風間 明 のひとりごと
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ホームページをはじめて、早いものでもう2年が経ちました。インターネットの大海に流した
私の小瓶、ささやかな詩と絵の数々、あなたのもとに届いたでしょうか・・・。お返事は、掲示板の方に
一言いただければと思います。ご本名でなくてもニックネームだけで記入できます。お気軽にご利用下さい。
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2003年 1月号
私のホームへージも、今年で3年目に入ります。連載している作品は、まだ2000年後期の作品になりますが続けていきたいと考えています。途中ではじめたアートのページは、外国からもご覧になっていただく方がいて、うれしい限りです。
今月号の ART POEM は、背景音楽も含めてすべて自作しました。ファイルサイズを考えて画質は落としてありますが、イメージが伝わっていれば幸いです。hoops-infoseek のページの写真は、詩のテーマにしたことのある街角のバラと鏡の写真です。
2月号
今月のART POEMは、雪国を追加しました。前回と同じようにオリジナル曲が背景に4曲入っていますので、お聞きになりたい場合は、いったんページを戻してまたお入りください。(ランダム選曲ですので同じ曲が出る可能性もありますが・・・)もちろん特別な音楽機器は
使用せず、すべてフリーソフトで作曲しましたが、もう少し扱いやすいものはないのでしょうか・・・。音楽の世界でも、オリジナリティーが勝負で、技術は二の次になっていくことを望みます・・・。
さて、雪国は、私の両親の郷里です。幼少の頃から、静養のため一時預けられていたこともあり、私の自然賛歌の原風景の地といった所でしょうか。夏休みも、毎年、両親と帰省していて、信越本線でしたが、横川駅の釜飯の味、特別にかわいがっていただいた明治生まれの祖母の思い出・
夏祭りのにぎやかさなどがなつかしく思い出されます。雪といえば、つらく寒いイメージも強いのですが、両親は、関東の空っ風や、人情などがこちらの方が? かなり寒いと言っていました。東北地方や北海道となれば違うのでしょうが、潤いがあり、あたたかだった印象を私も持っています・・・。
3月号
今月の詩は、連作ですが何故かほっとするような内容になっています。毎回十数編 切り出しているだけなのですが、不思議と今回の作品は底流にある、心情が共通しています。表題は、連想の気の向くままという雰囲気ですが、自然と統一感もででいました。 さて、infoseekのページには、
新しい写真を載せたいところですが、すっかり出不精になっていますので、最新の私の絵をのせています。こちらでも何回か雪が降りましたが、積もるほどではなく都会暮らしでは、良い雪景色に出会えません・・・。
4月号
今月の詩は、少し編数を増やしてあります。毎月2、30編でも可能ですが、ますます読む方が離れそう?ですのであまり数は増やせません。区切りの良いところで切っていますが、もう少し精選してのせる方法も検討できます。私は、自他の作品は問わずに、どちらかというとリアリズムの詩は好みませんが、
事実そのものという内容の詩もいくつかあります。特に、教育現場の先生方に接する機会を得て、来世紀を支えるべき若者たちの教育に対する、家庭や社会、政治の姿勢には憂うべきものがあります。一時期、全国的な校内暴力の現象が取り上げられたこともありましたが、事態は陰で深刻化している様子もあります。
マスコミの責任も大きいのではないのでしょうか・・・・。民主国家を標榜する国にあって、環境整備を含め、学校だけが何故か未開の治外法権の場であってはならないと思います。 さて、久方ぶりに写真を更新しました。府中の森の美術館でしたが、東京郊外にいる私は、珍しく自家用車で出かけました。東京へと
一極集中する電車の路線より、距離が短かったからですが、交通渋滞にはいると時間的に大差がなくなってしまいます。人口集中の問題といい、都市計画のなさといい、この国は本当に先進国の仲間入りをしているのでしょうか・・・・。どうもまた、愚痴が多くなってしまいましたので、この辺で。
5月号
今月の詩は、虚実入りまじったような内容です。私の住んでいる近所に、タマちゃんならぬ川獺の住んでいるような川はもうありませんが、創作上のイメージに似合います。両親の郷里では良く川遊びもし、豊かな里山の風景が今もよみがえってくるほどですが、こちらでは、米軍病院の汚れた川の想い出はあっても、
段丘の下まで行かないと川に出会えません。東端の町の丘陵は、多摩丘陵の端で、写真に紹介したとおりに、日だまりの谷戸が、今も保護されるように残っています。昔は、さながら狸の里と言った風情だったのでしょうが、さて町に住むというタヌキはどんな性格なのでしょうか・・・?
