【無題】
「ちぃぃっ」
大きく右手にハンドルを切る。
取ったばかり…しかも普通AT車の免許しかもたない自分の腕で、
マニュアルのジープの手動運転―――しかもこの荒れ放題のジャングルの路上で―――
などしていること自体、自殺行為に等しいとわかっている。
生い茂った木々を不器用にかわす自分の運転は心許ない事この上ないが、そんなことを言っていられる状況ではなかった。
「良祐っ! 良祐はどうなのっ!?」
「あっ…あのっ…だ、だいじょうぶだと思いますっ」
必死にハンドル操作をしながら私は後部座席に向けて思い切り怒鳴った。
こうしないとエンジン音にかき消されてろくに声すら届かない。
それは私にどなられた相手もわかっているはずだが、後ろの子…名前はなんと言ったか…
からは随分と萎縮した、要領を得ない答えが返ってきた。
自分に余裕がないのを自覚しつつも、思わず頭に血が上る。
いま、この車に乗っているメンバーは後部座席にメガネをかけた女の子と、私の兄である巳間良祐の二人。
そして、助手席にメガネの女の子の連れらしい女の子がもう一人。
女の子の二人も、この島には招待されてきたということは聞いたが、それ以上は良く覚えていない。
ただ、思い返すに確か二人とも高校生だと言っていたはずで、私より年下だったはずだ。
ならば、この状況でこの車をヘタクソながらも転がせる人間は私しかいないということになる。
そして、さっきの意味不明な放送が終わると同時に、飛び掛ってきたトカゲの化け物みたいなのに肩を食い破られた良祐を治療できるのは、この二人しかいないって言うのに…っ。
「あのねぇっ、そんなんじゃ全然わかんないわよっ!
子供じゃあるまいし、もっと詳しく…」
苛立つ声をそのまま後部座席の少女にぶつけようとした私に、凛とした声が歯止めをかける。
「傷はそれほど深くは無かったみたいです。瑞穂が手際よく止血をしたおかげで命に別状は無いんじゃないでしょうか。
顔色も良いとは言えませんが少なくとも生死に関わるということはないと思います」
素人意見でしかありませんけど、とそこまでを一息で言い切って、その声の持ち主は言葉を止めた。
「……」
もちろん、私に隣を見ている余裕があるはずなんてない。ガタガタの道に車輪を取られながらハンドルを操るのが精一杯だ。
だけど、隣から強い視線がぶつけられているのは気配だけでもわかった。
その視線が、これ以上後ろの子に理不尽な憤りをぶつけるなら許さないと私を牽制しているのだ、ということも。
「か、香奈子ちゃん…」
隣の子はよほど容赦のない目をしているのだろう。後ろの子が取り成そうとして気後れしている気配がする。
私はちらりと助手席に視線を流した。そしてそこに予想通りの視線があることを確認する。
何かのために戦える人間の目……自分以上に大切なものを守ろうと決意している人間の目だ。
私は目を見れば大体、相手がどういう人間だかわかる――少なくともそう自負している。
そして、こういう目の人間が私は嫌いではなかった。
「……悪かったわ。良祐のケガは貴方達のせいじゃない。なのに、貴方達は良祐のケガを治療してくれた…。ありがとう助かったわ」
前を向いたままで私がそういうと、助手席の女の子は、一瞬を突かれたような表情をした後に
「わかってもらえればいいんです」
と、つっけんどんに返事を返してきた。ここら辺は郁未なんかと違って素直だ。
何しろあの子ときたら初対面のときは散々シカトしてくれて随分と手を焼いたものだったから…。
「あっ」
後ろの子…そうだ思い出した。たしか藍原瑞穂と言ったはずだ…の声に助手席の子が振り返る。
さっきまで気丈だった彼女の身体が一瞬竦んだのが視界の端にも確認できた。
「さあて、逃げ切れるといいけど…」
振り返るまでもない。背後から迫ってくる多数の、人ではない何かの足音が聞こえないはずがなかった。
せめて郁未か葉子さんが一緒なら……という甘い考えを頭の片隅に追いやって思い切りアクセルを踏み込む。
ガソリンの残量はまだフルに近い。ガス欠でゲームオーバーの心配はとりあえず除外しておいていいはずだ。
「良祐をお願い瑞穂っ、それとしっかり捕まってなさいよ…えっと…」
「香奈子ですっ、太田香奈子…きゃっ!」
運良く目の前が開けて思い切り加速した勢いに香奈子が悲鳴をあげる。とりあえず、安全な場所を探そう。
良祐のケガをちゃんと治療して、離れてしまった他の人たちとの合流を最優先にする。
後の事は後で考えるしかない。私はそう思い切ることにして舌を噛まないためにも無言で運転に集中し始めた。
【巳間晴香・藍原瑞穂・太田香奈子・巳間良祐ジープで逃走中】
【巳間良祐―右肩に裂傷。応急処置に包帯で固定。昏睡中】
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