購うために犯す罪
何事も初動が肝心だとすれば、彼の行動はまずは合格といったところだっただろうか。
超先生の暴走の直後から慌てる事なく、所属する管理室から可能な限りの情報を集めた。
(しかし、管理室からのセキュリティ制御は完全に不可能だった。少なくとも一保安員でしかない彼には。)
招待客の救助を呼びかける彼に、短い期間ではあったが同僚だった二人がリアルリアリティー等と意味のわからない事を喚きながら襲いかかって来た時にも、彼は冷静に対処した。
片方をしかたなく斬り捨て、取り押さえたもう片方が自害して果てた時も、途方にくれることなく招待客を助けるための行動を始めた。
管理室内にある武器をかき集めて、モニターに映る最も近いジープを目指して尋常ではない速さで走り始めた。
だが、その表情は決して晴れる事はない。
それは単純に今起きている事件に対する憂いではなく、他の何かに耐えているようなとても辛そうな表情だった。
……そして、一方。
長森瑞佳は呆然としていた。
自分では非常識な事態に対してそれなりに耐性があるほうだとは思っていたのだが。
――だ、だって、ひ、人が、スフィーさんが、動かなくなって、死……
そこから先に進む事が出来ない。
進んだら、自分がどうしようもないパニックに陥るのが分かっているからかもしれない。
折原浩平は愕然としていた。
自分こそが大抵の非常識な事態の根源だと自認すらしていたのだが。
――いや、だってよ、アレってスライム……だろ?
スライムって言ったら、大体一番ザコなんだよな…?
――だとしたら、少しおかしいんじゃん。信じられないけど、さっきスフィーって人は魔法を見せてくれた。
――もちろん頭から信じてるわけじゃないけど、それでも彼女は……魔法使いで、スライムに殺された。
どうしてもそこで思考がストップしてしまう。
――……クソッ、少しはゲームバランス考えろよ!
苛立ち紛れに、ふざけた事を心中で毒づいた。
一見すると的外れな事を考えている様だが、しかし彼の思考は3人の中では最も冷静だった。
長森瑞佳と違い、彼の場合はスフィーの死をとりあえず受け入れられている。
そして、彼女が魔法を使ったのも実に冷静に観察していて、事件発生前に見せられた物と結びつけてほぼ信じている。
……その上で魔法使いの彼女が死んだなら自分達のような一般人に何が出来る、という事まで深い所では気付いている。
もっとも、その先にある絶望を恐れて頭の中で形にしないように必死ではあったが。
そして、この状況下で最初に動いたのは、リアン=エル=アトワリア=クリエールだった。
しかし、それは冷静さとは程遠く、激情に駆られての暴走と呼んで差し支えのないものだ。
「ね、姉さんから離れてーー!!」
彼女には姉が自分を置いて死んでしまうなどあってはならない事だったし、考えもしない事だった。
故に、姉を害する可能性の高い魔法を使うこともせず、隣の座席に鎮座するスライムにただ突っ込んでいく。
「バ、バカ! それに近づくんじゃ……」
浩平の叫びが終わる前にリアンはスライムと接触した。
予想に反してなんの衝撃もなく、包み込まれる様にリアンもスライムの内部に取り込まれていく。
しかし、リアンの勢いそのものは殺される事なく、縺れ合うようにして彼らはジープから転落した。
「クソッ!」
その落下の衝撃音に弾かれたかのように、浩平はジープから飛び降りてリアンのところに向かった。
「こ、浩平!?」
「長森は来るな!!」
慌てて身を乗り出す瑞佳に、浩平は静止の声を上げる。
だが近寄ったは良いものの、踏んだり蹴ったりするのは中のリアンに良くないかもしれないと思いとどまる。
迷いながら観察するとスフィーの時とは違い、今回はスライムが動いてすらいない。
――ひょっとするともう死んで……
浩平に焦りが生じた。
しかたなく浩平は緑色の不定物を引き剥がす事にした。
ヌメリとした感触に顔をしかめながらも浩平はスライムを手に握り引っ張り始める。
だが、ある程度までは伸びるそれは、ゴムで出来ているかのように奇妙な弾力を持って千切れようとしない。
いや、むしろ浩平の方が引きずり込まれ始めていた。
「……なっ! 畜生!?」
手を離そうとするが、それもかなわない。掴んでいるつもりが掴まれていた。
「浩平逃げてッ!」
鎌首をもたげるようにしてせり上がってきたスライムを見て、瑞佳が悲鳴を上げた。
だが幾ら力を込めても逆に少しづつ引きこまれてしまう。
ガリガリと靴と大地が擦れる音を聞きながら、
――もう駄目なのか。だけど、スライムにやられて終わりなんて恥ずかしくて言えたもんじゃないな。うん。
浩平は妙に冷静に自分の運命を受け入れようとした。
しかし――
一陣の風に前髪が乱れるのを感じた瞬間、引きずられる力がふと緩み、浩平はバランスを崩し尻餅をついた。
見ればスライムは浩平に迫っていた分とリアンを包んでいた分に、スッパリと分割されてしまっている。
切断面からは体表と同じ緑色の液体がドロドロと流れていた。
ザッ、と加速のついた何かが急に止まった音につられて横を見れば、長髪の男が刀を振りきった体勢で立っていた。
手に絡みついていたスライムは苦悶に身をよじるようにした後、融けるように崩れていってしまった。
「……っ、後ろっ!」
浩平とは別に、全体を俯瞰できる位置にいる瑞佳が長髪の男に叫んだ。
