優しさと切なさと心強さと



「美凪ー―っ、みーなーぎーっ。うにゅ…お――い、国崎往人―ー―っ」
あの後…砂浜で目覚めて遠野美凪とはぐれてしまった事に気づいたみちるは、しばらくその場所をうろうろと探し回った後、移動を開始していた。
目的は無論自分の半身とも言える少女を探し出すこと。
美凪が怪我でもしていたら助けなければならないし、みちるにしても、こんな場所で一人ぼっちなのは心細いことこの上なかった。
「んにゅ…美凪…どこ行っちゃったんだろ…」
砂浜を出発し、自分がジープから放り出されたと思われる場所に向かって足を進めながら、ふと気づくと不安が口を突いて出てきてしまう。
「美凪…もしかして何処か打ち所が悪かったりして怪我で動けなかったり…それとか、変な落ちかたしたせいで……」
みちるは自分がらしくもなく、ネガティブに落ち込みかけていることに気づいて、目尻に浮かびかけた涙を乱暴に拭った。
「しっかりしろっ。みちるがこんなんでどうすんだー!!」
ぶんぶんっ、と大きく頭を振って自分に気合を入れる。そうだ。勝手に悪い想像をして落ち込むなんて自分らしくない。
こんな自分を美凪に見せたらきっと悲しい顔をさせてしまう。美凪はそう自分を奮い立たせると、再び大声で美凪の名前を呼び始めた。
「それにしても腹が立つのはあいつらだーっ。あいつらがメチャクチャな運転なんかしたせいで、美凪とみちるが、どうしてこんな目にあわなきゃいけないのさーっ」
この島で起こっている事情を知らないみちるは、名前こそ覚えていないものの顔は確実にインプットした祐一と北川に向かって怨嗟の声をあげることも忘れない。
とくに危機感を抱くことも無く、孤独感と美凪の身を案じる不安感を身にまといながら
みちるは大声で美凪の名前を叫びつつ移動を続けていた。
すぐ背後の茂みに忍び寄る異形の気配に気づけるだけの警戒心を持たないままに。



「一体なんだったのかしらね、さっきの放送。ジープは勝手に手動運転に切り替わって、メチャクチャに走り出すし、たまったもんじゃないってのよ。
管理がキチンとなってないんじゃないの、まったく」
左手で軽やかにギアをシフトチェンジさせながら不機嫌そうに広瀬真希はそう呟いた。
「みゅー、みゅーっ」
周りに広がる自然が珍しいのか、それとも同乗者の髪を引っ張るのが楽しいのか。後部座席では先ほどから椎名繭のはしゃぐ声が止まずに続いている。かなり上機嫌のようだ。
「繭、いいわねー。あんたは楽しそうでさ。私なんかもう家に帰りたくなってきたくらいだわよ」
広瀬のほうでも、周りに広がる景色に新鮮さを覚えないわけではないが、さすがに目的地も定かにならないままに30分近くもさまよっていればいい加減不安のほうが大きくなってくる。
普通なら自動運転に切り替えればわざわざ搭乗者が悩まなくとも目的地に案内してくれるはずのナビゲーターは先ほどから使用が不可能になっており、せめて普通のカーナビくらいの機能は…と言う期待もあっさり裏切られていた。
広瀬としては繭相手に愚痴りたくもなろうというものである。
「みゅ?」
…無論、繭相手に愚痴ったところで話が弾むわけでもないのだが。

「はぁ…。ねえ、さっきから気になってたんだけど…あんた随分静かね。何やってんの留美?」
ジープに乗り込む時、折角だからと言うことで広瀬は親友の七瀬と、その連れ子の繭の三人で乗り込んだはずだったのだが、先ほどの自動車暴走以来、七瀬の口数がやけに少なくなっている。
さっきから気にしてはいたのだが、どうせ『ジーブの車窓から流れ行く景色を見やる。乙女にしかなせない技よ』などとバカなことをしているのだろうと放っておいたのだ。
しかし、それにしては随分とトリップ時間が長いような気がする。別段危険があるとは思えないとはいえ何しろ見事に他の面子とはぐれて迷走中なことには違いないのだから、広瀬としてはいい加減七瀬にも不安を一緒に背負って欲しいところだった。
「……あのさ真希…」
「ようやく喋ったわね。何よ、人に散々運転させといて、その辛気臭い声は」
七瀬の呼びかけに対して、広瀬は軽く挑発するようにそう返した。相手を疎んでと言うわけではなく、その七瀬の暗い声から出る不安そうな響きを嫌ってのことだろう。
だが、七瀬はその挑発には乗らず、淡々と先ほどから気になっていた疑問を広瀬にぶつけた。
「さっきから聞こう聞こうと思っては怖くて聞けなかったんだけど…真希…あんた免許持ってたっけ?」
額から汗を一筋流しながら、おそるおそるそう尋ねる七瀬に向かって、広瀬はただ一言。
「持ってるわけないでしょ」
と平然と答えを返した。



