(無題)
ピンポーンピンポーン
どうやら今日、ここに訪れる客は自分ひとりではないらしい。
鹿沼葉子は先ほど腰を落ち着けたばかりのダイニングルームでインターフォンの呼び出し音を聞きながら、そんなことを思っていた。
テーブルに置かれたコーヒーから立ち上る湯気をしばし眺めた後、
葉子はもう一度首を巡らせてこの家の住人の姿を求めてみた。玄関から見てダイニングよりも奥に設計されているバスルームから彼女が出て来る様子はない。
ピンポンピンポンピンポーン
どうしたものだろうか。勝手に自分が出てしまって面倒なことになるのも彼女に悪い気がする。
以前ここを訪れたときにも同じようなことがあり、いかにも胡散臭げな笑顔を浮かべた男性から洗剤やらなにやら受け取ってしまった葉子を、
後から彼女がさんざん注意したのは記憶に古くない出来事だ。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン
「だーっ、しつっこい。ごめん葉子さん、悪いけど出てもらっていい?」
バスルームから艶やかな長い髪に水を含ませたままの頭だけを出して彼女…天沢郁未がそう言った。
「はい、わかりました…ですが」
「あ、セールスっぽかったら追い返してくれていいから」
最後まで言い切る前に郁未のほうから返ってきた答えにもう一度頷いて、葉子は玄関のほうに身を翻した。
ソファから立ち上がる際に起こった風でテーブルに置いたままの封筒がカサリと音を立てる。
『厳選な抽選で選出されたお客様への豪華ホテルへのご招待』
先ほど葉子が目を通した限りではたしか、そんな煽り文句だった。
「…チケットが3枚ですか。私なんかを誘わずに他の方を誘えば、もっと有意義でしょうに」
物好きですね、と口の中だけでそう呟く。
その葉子の表情は言葉とは裏腹にとても暖かく、その言葉が拒絶の意思から出たものではないことは明白だった。
ピー―――ン―――ポー―――ン
間延びしたインターフォンが、葉子の苦笑を誘う。どうやら来訪者は連打に飽きてテクニカルな技を使い始めたらしい。
こんな子供じみた真似をするのは、おそらくセールスマンなどではないだろう。魚眼レンズ越しに外を確認すると
やはり見知った女の子が諦め悪くボタンに手を伸ばそうとしているのが見えた。
「こんにちは、由依さん。お久しぶりです」
ドアを開けてそう挨拶した葉子に、ドアの前の少女…名倉由依は一瞬驚いたように大きく口を開けた後
「うわぁっ、葉子さんもいらしてたんですねぇっ。おひさしぶりですっ」
と、屈託のない笑顔を見せた。その笑顔に自然と笑顔を返す葉子の目に、ふと止まる物体がある。
「由依さん…今日はそちらの件で?」
そういって葉子が指し示したのは由依が持っている物――そう、見間違いや偶然の一致でなければ先ほど自分が目にした物と同じ種類の封筒――だった。
「あ、はいっ。実はですねぇっ。晴香さんが懸賞に当たったとかで私にくださったんですけど、ひどいんですよぉっ!
『あ、私は良祐といくから。一枚あまってる分をあげるわ。ほしけりゃくれてあげるけど、3000円くらいで』ってどう思いますかぁっ!?」
そう言ってプリプリと怒ってみせる。どうやら、一人で行ってもつまらなそうなので、とりあえず欲しがりそうな郁未の元へ持ってきたらしい。
失礼さ加減では、由依も晴香もいい勝負ではないかと言うところだろう。
「とりあえず、中へどうぞ。私が言うのもおかしいですけれど」
そういって葉子は由依を招きいれた。チケットが三枚なので、どうしようか…というのが葉子が今日郁未に招かれた理由だったが、どうやらその話し合いは必要なくなりそうだ。
友人との旅行…。その自分には馴染みの薄い響きに少しだけ葉子の胸が躍った。
「楽しいものになるといいですね」
葉子は軽やかに前を歩く由依の背中にふんわりとした微笑を浮かべながら、奥で待つ郁未の元に逸る足をほんの少しだけ緩めた。
【郁未・由依・葉子】参加決定(後発)
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