残ったスライムが怒ったかのように震えながら男に飛びかかったのだ。
減った容積のためか、急激な移動のためか、スフィーとリアンははじき出される様に外に投げ出された。
対して、長髪の男――光岡悟は慌てた様子もなく、振り向きざまにスライムの下を掻い潜る。
一瞬の交差の後、空中に跳んだスライムがバラバラになって落ちるのを浩平は見た。
「……すげえ…」
ただ呆然と浩平は呟いた。
光岡に斬られたスライムも、スフィーとリアンに付着していた残りも、同じように融けて崩れていった。
ある程度以上の量が集まらないと生存できないのだろう。
「無事か?」
ゆっくりと近づいてきて、見下ろすような形で光岡は短く聞いた。
「あ……」
浩平は、ああ、と返そうとして……リアンの方を見る。
その視線を追うようにして光岡も二人を確認し、近づいていった。
ピクリとも動かない姉妹を心配そうに見ながら、彼は始めにリアンの側に屈み込んだ。
そしておもむろに彼女の口の中に指を突っ込んだ。飲みこんでしまったスライムを吐き出せているのだ。
少しして正常に呼吸を始めたリアンをそっと横たえると、光岡はスフィーの方へ行った。
しかし僅かな診断の後、酷く辛そうな顔で首を振った。
今更のようだが非日常が始まっているのを実感して、浩平は胸の奥に嫌な物が溜まっていくような感じがした。
「……グスッ……グスッ……」
声につられてぼんやりと上を見ると、緊張の糸が切れたのか瑞佳が静かに涙を流していた。
どうしようもなく落ち着かない気分になって、浩平はようやく立ち上がり瑞佳の隣まで上っていった。
「その……泣くなよ、長森……」
異常な状況のせいか、何時もの軽口の出てこない自分に腹が立った。
「浩…平、無事で、良かっ……た…」
瑞佳が浩平に跳びついた。傍目にもわかるほどガタガタと震えていた。
そこでやっと、先程から茫洋としていた頭が覚醒した。
――なにあっさり諦めてんだよ、俺はともかく、長森は守ってやらくちゃ……
浩平はさっき諦めようとした自分を叱咤するとともに、深く胸にそう刻んだ。
そして、何も言わずにただぎゅっと抱きしめ返した。
そうこうしている内に光岡がリアンを抱えてジープの側まで歩いてきた。
「ス……」
スフィーさんは、浩平はそう聞こうとしたが、やめた。
リアンが目を覚ましたときに姉の遺体を見ることになるのが、はたして良いことなのかわからなかったからだ。
それよりも改めてこの突然現れた長髪の男を観察した。
多少迷ったが、今までの行動を見る限り敵であるとは考えにくいと判断して声をかける。
「その、ありがとう。助かった」
「いや……。礼を言う必要などない」
言葉としては突き放した感じだったが、それは拒絶というより慙愧の念を含んだ物だったので浩平は会話を続けるのをためらった。
「……話は後だ。今はここから離れよう」
光岡は沈黙を打ち切って運転席に移動した。
浩平もそれに異存はなかったので黙って従う。その際、場所が手狭になったので浩平は瑞佳を伴って後部座席に移動した。
前面は相当へこんでいるしライトは片方潰れているけれど、それでもジープはなんとか動くらしい。
リアンは気絶していて、瑞佳は浩平により添い、浩平はその瑞佳を落ちつかせるのに必死で、それから暫らく会話も始まらなかった。
再び始まった沈黙の中、静かにジープは移動を再開した。
……気まずい沈黙の中、光岡は自分に殺意さえ感じていた。
同乗者達が何も聞いてこないのを良い事に、未だ何一つ自身の罪を話し始めることもせず押し黙ってジープを走らせている。
特にあの姉を失った少女には自分を殺す権利すらあると言えるのに。
事の発端は犬飼からの誘いだった。
「もっと長く生きる事が出来るかもしれない」
彼の前に姿を見せた犬飼は、この島に関わるプロジェクトの説明と共にそう語った。
曰く、この島の生物の更なる進化のために仙命樹と、それを使った被検体である強化兵の再研究が必要であること。
その遺伝子研究の過程次第では光岡のテロメアを治療することも可能であると言うこと。
……光岡は、強化兵の本来持つ永遠に近い寿命などに興味はなかった。
しかし、彼が守ると誓った人のためには、結局それが必要なのも事実だった。
――そして、光岡は悪魔に魂を売った。
研究の結果、彼の延命はなされ、島の生物達は見世物とは違う本来の性質を取り戻していった。
その後、光岡は機密保持者と言うことで、島の公開までの間は拘留されるような形でセキュリティ関係の職に就くことになった。
やがて自分の決断が無辜の人間を災厄に巻き込む事とも知らずに。
それが結果論にしかすぎないのは光岡にもわかっていた。
彼の協力など無かったとしても、犬飼が参加した以上、あるいはそれすらなくても、この島の生物は狂気に侵されたスタッフ達によって何時か完成していただろう。
そして、誰にも超先生の暴走は予期できなかったであろうことも理解している。
しかし、それでも自分の行動が103人の招待客を窮地に追いやっている一端だという罪の意識は、決して彼から離れようとしなかった。
【光岡(装備・跋扈の剣)、浩平・長森・リアン組と合流。わずかな武器を持ち、ジープで移動開始】
【なお、リアンは気絶中】
【犬飼は研究スタッフとして島に存在。目的や超先生との関係等は不明】
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