ガサリ
「誰っ!?」
後ろの茂みが鳴った。これで、もう三回目だ。
後ろから誰かがついてきているー―そう気づいたのは、ほんの5分程前のことだった。
あれからも、みちるは相変わらず大声で美凪の名前を呼びながら歩いていた。歩いては呼びかけ、呼びかけては歩く。それをずっと繰り返しつづけている。
だが何度呼んでもみちるが望む少女の声は返ってこず、それどころか叫びつづけたせいで逆に喉が乾いてきた。
考えてみれば、みちるは身一つで水筒も弁当も持っていない。美凪を見つけることももちろん大切だが、もし万が一、このまま夜になったら
…明日になっても、皆と合流できなかったら…自分はどうなるのだろう?
そう考えて全身の汗が凍りつきそうな感覚を覚えた。この島は聞いた話だと動物園のようなものらしいから、野生の動物が出る心配はないはずだ。
だが、そうは言っても夜にこんな所で一人夜を明かすなんて怖くないはずがない。
「あれ…?」
そこでふと思い当たった。さっきの放送…あれはなんと言っていたっけ?
『モンスターの制御装置は解除されました』
『全防犯システムも既にカット済みです』
「……」
みちるが不安げに周りを見回す。そんなの冗談に決まっている。
自分が知らされていないだけで、きっとこのテーマパークの出し物の一つに違いないのだ。
そんなバカなことが現実にあるはずがない。
そう無理やり納得して、移動を再開しようとした時に…みちるは初めて、自分のに近い位置に自分以外の息遣いがあることに気づいたのだった。

「……」
気のせいだ。いや、そうでないなら、きっと他の参加者がくっついてきているだけだ。
そう思い込むことにして少し歩調を速める。声をかけてこない相手だ。誘拐魔かもしれない。
「はっ…はっ…はっ…はっ…」
気配は離れない。はっきりとわかるわけではないが、何かがついてきているのは、もう間違いなさそうだった。
「嫌だ…美凪…みなぎぃ…」
しっかりしなくちゃと心ではわかっていながらも、歩調はどんどん早くなっていき、口から漏れる言葉は鼻声になってしまう。
そして、とうとうみちるは耐え切れずに思い切り足を踏み出し、全力で走り出した。
「はぁっ…や、やだっ。みなぎっ! みなぎーー―っ。国崎往人―ー―っ!!」
直後、後ろの茂みが大きく鳴って何かが飛び出してきたのがわかった。ものすごいスピードで足音が近づいてくる。
ダメっ! そう思いながらも恐怖感に勝てるはずもない。
肩越しに振り返ったみちるの目に飛び込んできたのは猿の顔に豹の身体をくっつけたような見た目にもおぞましい”何か”だった。
「―ー―っ!?」
もはや声も出せず必死で足を動かす。捕まったらどうなるか、考えるまでもない。あんな悪意の塊みたいな生き物なんか見たことがない。
交互に足を踏み出して走る。後ろからついてくる悪夢を振り切るために。目がさめたら美凪に『面白い夢を見たよ』って笑えるように。
あんなものに捕まったらきっと自分はもう二度と目がさめることなんかない。
怖い。怖い。誰か。お願い。助けて。みちるは。死ねない。だって美凪が…っ
ドスン―ー―と衝撃があった。
背中が痛む。みちるは一瞬息を詰まらせて前のめりに転がされた。
目の前にいやらしい笑いを貼り付けた猿の顔が近づいてくる。
牙を向き出しにしたそいつが、みちるに飛び掛ってこようとした瞬間…ドンッという大きな音を聞いた気がして
―――みちるはそのまま気を失った。