6月号
今月の詩は、山峡の水辺から、都市生活とふるさとの川辺、遠景から近景、そしてまた日本的な水の世界へと続く物語のようなまとまりになりましょうか。水の故郷としました。時間的な流れも見えてくるようです・・・。
さて、追加した写真は相模川の段丘を挟んでの風景ですが、県立相模原公園は、随分と整備されてきています。都市化している相模原市にとっても貴重な憩の場所ですが、かつてここにあった林が復活して欲しいものです。お隣には横浜市水道局の古山貯水池があり、小学校の時は遠足にも出かけたところでした。
7月号
今月の連載の季節はもう秋です。詩の創作の機縁は様々ですが、日常の断片と幻想が入りまじっているので夢の途中としました。原人パンのモデルは、残念ながら存在しないことが証明されましたが、科学を標榜する世界でこのようなことがあってはならないと思います。しかし、太古に今のような日本列島の姿ではなかった頃 旧石器人類がこの地域にいなかったという根拠もありません。近くには、ナウマン象も渡ってきたところがあるのですから・・・自然が豊かだったことが想像されます。今のホモサピエンスとは別種とされている旧人類は絶滅しましたが、中東の洞窟のネアンデルタール人のように、死者を思いやることもできたといわれています。
残された世界の 私たち新人類の使命と課題は大きいものがあります。
少女幻想の詩は 以前にも再三テーマに選んでいるところですが、キリストが少年にふれるように、私の内部の無意識が少女の復権を意図している様子です。もちろん幼少期の笑顔の素敵だった日本の少女との交流が?機縁となっているわけですが・・・。さて 後半の詩は、日常のスケッチ風ですが、同僚のY氏は、今は転勤されて別の職場です。ご本人が読まれると ちょっとご立腹の内容ですが、そこは創作の世界、ご容赦とご理解をお願いしたいところです。
8月号
今月の副題は、冬の旅としました。詩の機縁はさまざまで、日常の些細な事柄や以前訪れたことのある現実の場所であったり、夢の風景であったりします。作者としては、これはちょっと詩では・・・と思うものもありますが。ご自由な鑑賞をしていただければよいのです。良くいわれていることに、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩の例があります。手帳の端に書き付けた、賢治さんにしてみれば公表するつもりもなかった代物が、
今は、異論はあるでしょうが、有名な詩の一つになっているのですから不思議ですね。
9月号
今年の夏は、地球の表も裏側も異常な天候でしたが、みなさんはお元気でしたでしょうか・・・。体調を崩してしまいそうですね。私も、つまらぬ事の対応に追われて、この夏は、落ち着いて過ごせませんでした。小人閑居して不善を為す。巷で見聞きしていた少年たちの行動には、唖然としてしまいます。 さて、今月号で2000年度の詩作の連載は終わりになりました。来月号からは、2001年からの連載を予定していますが、私のホームページも
いつまで続くのやら・・・・。更新した写真は、谷川岳天神平の景色ですが、雨や霧の高原もなかなか風情があって良いものでした。尾根筋には、この標高でという高山植物のお花も多いようです。ロープウェイの駅にあった写真は、後で気づいたのでしたがこちらのホームページでご覧になれます。www.tanigawadake-rw.com/
10月号
今月から、2001年前期作品の発表となります。ホームページを初めてやっと一年分の発表ですから、最近作までは追いつきそうもありませんが、ゆっくりと継続していきたいと思います。先月号からは、写真をテーマにした「青空展覧会」を始めましたが、こちらの方はすべて詩は最新作です。読みづらいところがありましたら、技術的に? 検討して再アップしますので、ご助言をよろしくお願いします。
さて、今月の詩ですが、私の住んでいる街並みからのイメージですので townとしました。人の名まえの詩は、かなりある方ですが、抽象的な? 娘さんの名の方が詩の題材となりやすいようです・・・・。
11月号
今月の副題には、少々思案しました。淡々とした詩の語り口には、現実生活の破片や、願望や、想像と飛躍が入り乱れていて、曖昧な内容となっています。人が人となるためには、完全な現実主義も空想もあり得ないのではないかと思います。 私の詩は、日記のようなものから始まった経緯がありますから、後になって読んでみると、そんなに前のことでもないのに、こんな風に感じていたのかと不思議に思うこともよくあります。それがそのまま、詩として読めるのかということも大きな問題ですね。
さて、フォトの方も更新していきますが、Photo poemの方は、インフォーシークのペーシに随時、更新していく予定です。昨年、不幸続きだった我が家の法事関係も終わり、ほっと一息ついている今日この頃です。
12月号
今回の副題は、中にある小編詩の副題をそのまま借りました。私の詩は、表向きも、内密もないまま、そのまま公開していますが、フィクションとしての詩は、やはり凝縮的なモノローグの世界になりがちです。外見的に、ディアローグのものも試行していますが、ポリフォニック(多声的)なものといって良いでょうか・・・。対話的と言っても、西欧流のものとは異質に、私の場合、非人称であったり、叙景でさえあったりします。
さて、最後の「鉄の娘」は、異質な内容ですが、間接レントゲン撮影を問題としたものです。最近、過剰医療が問題になって来つつありますが、結核の集団感染だけに気を配っているつもりの行政の管理主義も困ったものです。だいたい、戦前ではあるまいし、レントゲン写真に病巣が映るまで放置されねばならぬ職場環境そのものが問題だと意識されないのなら、科学立国の看板は引き下げるべきです。さらに、X線は、明らかなように、量子論的効果の大きい放射線の一種です。線量が少ないからと言って安全視する偏見も改めなければならないでしょう・・・。教育の荒廃といい、先生方の心と身体のケアの問題といい、やはりこの国は、先進国とは次第にかけ離れていく現状なのかも知れませんね。