいつは一応、もんすたーなんだぜ」
御堂が言い終わる前に、志保は指を噛まれて悲鳴を上げた。
子ドラゴンは身軽に資料の山に降り立つと、ぐるぐる、と唸り声を上げる。
「ほら見ろ、言わんこっちゃねぇ」
「でも可愛いですね、本当に」
のほほん、と言う千鶴に、御堂は思わずがっくりと肩を落とした。
「……なんや、一気に緊張感が無くなってしまったわ」
呆れたように愚痴る智子。御堂も同感だった。
そもそも、いかにも爬虫類然とした面、鋭い牙、無骨なうろこと、
体は小さいがドラゴンそのものの姿を、可愛いと言ってしまう神経が理解できない。
だが、千鶴は威嚇するドラゴンに、ちっちっち、と猫でも呼ぶかのように、手を差し伸べている。
「……噛まれるぞ」
だがさすがは千鶴、口が閉じられる寸前、素早く手を引っ込める。それを何度か繰り返して、遊んでいた。
「女って奴はこれだから……」
「千鶴さん千鶴さん、お腹空いてるみたいだから、これあげてみようよ」
志保が差し出した干し肉を、子ドラゴンはふんふんと匂いをかいで、ぱくっ、と食いついた。
『可愛い〜』
志保と千鶴の黄色い声に、思わず頭を抱えてしまう御堂と智子だった。
「よ〜し、志保ちゃんがこいつに名前をつけちゃうわよ。T−REXからとって、ティーレなんてどうよ」
「あら、可愛くて男の子っぽい名前ね」
御堂はもはや何も言わず、天井を仰いで、彼女らとメンバーを組んでしまった不運を嘆いていた。
「……なんや、おかしいと思わへんか」
ふと、智子が御堂に囁く。
「あの狼ども、私達が地下に入っても、まだ追っかけてきたほどしつこい奴らや。
それが、ただこの部屋に入っただけで静かになるなんて………」
「……この部屋には、なんかあるって言うのか?」
慎重に、御堂が呟く。
「あるいは、奴らが逃げ出すような理由が……」
その時急に、子ドラゴンがきびすを返し、ダンボールの奥に逃げ出した。
「あっ! ……うー、ティーレが…」
「……千鶴!」
「はい、何か……来ます」
瞬時に顔を引き締め、千鶴と御堂は、ドアの方を睨みつける。
次の瞬間、耳障りな音と共に、ジェラルミン製のドアが、紙くずのように引き裂かれた。
千鶴の胴体ほどもありそうな爪が覗き、すぐさま異様な咆哮が部屋中に響く。
「うひゃあああっ!?」
「これは……キマイラ!?」
獅子、山羊、鰐の頭を持ち、胴体は虎。尾は蛇。
その上、猿や猪など、あらゆる頭が、合成されていた。だが、何よりも……
「こいつっ……! 腐ってやがる!?」
御堂の叫びが、キマイラの引き金になった。
度重なる無理な合成の為に、結合部分から壊死し、すでに半分骨さえ見えた姿で、
キマイラは狭いドアを潜ろうと、恐ろしい叫びを上げていた。
「酷い……何でこんなことできるの……?」
志保が唇を噛む。智子と志保をかばいながら、千鶴と御堂は後ろにさがった。
腐りかけた身体を引き摺りながら、なおもその生命力で生き続ける事を強制された獣は、
何かに取り憑かれたかのように、腐った汁と肉を撒きながら、ドアに身体を捻じ込んでいく。
「これは……逃げた方がいいようですね」
「だが、どこから逃げる!?」
御堂が素早く弾薬と武器、それに食料の入ったリュックを、全員に投げ渡す。
だがその間にも、キマイラはドアの中に身体を捻じ込もうと、腐肉を撒き散らしながら迫ってくる。
ぐぅるぅぅぅぅぉおおおおおおおおおおお・お・お………………
濁った叫びに耳を塞ぎながら、志保がはっと顔を上げた。
さっき子ドラゴンがいなくなった辺りに跳びつき、箱と紙束を掻き分ける。
「長岡さん、どうしたんや!?」
「あるはずよ……ほら、あった!! ティーレが出入りしている穴が!!」
「そうか、でかした!!」
即座に駆け寄る御堂だが、その穴の小ささに、失望のうめきを上げる。
「くそ……だめか」
「いえ、コンクリートなら」
すっ、と立ちはだかった千鶴が、コンクリートの壁に拳を叩き付けた。
鬼の力によって、壁が崩れるが、同時に手の皮が裂け、血が滲む。
「お、おいっ!?」
「くっ……! いえ、大丈夫。なんとしても、ここから脱出しましょう」
2度、3度、拳から血が吹き出し、砕け飛ぶ破片をものともせず、千鶴は穴を広げ続けた。
「ちぃ……このど畜生がぁぁああっ!!」
御堂がライフルをぶっ放し、山羊の頭を吹き飛ばす。
「……梓ならっ、この位一度で開けられるものを……このっ!!」
もはや血まみれの手が、使い物にならないと判断した千鶴は、即座に足蹴りに変える。
「あと少し……あと少し……やった!!」
ひときわ大きな塊が砕け、ようやく人一人通れそうな穴が開いた。
「御堂さん!!」
「おうっ!!」
智子、志保、そして、次に千鶴が二人に支えられながら、穴を潜る。
だがその瞬間、とうとうキマイラが、枠を打ち砕き、部屋の中に入ってきた。
「御堂さん、早く!」
「おうよ……へっ、お前もクズどもに改造され、苦しめられてたんだな。だが、それもこれっきりだ」
ぐるるるる、と凶暴な唸り声を発するキマイラを見つめ、御堂はぽつり、と呟く。
骨と腐肉にまみれた爪が、御堂を切り裂く寸前、彼は素早く穴を潜っていた。
からん、と転がるのは、黒い手榴弾。
「あばよ……兄弟」
爆発と閃光が、原始の森を揺るがした。
何とかジープに帰った四人は、ジープで待っていた坂下好恵と合流し、すぐさまその場を出発していた。
「もう許せないわ……あたし、なんとしてもここから脱出して、世間にこの非道を報道してやる!」
「ええ……私も、皆を助けなければ……耕一さん」
志保に手に包帯を巻いてもらいながら、千鶴は独白する。
「安心しぃ。食料も武器も、だいぶ揃ったし……このレーダーがあれば、みんなの居場所もわかるわ」
助手席から、智子が安心させるように頷く。
車を運転しながら、御堂は一人、この狂気に満ちたパークを眺めていた。
「……改造され…苦しめられ…人生をめちゃくちゃにされるのは、俺達だけで充分だよなぁ…蝉丸よ」
「蝉丸って誰よ? ねぇ?」
「うるせぇな、志保、お前には関係無いだろ、ゲェーック!」
「なによーいいじゃないの、ケチねぇ」
【志保、智子、千鶴、御堂、坂下、ジープに乗って、場所を移動】
【武器、食料、レーダー入手。ただし、ジープの場所がわかるだけ。千鶴は手を負傷】
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