「うぎゃぁぁぁっ、轢いたっ! 撥ねたっ! 今なんか変なの撥ねたぁっ!!」
「み゛ゅーっ、み゛ゅ―ー―っ」
「だ、だから言ったじゃないのよっ! 免許がないなら歩いて行こうってっ」
「な、何行ってるのよっ! 大体ねぇっ、私が平気だって言ってるのに留美が後ろからギャーギャーわめくから…」
「みゅーっ、み゛ゅーー―ー―ー―っ」
「繭、うるさいわよっ! 真希っ、責任のなすりあいしてる場合じゃないわ。何を撥ねたか知らないけど怪我してたら放っとけないし」
「わ、わーってるわよぉっ。あぁー、違うと思うけど、人だったらどうしよぉ…」
大騒ぎである。ジープを運転しあちらこちらをさまよっていた広瀬一行は、迷い迷ううちに、砂浜に近いところにやってきていた。
小高い道から見下ろして砂浜を見つけた三人は気分転換を兼ねて、逸る心で海を目指していたのだが、そのために注意力が散漫になっていたらしい。まさかの交通事故を起こしてしまった。
「ど、どう…? 留美? ま、まさか人だったり…して…ないよねえ?」
さすがに心なし顔を青ざめさせて広瀬は先に辺りを確認しに出ていた七瀬にそう尋ねた。
自信があるわけではないが、自分で見た限りでは、何か4つ足の動物を撥ねた記憶があった。
それはそれで問題ではあるが、人でなければ充分御の字だ。…そう思っていたのだが…。
「……」
七瀬の肩越しに小さな女の子が倒れていた。髪を七瀬と同じようにツインテールに結び、健康的なノースリーブとキュロットを身につけている。
「う、嘘…っ」
広瀬の息が止まり、顔が蒼白になる。広瀬は元々決して「良い子」なわけではないが、決して悪人ではない。
自分のしでかしてしまった事実に…前途のある小さな女の子を撥ねてしまった事実に言葉が出なかった。
あのスピードで撥ねてしまったのなら…おそらくもう……
「みゅー…死んじゃったの?」
繭の直接的な表現が広瀬の胸に刺さる。

「わた…私…ど、どうしよう…なんてことを…」
フラフラと倒れこみそうになりながらも、広瀬は何とか踏みとどまる。辛いのは私じゃなくて…無理やりに命を散らされたあの子なのだ、そう自分に言い聞かせながら。
「留美……その子…」
埋めてあげたほうが良いのかな…? そんなどこか間違ったことを良いそうになった広瀬向かい、七瀬は振り様に一言
「うん、気絶してるだけみたい。怪我一つないわ。あー、ビックリした」
とあっさり答えを返した。
「……」
「でも、おかしいわね。撥ねられた動物みたいなの見当たらないみたいみたい。もしかしたら、無傷で逃げたのかも」
「みゅー」
七瀬の発言に適当な相槌を入れる繭。倒れていた女の子を覗き込みながらも、人見知りが激しい繭らしく触れようとはしていないようだ。
「……」
「んー、まあ何事もなかったみたいで良かったけど…ねえ真希。やっぱりさあ。無免許運転はまずいんじゃ…あれ?どうしたのよ? そんな震えて?」
「言うのが…っ、おそー―ー―ー―ーいっ!」
半泣きになりながら七瀬に食って掛かる広瀬。よほど安心したのか普段なら絶対見せないであろう涙が頬を伝っていた。
「え? ま、真希? な、なんで泣いてるのアンタ」
「うるさいうるさいうるさいっ、いいからその子後ろに乗せなさいっ。ほら、いくわよっ! 乗らないなら放っていくからねっ!!」
広瀬は怒り半分、照れ隠し半分に安堵の気持ちをスパイスにしたような微妙な表情で三人を車に詰め込むと、再び運転席に乗り込んだ。
「ちょっ…何を怒ってんのよっ、それにアンタまた事故でも起こしたら…」
「いいから、黙って乗ってなさい。安全運転して欲しかったら運転の邪魔をしないでよっ!?」
広瀬はそう叫ぶとアクセルを踏み込んだ。有耶無耶のままに乗組員を一人追加して、車は再び砂浜のほうへと動き出したのだった。



【みちる、七瀬・広瀬・繭組と合流】




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